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39 リリィの王子様。

 お茶会の準備はつつがなく完了し、キースは自分の割った皿を片付けた後に、応接間から飛び出して行った。相変わらずリリィと王子様は部屋の隅で向かい合って座っていて、応接間の入り口付近に、王子様と一緒にいたメイドが控えている。


「ソフィーさんお久しぶりです」


 キースと入れ替わりにリリアが室内に入ってくる。入口に立つメイドに随分親し気に声をかけてから、部屋を見回し、リリィの前に座る王子様を見つけたリリアは嬉しそうに笑った。何故かリリィの気持ちが乱れる。


「アーサー殿下!」


 あれ? とリリィは思った。何だろう、自分が知らなかった彼の名前を、リリアが親し気に呼んでいるのがすごく気に入らない。ああでも、この人はアーサーという名前なのか。……何番目だっけ。野心家と短気と病弱とお花畑の印象が強すぎて、名前まではっきり覚えていなかった。


「ああ、元気そうだね。なにより」


 笑顔でリリアに返事をした王子様を見て、リリィは何故かモヤっとした。リリアは二人の近くまでやってくると、美しくお辞儀する。リリィの眉間に皺が寄る。


「今日はお忍びだから、かしこまらなくていいよ。長ったらしい挨拶はやめてね」 


 気安い感じで彼はリリアにそう声をかける。何だろうイライラするし、モヤモヤする。胸を押さえながらリリィは首を傾げた。


「リリアはこの方と親しいの?」


 いつになく、自分の声が尖っている気がしてリリィはひやりとした。しかし、リリアはそんな事を気にする様子もなく、笑顔で答えた。


「はい。人の殴り方や蹴り飛ばし方を教えてもらっています」


 ……何か、違う方向性で親しいということはわかった。気持ちが楽になる。


「何故そうなったのか伺っても?」


 リリィはやや強張った表情で、王子様に尋ねた。この人はリリアをどうしたいのだろう。多分、思い込みの激しいリリアの性格を理解した上で遊んでいる。


「社交界でこの子よく危ない目にあっていてね。護身術を教えてほしいと言われたので、簡単なものをね」


 危ない目、という言葉を聞いた瞬間、リリィの顔色が変わる。


「……聞いてないわよ、リリア?」


 リリィの声が一段低くなった。え? と可愛らしくリリアは首を傾げた。目が泳いでいるし、落ち着きなく肩が揺れている。


「……危ない目なんてあってませんよ?」


 リリィにまっすぐに見つめられたリリアは、上ずった声でそう答えた。


「……本当に、嘘つくの下手よね」


 リリィは視線を強めた。


「……その件はもう解決したので大丈夫なのです。リリィおじょ……お姉さまが心配すると思って黙っていました。ごめんなさい」


 しゅんとした顔をして、リリアが俯いた。


「言っておくけど、この子が危険な目にあったのは君のせいだからね」


 王子様が真顔でリリィに言った。決して強い口調ではないのに、リリィの体は大きく震える。……怖い。カタカタと小さく震え始めたリリィの様子を見て、アーサーは、しまったというような顔をして、幼い子に向けるような優しい笑顔を浮かべて諭すように言った。


「……あまり男性を甘く見てはダメだよ。君も気を付けること。いいね」


「……はい」


 何となく心当たりはある。面白がってリリアに身につけさせたあざとい仕草のことだろう。あれが、リリィが思っていた以上の効力を発揮してしまったようだ。リリィもしゅんと俯いた。


 目の前でくすくすと笑う気配があって、リリィは目を上げる。


「ああ、そういうことか。ルークがこのまま閉じ込めておきたがる気持ちもわかるな」


「……えっと?」


 リリィは自分から引きこもっているし、リリアはちゃんと外に出ている筈だ。何故閉じ込められているという話になるのだろう。


「うん、可愛いね」


 アーサーが、明らかに小動物を見る目をして優しく笑う。ぼっとリリィの顔が真っ赤になった。リリアの方は不思議そうな顔をしてはいるが、平然としている。


「さて、そろそろ準備もできたし、僕も……覚悟を決めようか……」


 応接間の様子を見まわしてから、王子様は何故かものすごく憂鬱そうな顔になった。


「……面倒だな、このまま帰りたい」


 アーサーが恐る恐るといった感じで、入り口の方に顔を向ける。その視線を追って、揃って首を傾げる二人の令嬢の姿を見て、何故かソフィーが胸の前で手を組み、目をきらきらさせている。


