21 婚約者は別の人の運命の相手らしい。
「エミリーお嬢さまってのは、キリア自治区でも有数の資産家の娘さんだ。母親は後妻でな。親子くらい年の離れた異母兄弟が六人いる。末っ子で、しかもあの通りの美少女だ。とにかく周囲に甘やかされて育ったらしい。ああ見えてリリィさまとリリアさまより二歳年上だ」
「嘘でしょ……」
リリィは呆気に取られた。あれで年上なのか。てっきり同じか少し下だと思っていた。
「キリアは工業立国である帝国との境目だから、むこうから新しい機械や文化なんかもどんどん入って来ていて、ある意味王都より発展している。ここよりずっと自由な気風だ。あっちの金持ちはすごいぞ。お金の使い方が半端ない」
ロバートの話を要約するとこういうことだ。
大きな港があるキリア自治区は、昔から商人たちの街として栄えていた。
近年、機械化と船の大型化による輸出の増加で、キリアにはどんどん金が流れ込んできている。成り上がった商人たちは田舎の土地を買い漁り、農業大国から技術者を連れてきて、農地改革に努めた。結果、飛躍的に生産量は上がり、穀物の輸出が本格化することとなった。港の需要はますます高まり、キリアは大陸屈指の商業都市となったのだ。
キリア自治区には爵位はないけど、お金は有り余っているような資産家がゴロゴロいるのだという。そんな大金持ちの箱入り娘がエミリーだった。
キリアは商人の街であるため、ロバートの言うように、自由な気風だ。それは恋愛にも言えるらしい。エミリーの両親は、キリアの資産家か大商人の息子とお見合いさせて、彼女が気に入った男性と結婚させるつもりだった。
――ところが、エミリーは出会ってしまったのだ。彼女曰く『運命の人』と。
比較的治安が良いとされているキリアでも、資産家の子女が身代金目的で狙われることは多い。誘拐から子供を守るためにナトンのような護衛を雇うのだ。ところが、我が儘で自由で世間知らずのお嬢さまは、ある日、護衛を連れずに、侍女二人を伴って徒歩で外出しようとして……屋敷を出て数分後には誘拐されそうになったのだという。
馬車に詰め込まれそうになっているエミリーを助けたのが、アレンだった。
アレンはキリア行きが決まった直後で、ルークと一緒に観光を兼ねて現地の様子を見て回っている最中だったそうだ。
アレンは、あの通りとても顔が良く、人当たりもいい。エミリーお嬢さまは一目でアレンを気に入ってしまった。アレンが駐在員としてもうすぐキリアにやって来ると知るや否や、両親に頼み込んで、お礼をするという名目で家に招待した。その時はルークも一緒だったそうで、その時はただ食事をして別れただけだったそうだ。
――しかし、その食事会で彼女は確信してしまった。アレンこそ自分の運命の相手だと。
エミリーお嬢さまは即行動を開始した。彼女は無駄に行動力があった。アレンに毎日贈り物を届け、観劇や食事に誘った。断られても断られても健気に誘い続けた。
エミリーの家族は心配したが、アレンの人柄や、王族の血を持っており、その意味をきちんと理解していること。そして何より婚約者がいるということで、そう簡単に間違いは起きないだろうと思っていたのだそうだ。それでも、家族は毎日のように、アレンには婚約者がいると言い聞かせていたらしい……が、その婚約者の言葉の意味がエミリーお嬢さまにきちんと理解できていたかは疑問だった。
そして、アレンの方はといえば、多分最初は、毎日届く高価な贈り物を突き返すこともできず、もらうばかりの罪悪感から、一度だけならと食事の誘いを受けたのだろう。一度受けてしまうと断り辛くなる。エミリーはあの通りの純真な美少女だ。キリアを案内してもらうという名目で数回会う内にすっかりその魅力にはまってしまったらしい。着任二週間目にして、日中ぼんやりすることが増えたのだという。
その辺りで、これはちょっとおかしいぞとお目付け役のルークが気付いて、トマスに連絡したらしい。
――そして、一ヶ月後には二人は恋人同士になっていた。動き出したらとまらないのが恋だった……訳ではなく、ルークが所用でどうしても三か月程王都に戻らねばならなくなったからだ。
ルークがいなくなったことで、アレンはエミリーに気兼ねなく会うことができるようになり、二人はますますお互いにのめり込んでいった。
