31 ルークと王子様。
「確認お願いしまーす」
「すみませんそこに置いておいてください」
王宮の敷地内にある近衛師団司令部。近衛歩兵第二中隊隊長室の脇にある、急ごしらえの狭苦しい書記室で、ルーク・キリアルトは目も上げずにそう言った。ただでさえ狭いのに、大の男たちが廊下まで行列を作っているからますます狭い。
机の横に立っていた軍服姿の青年は、机の上に置かれた木箱の中に分厚い帳簿を入れると、背後の行列を見て苦笑を浮かべてから去っていく。続いて彼の後ろに並んでいた、女性事務官が意を決したように息を吐くと、一歩前に進んだ。
「あ……あの……申し訳ないのですが……」
緊張した面持ちで恐る恐る声をかける。
「大変申し訳ないのですが前置きはいいから用件だけお願いします」
何の感情もこもらない声でルークはそう返した。
「あの、えっと……ですね」
「お嬢さんこちらへ」
向き合った机で事務仕事をしていた上官のマックスが見兼ねた様子で立ち上がった。女性事務官を手招き自分の机の前に誘導する。叩き上げの軍人であるマックスは、いかつい顔の大柄な男性なのだが、彼女は露骨にほっとした顔をした。順番待ちしていた次の男性が一歩前に出る。
「すみません、備品のナイフの数、やっぱり違っていました」
「足りなかった一本は見つかったんですね?」
「はい……」
「なら問題はありません。詳細は隊長に報告してください」
今度は窓の外から声がかかった。
「第三備品倉庫の棚が倒れましたーっ」
「誰かその辺たむろしている手の空いてる者三人くらい集めて片付けに行ってくれ」
ルークが口を開くより先に、向かいの席から野太い声が飛ぶ。
「はいはい、自分、見てきまーす」
箱に帳簿を入れて部屋から出ようとしていた青年が、明るい声で引き受けた。
「ルーク、彼女の要件は儀仗任務の配置案の差し戻しだ」
次に机の前に来た青年が声をかけるより先に、女性事務官から事情を聞いたマックスが力なくそう言った。
「再来月のやつだな。……第二歩兵小隊どこいったんだよこれ」
ぼそりと小さな声が耳に届く。またかと思いながらルークは小さくため息をついた。
「……後で確認します」
「いい、こっちでやっておく……ったく、何回目だ……」
マックスが口の中でぼやいている。彼が怒るのも無理はないので、ルークは聞こえないふりを決め込んだ。
「隊長の護衛当番表の確認お願いします」
ようやく声をかけられる順番が来たと勢い込んで、最前列の青年が声を張った。
「今忙しいので直接本人に頼んでください」
「ずっといないんですよ」
「申し訳ありませんが、今すぐは無理です」
「……無理」
縋るような目を向けられたマックスが、首を横に振る。
えーっと言いながらも、背後の行列をちらりと見て青年は諦めたらしく、机の前から退いた。
「隊長ずっと戻って来ないんですよ……どこに行ったんですかね?」
どことなく不安げな声に、ルークの手が一瞬止まる。どうして今日に限ってこんなに行列ができるのかと思えば、アレンが全然戻ってこないからか。そういえば朝から一度も姿を見ていない気がしないこともないが、忙しすぎてよくわからない。
「法務部に行ってる」
うんざりした声が聞こえてきた。
「おまえが今書いている始末書の件で、ダニエルと一緒に事情を聞かれているんだろう。ところで……殿下来てるぞ」
「何番目ですか?」
再び手を動かしながら、ルークは尋ねた。
「当然二番目」
「用事ないので帰ってもらいます」
やはり目を上げることなく、ルークは冷淡に言い切った。
「いや、用事あるの僕なんだけどさ」
成人男性にしては高めの声が、すぐ隣からしたが、ルークは気にしなかった。
「今忙しいので後にして下さい」
「君さぁ、不敬罪って知ってる? ついでに抗命罪ってのも知ってる?」
そういえば王族だったなと思ったが、昔から敬意を払っていた覚えはないので今更だ。とにかく一刻も早くこの始末書を仕上げたい。抗命罪で降格されても文句は言わないから、邪魔をしないでいただきたい。
「狭いので後にして下さい。手が空いたら伺いますので」
「君ずっと忙しいし、なかなか手は空かないし、狭いのは僕だけのせいじゃないよね。ついでに言えば、僕も相当忙しい。この後全く時間が取れない。……あと、始末書は本人に書かせなきゃ意味がない」
書きかけの書類が、するっと手許から逃げる。むっと眉を寄せてルークは顔を上げた。椅子の傍らに、将官のみに許される軍服を着た少年が立っていた。彼は指でつまんだ紙をぽいっとばかりに後ろに投げ捨てる。マックスが慌てて、ひらひら風に舞う一枚の紙を捕まえに走った。
短気で癇癪もちと言われる第二王子のアーサーは、エメラルドグリーンの瞳をゆっくりと細めた。日々鍛錬を怠らない彼は、王族の中で唯一細身で、きれいな顔立ちをしている。外見は十代後半の少年のようだが、実際の年齢は三十を超えている。……エメラルドグリーンの目を持つ王族は背が低く太りやすい代わりに、老けにくいのだ。現国王も年齢よりかなり若く見える。
「ちょっと休憩しようか、ルーク。……因みにこれ何かわかる?」
第二王子はそう言って、ルークの鼻先に一通の手紙を突き付けた。見覚えのある封蝋だ。ルークの眉間の皺が一層深くなる。
「そう、君の大切な双子の子うさぎの兄さんが届けてくれたお礼状。……で、君の子うさぎを、厄介な害獣から守ったのは誰だったっけ?」
「その節は大変お世話になりました。感謝しております。忙しいのでお帰り下さい」
完全な棒読みでルークが言うと、第二王子はにやっと笑った。
「もう一匹の子うさぎの婚約の話について聞きたくない?」
「……すみません、十五分で片付けてきます」
ルークはため息をついて立ち上がった。マックスは拾った書きかけの始末書に目を通しながら手を振る。
「ええぇえええー」
その途端、行列から不満の声が上がる。「横暴です」「ひどいです」「ずっと並んでいるのに」「横入りはずるいです」等々の声が上がった。
第二王子はわざとらしく目を閉じて耳を塞いでみせた。聞こえませんということらしい。しかしすぐに耳から手を離すと、やれやれというように肩を竦めてみせた。
「……はいはい。仕方ないから僕が君たちの大事な隊長を迎えに行ってくるよ。いい加減長すぎる。戻って来てから並びなおしね。……時間がもったいないから各自解散」
何故か拍手が巻き起こった。