「兄上っ」


 バタバタという足音が近付いてくる。部屋の外からアレンの声がした。王子様の顔がひきつった。


「だから殿下と呼べって言ってるでしょう」


 ルークが怒っている声がする。まだ二人の姿は見えない。


「兄上は私の事をまだ……」


「だから、それをやめろと言っているっ」


 大変珍しいことにルークの口調が荒れている。リリィの目の前の王子様は、ばっと入り口から顔を背けると、今度は窓の外を眺め、椅子の背に頬杖をつき、ああ面倒くさいなという表情をした。


「あら、アレンさま、お久しぶりですね」


 ソフィーと呼ばれていたメイドが、朗らかな声でそう言いながら、応接間の外に出ていく。アレンとルークの前に立ちはだかったのだろう。


「先日、アリスさまが、三人目のお子さんを出産されました。念願の男の子だったので、アレンと名付けようとなさったのですが、僭越ながらわたくしが、アレンさまがキリアで何をしたのかお伝えしたところ、大変憤慨されまして、『そんな子に育って欲しくないからやめるわ』とおっしゃっていました。それでも殿下に合わせる顔があるならどうぞ」


 応接間に戻って来たのは、ソフィーだけだった。

 何というのか、とても晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。


「泣きながら戻って行かれました」


「……ソフィー、容赦ないね」


 アーサーは苦笑していた。


「色々腹が立っておりましたもので。これでしばらく静かになるでしょう」


 ソフィーはしてやったりという顔で笑った。王宮でも思ったが、無表情で仕事をしている時は声をかけるのもためらわれるほど取り澄ました様子だったのに、素は明朗な女性のようだ。


「……アリスさま?」


「……ああ、失礼いたしました。アリスさまは、アーサーさまの昔の婚約者候補だった方です。アレン様が第一王子のハーヴェイ殿下にナイフで脅されていたのを助けようとして、怪我を負ってしまわれたのです。領地に戻って静養されていたのですが、数年前に幼馴染の方とご結婚されて、今は三人の子供のお母さんでいらっしゃいます。因みにアレンさまの初恋のお相手です」


 状況がわからないリリィとリリアのために、ソフィーがそう説明をしてくれた。

 つまり、初恋の相手に三人目の子供が生まれて、自分の名前をつけてもらえそうだったのに……不誠実な行動が露見したばかりか、『そんな子に育って欲しくない』とまで言われたと。……しばらく立ち直れまい。ざまぁみろ。


「……アリスさまのお怪我は酷いものだったのですか?」


 恐る恐るという感じでリリアがソフィーに尋ねる。その言葉に、リリィもはっとした。

 顔色を悪くした二人の令嬢を見て、アーサーは安心させるように微笑みかけた。


「……怪我自体は少し腕を切ったくらいで、そこまでひどくなかったんだよ。ただ、アリスはものすごく正義感の強い子でね。その場でハーヴェイを徹底的にやり込めてしまったんだ。相手は一応あんなんでも第一王子だし、しかも、エメラルドグリーンの目を持つ子供は成長がゆっくりだから、ハーヴェイは外見上アリスよりかなり幼かった。大柄な少女が泣いている幼児をものすごく乱暴な口調でいじめているようにしか見えなくて、そこが問題になってね。それで領地に戻されたんだ。……結婚して今は幸せらしいから、良かったんだよ。あのまま王宮にいたら潰されてた」


 どこか昔を懐かしむような目をして、婚約者候補の思い出を語るアーサーの姿に、リリィは胸が締め付けられる。


「アリスは、アレンを弟……というか、妹みたいに可愛がってた。名前が似てるから私たちは姉妹よねとか言ってたな。ドレス着せてみたり髪の毛結んでみたり……楽しそうだったな……アレンを着せ替え人形にして遊んでた」


 ……何か話の方向性がおかしくなってきたぞとリリィは思った。穏やかだった筈のアーサーの表情がだんだん険しくなってきているからだ。眉間に皺が寄ってきている。


「その可愛らしい二人のお姫様の面倒を、外見上は一番年下に見えるアーサー殿下がみていた訳ですよ」


 ソフィーも少し困ったような顔をしている。……いや、二人のお姫様ではない、ですよね……? 


「ドレス着ている時はアリスの妹として扱えとか、ちゃんとお姫様扱いしろとか、二人して迫ってくるんだよね……自分より体の大きな二人が。ちゃんとお姫様扱いしたよ? アリスが領地に帰ってくれた時は正直ほっとした。ついでにアレンも持って帰ってくれないかなと思ったな。アリスがいなくなったらアレンは情緒不安定になるし、ハーヴェイはますますアレンをいじめるし、もうめんどくさい事この上なかった。それで、アレンをライリーに押し付けることが決まったんだ。今思えば全部アリスが悪いんじゃないのか? 本当に、あいつが領地に帰る時にアレン押し付けとけばよかったな……」