エミリーの家族も、はらはらしていたようだが、やはり末娘可愛さに強い態度には出られなかったようだ。その頃になると、もし、アレンが婚約を解消して自分の娘と結婚してくれれば、王家やリルド侯爵家との縁ができる。そういう打算も働き始めたのだろう。……しかし、それは商人の考え方だ。王都の貴族社会では通用しない。
――ガルトダット家の娘とアレンの婚約は、リリィたちが生まれる前に、すでに国王によって承認されている。だから、アレンはガルトダット家の娘の『婚約者』を名乗れるのだ。国王が大した理由もなく承認の取り消しを行える訳がない。
そもそも、簡単に解消できるなら、ガルトダット家が没落した時点で白紙に戻っている。
エミリーとその家族が楽観的に考えていたとしても、アレンの方は『婚約者』の意味をきちんと理解していたはずだ。……それでも、彼はエミリーの気持ちに応えてしまった。
――アレンがキリア自治区に駐在して二か月。
ルークに留守を任された部下から、これはまずいといった内容の手紙が、トマスの許に届いた。
伯爵家では緊急家族会議が行われた。……その場にリリィとリリアは呼ばれなかった。
ただ、勘の鋭いリリィは兄と母の様子からこれは何かあるなと感じ取り、眠ったフリをして周囲を安心させ、母と兄とキースが居間に集合したのを階段の上から確認するや否や――居間に乱入した。
そして、固まっている兄が持つ手紙をひったくり、読み終わった瞬間にビリビリに破った。多分、リリィが今まで生きて来た中で一番怒りを覚えた瞬間だった。
リリアは少し離れたダンスホールでワルツのレッスンを受けていた。教師が手を叩いてリズムを取る音が、風に乗って聞こえてくる。それを聞きながら、リリィは紙屑となった手紙を宙にほうり投げた。紙屑はちょうど吹き込んだ風に乗って部屋中に舞い散った。掃除をすることになるキースが涙目になっていた……
イザベラはもう少し様子を見るべきだと言ったが、もともと、この婚約に思う所のあったトマスとリリィは、徹底的にリリアからアレンを遠ざけることにした。
――父親である先代ガルトダット伯爵と全く同じ行動を取り始めたアレンを、トマスとリリィはどうしても許せなかったのだ。
ルークはルークでキリアに戻ってアレンの監視を強化したが、障害が多ければ多い程燃え上がるのが恋である。しかも、有能なルークはアレンより忙しい。仕事に忙殺されるルークの目を盗んで、二人は逢瀬を重ねていた。
結果――アレンはエミリーとの恋に溺れ、リリアはアレンの存在をすっかり忘れた。
(……あれ、結局私たちも悪いのかしら?)
リリィはちらりとトマスの様子を窺った。トマスは素知らぬ顔で紅茶を飲んでいた。キースは咎めるような目で二人を見ていた。明らかに、おまえたちのせいだと言っていた。
(……まぁ、でも、リリアはもともと、アレンに全く興味なかったからなぁ)
だから、アレンのことを忘れるのも早かった。きっと自分たちは悪くない。
そういえば、ルークからの手紙もついでとばかりに隠したら、早々にルークにバレて、静かに怒られた。あまりの怖さに泣いて謝った。でも、アレンからの手紙をちゃんと渡すようにとは言われなかったから、そのまま隠し続けた。
先日とうとうそれもルークにバレて、やはり怒られた。「確認してなかった自分も悪いですからね……」と、ルークは言った。しょうがないなぁという目をしていたので、あまり怖くなかった。
「アレンさまは……まぁ、恋人とはいえ、ままごとの延長のような感じで接していたらしい。あの通り、精神的に幼い感じのお嬢さんだったし、寄り添って歩くくらいがせいぜいだったみたいだ。伯爵家に対する罪悪感もあったんだろうさ。……でも、駐在二年目くらいでリリアさまが社交界デビューして、結婚が現実味を帯びてきた。だから、アレンさまはエミリーお嬢さまに別れを告げた……んだがなぁ、彼女はせめてキリアにいる間だけは自分の恋人でいて欲しいと泣いて懇願したそうな」
「それで、ずるずるそのまま引っ張って、いざ王都に帰ることが決まったら、結婚するからさようならって? どうなのよそれ」
リリィの目が怒りで吊り上がる。
「まぁまぁ。そう怒りなさんな、どっちの味方なんだよ。……で、リリィさまの言う通り、一旦二人は別れたんだがなぁ……エミリーお嬢さまがアレンさまを諦められなかったんだよな?」
ロバートは、話を護衛のナトンに振った。
「思い詰めたお嬢さまは、もう何をするのか自分たちにも想像がつきません。さすがにこのままでは、リルド侯爵さまのお怒りを買うようなことになりかねないと気付いた旦那様は、すぐに使者をお出しになりました。リルド侯爵様からは『ほうっておけ』と。アレンさまがエミリーお嬢さまを選ぶならそれもよし。しかし、これは王家の血の問題にも関わってくるので、陛下には報告すると。旦那様は倒れて寝込んでしまわれました」