 ……あ、なんだか思ったのと違う。リリィは胸の痛みが消えるのを感じた。


「アリスは君に似てるところがあった。物事をはっきり言うところとか、本当はものすごく弱いのに強がろうとするところとか」


 ……それは褒め言葉なのだろうか。あまり嬉しくない。

 でも、王子様は遠い記憶の中の少女を見るのではなくて、リリィをちゃんと見ていてくれているのがわかるから、今度は心臓がどきどきし始める。あれ、おかしいな何か感情のふり幅が大きい。小さなことに一喜一憂して、目の前の男の人が微笑んでくれるとふわふわした気持ちになる。


「言われてみれば、確かにそうですね。雰囲気がよく似ておられます。……ふふっ、アリスさまは、片手にドレスを着たアレンさま、片手にアーサーさまの手を握って、二人を引きずって歩くような豪快な方でした。……なのでご安心くださいね。決してアーサーさまにとっては素敵な初恋の思い出ではございませんので」


 ソフィーがリリィにいたずらっぽく笑いかける。彼女が何を伝えようとしたのかわかったリリィは、恥ずかしさに頬を染めた。「あらかわいらしい」とソフィーが呟いている。


 アーサーはその頃のことを思い出したのか、本当に嫌そうな顔をしていた。が、ふと目を上げて、にっこりと笑った。


「アレンはちゃんと君と向き合えば、君を好きになると思う。……と、いう訳で、アリスの代わりにアレン引き取って一緒にダージャ領に行ってくれないかな。着せ替え人形にしてもいいから」


「いやです」


 リリィは即答した。


「……そう。残念だ」


 大して残念でもなさそうに言って、アーサーは椅子から立ち上がった。


「戻られますか?」

 

 ソフィーが尋ねると、「目的は果たしたしね」と小さく頷いた。


「ここに用意したのは僕から伯爵家へのお詫びの品。ゆっくり楽しんで。僕はライリーたちに挨拶して帰るよ。……あと仕方ないからアレンにもちらっと顔見せてくる。嫌だけど、このままにしておくと余計にこじれる。……嫌だな」


 深く深くため息をついた。


「アレンのことは本当は嫌いじゃないんだよ。ただ……もう鬱陶しくて面倒くさい。昔みたいに構って欲しいのはわかるんだけど、自分より背の高い成人男性に子供の頃みたいに懐かれても暑苦しいだけなんだよね……周囲の目もあるしさ。アレンが僕のことを兄上と呼ぶのを許せない人間も大勢いる。いい加減弁えてほしいし、そろそろ自立してほしい。今回のこともちゃんと叱っておくから。……ごめんね。弟が本当に迷惑をかけたね」


 そして、王子様は何というのか、手のかかる弟の話をするお兄さんの顔で笑ったのだ。今日だけでこの人の色々な一面を見た。リリィが知らない顔をこの人はいくつ持っているのだろう……

 アレンがこの人に懐く気持ちがリリィにはよくわかる気がした。包容力のある人だ。この人の近くにいれば、どんな悪意からも守ってもらえそうな気がする。きっと、アレンもリリィも心が弱いから、優しい人にそばにいて手を引いてもらいたいのだ。


「せっかく準備ができたのに、食べていかれないのですか?」

 

 リリィは思わず縋るような目をして引き留めてしまった。もう少し話がしたかった。ここで別れたらもう次いつ会えるかなんてわからない。……この人が望んでくれない限りは。


「寂しい?」


 からかうようにそう問われて、リリィは頷く、そのまま顔を上げられない。


「……素直な子だね」


 大変機嫌の良さそうな声が頭の上からする。やはりもう帰ってしまうようだ。


「僕ものすごく太りやすいんだよね。体調によっては紅茶飲んだだけでも太る。だから基本的に間食はしない。因みにアレンもかなり太りやすい。ルークや使用人たちが徹底的に食事管理してるからあの体型を維持できてるだけ。ほうっておいたら、どんどん太るよ。一度太らせてみてもいいんじゃない?」


 なるほど、それは良いことを聞いたととリリィはもう一度頷いた。体型が変わってしまった運命の人をお姫様は愛し続けることができるだろうか。

 無理矢理そんな風に考えて意識を切り替えようとするけれど……寂しくて苦しい。心臓が痛い。王子様が手の届かない場所に行ってしまうことが……とてもかなしい。


「……時間ができたら君の従兄に伝えるよ。外はとても怖い所だけど、この温室から出て、がんばって会いにおいで。そうしたら勉強を教えてあげる」


 頭の上で優しい声がした。はっとしてリリィが顔を上げると、優しく微笑んでいる横顔が見えた。


 リリィの王子様はそのまま一度も振り返らずに去っていった。

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