ロバートがやれやれというように肩を竦める。
「侯爵さまは別に脅すつもりはなくて、本心で言ってたんだけど、相手はまぁ負い目があるから悪い方に取るわな。……で、侯爵様はちょうど帰国してた俺に様子を見て来いと。俺がエミリーお嬢さまを訪ねて行ったら、トランク持って家出しようとしてた。家族が泣きながら止めてたな」
「お恥ずかしいところをお見せいたしました」
「とりあえず、その日は俺がお嬢さまを物で釣って、その場はおさまった。そしたら、次の日、俺のところに王家からのお使いの人がお手紙を届けに来て……。俺はガルトダット家に向かうことになった訳だ」
「その王家からのお手紙のせいで、エミリーお嬢さまは、何も知らされぬまま列車で王都に向かい、私は寝てる間に誘拐された訳ね」
リリィが確認するように尋ねると、ロバートは頷いた。
「あの方は、アレンさまに最後のチャンスを与えたつもりだったんだろう」
あの方というのは、リリィが王宮で会った、エメラルドグリーンの瞳の男性のことだろう。
「だったらなぜ、誘拐されたのがリリアじゃなくて私になったのよ。ロバートわざと間違えるように誘導したでしょう?」
「どっちでも良かったんだよ。アレンさまには『恋人と婚約者が王宮に連れて行かれました』って伝えれば良いんだし。ただ、誤解があるようだから言っておくけどな、俺は寝てる方がリリアさまだって言ったんだよ。そうしたらあの夜に限って、リリアさまが起きてて、リリィさまが寝てたという訳だ」
そういうことか、本当にあの夜に限って……だ。リリィはメイジーに言われて、たまたま早めに就寝していた。
「だからアレンはあの場にいたのが私だと気付いてびっくりしてたのね。……でも、まぁ、部屋に入って来て最初の言葉が『エミリー!』だったもの。ホントどっちでも良かったのよ。一緒に攫われた婚約者のことなんか眼中になかったもの。さすがに傷付いたわよ」
やれやれという顔をして、リリィは肩を竦めて見せた。
「……アレンさまは気付いてないだろうけど…………終わったな」
ぼそりとロバートは言った。リリィは聞かなかったことにした。アレンの今後の処遇なぞ知ったことではない。一度痛い目をみればいいのだ。
据わった目をしているリリィを見て、ロバートは苦笑した。
「病弱な方が連れて来られたと知って、あの方は激怒してたらしいけどな。病気が悪化したらどうするんだって。まぁその病弱な方は、病弱を言い訳にしてずっと寝てたらしいけど」
リリィは短い脚を振り上げて踊るように激怒していた男の姿を思い出す。彼はリリィのために一生懸命怒っていてくれたらしい。……まっ平な娘とか言ったけど。
……そうだった。まっ平。
「……ロバート、あなたひょっとして、私とリリアの見分け方、まっ平か、まっ平じゃないか、みたいなこと言った?」
その言葉を聞いた瞬間、その場の全員が固まった。
「ん? 何で知ってるんだよ。でも仕方ないだろ。髪も目も同じ色。顔もそっくり。背も同じくらい。目立つほくろとかがある訳でもないし。全然知らない人が見分けようとすると、コルセットしてるか、してないかくらいしか……」
「キースっ。何か的になるもの探してきなさいっ。仕方がないとはいえ、言い方ってもんがあるでしょう。なんてこと王族に言わせてんのよっ」
「なんであの方がそんなこと言う羽目に陥ったんだよ」
心底不思議そうな顔でロバートが言った。
「あなたのせいでしょうよっ」
リリィは、真っ赤な顔で叫んだ。
キースは厨房からボロボロの丸い籠を持ってくると、ぐるぐる巻きのロバートを立たせ、黙ったまま壁際に誘導した。そして、持っていた籠をロバートの頭の上に置いた。トマスはロバートの反対側の壁際に立つと、笑顔で胸元から仕込みナイフを取り出した。イザベラは微笑んでジョージに紅茶のお代わりを要求した。止める気はないようだった。ナトンだけがおろおろとしていたが、イザベラにお茶を勧められて、何故か頬を赤くして頷いていた。
「大丈夫。動かない的なら外さないから」
ナイフを構えながらトマスは目を細めた。
「――だけど、危ないと思ったら自力で避けてね。ロバート」
「壁に目立つ傷はつけないこと」
イザベラはティーカップを持ち上げながらそれだけ言った。




