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13 婚約者は恋をしている。


「一年間の猶予をあげるから、よく考えなさい」


 王都に戻った時に、アレンはリルド侯爵からそう告げられた。


 リリアが社交界デビューをした後、アレンがキリア自治区から王都に戻されたのは、王室婚姻法に則って、彼女と婚約するためだ。


 アレンは王室を抜けたとはいえ、王族の血を引いている。この国の法律では、王家の血を持つ者の婚約には国王と貴族議会の承認が必要となる。『王家の色』と呼ばれる、エメラルドグリーンの瞳を守るためだ。

 王室婚姻法により、婚約は婚姻とほぼ同等の扱いとされるから、一度婚約してしまうと必ず結婚しなければならず、離婚には数年かかる。


 アレンとガルトダット伯爵家の娘との婚約は、リルド侯爵が議会の承認を求める手続きを行っていないため、現在宙に浮いたままだ。


 キリア自治区でのアレンの行動は、当然侯爵の方に逐一報告されていただろう。だから、恐らく侯爵はアレンに気持ちを固めるための時間を与えてくれたのだと思う。





 私邸に戻る馬車の中でアレンはぼんやりと物思いに沈んでいた。


 実は……リリアには、幼い頃から彼女がずっと望んでいたように、リリィの侍女になるという道も用意されていた。イザベラは彼女に貴族令嬢としての教育を受けさせたが、大きくなった時、伯爵令嬢として生きるかリリィの侍女として生きるかは、本人に選ばせるつもりだったのだ。


 ――侍女となる夢を奪ったのはアレンだった。 


 アレンは将来ガルトダット伯爵家の娘と結婚することが決まっていた。だから深く考えることなく、リリアの方を婚約者に望んだ。単純にリリィより自分に懐いていたから、という理由だった。


 リリアはトマスにもキースにも、そして、ルークにも懐いていた。『キースお兄さま』『ルークお兄さま』と彼女が呼ぶ度に、お兄さまと呼んでもらえないトマスが複雑そうな顔をしているのが面白かった。……キースとルークは同じ使用人側だったから、彼女は躊躇いなくお兄さまと呼ぶことができた。ただそれだけのことなのだが。


 一方のリリィは、初対面の時からアレンのことをあまり快く思っていなかったようだった。挨拶をした途端に、いきなり睨みつけられた時には、さすがにムッとした。七つ年下の子供相手に大人げないとすぐに自分を戒めたが、第一印象はすこぶる悪かった。 

 

 リリィとの対面後、アレンが面白くなさそうにしていたのに気付いたのだろう。リルド侯爵は困ったように微笑んで言った。


「リリィはとても素直だからなぁ。兄以外の男性にどういう態度を取ったら良いのかわからなくて、あんな風になってしまったんだろう。許してやってくれ」


 しかし、その後も、リリィの態度は悪化の一途を辿った。アレンが伯爵家を訪ねると、リリアは笑顔で出迎えてくれたが、リリィの方は挨拶にさえ出てこないことが多かった。出てきてもすぐに眠ってしまった。自由気ままに振る舞う彼女が、正直あまり好きではなかった。自分のやりたいことしかしない。周りのことなどお構いなしの、扱いにくい我が儘な子供だと思っていた。


 ただ、ルークはリリィをいつも庇っていた気がする。

 「ちゃんと向き合ってみてください」「話しかけてあげてください」「リリィお嬢さまはアレンさまが思っているような子ではありません」そう何度も何度も言われたが、向き合おうにも相手が眠っているので無理があった。

 リリィはルークにはとても懐いていた。それは彼が何でも言うことを聞いてくれたからだろう。自分はあそこまで自己犠牲的にリリィに接することはできそうもなかった。


 ――だから、アレンは婚約者にリリアを選んだ。周囲も、それはそうだろうなと納得していたと思う。


 けれど、リリアのアレンに対する気持ちは、色に例えるなら真っ白だ。悪意もないが、興味もない。


 三年間一度も会わせてもらえず、手紙さえ渡してもらえなかったのだから、リリアにとってアレンがもうすっかり過去の人になっていたのは仕方のないことだ。

 手紙を隠された件も、よくよく考えてみれば、イザベラが気付いていなかった筈がない。その上でリリィを止めなかったのならば……そこには不誠実なアレンを糾弾する意味が込められていたのだろう。

 現に、ルークの手紙はちゃんと彼女に届けられていたようだし、返事も来ていたのだそうだ。それは先日ルークに直接確認した。

 リリアからの返事が来ないことを不審に思ったルークが、直接リリィを問い詰めたらしい。「リリアさまは、手紙を平気で無視するような方ではありませんから」と、彼はあきれ顔で言った。そんなことにも気付かなかったのかと、水色の目は言っている気がした。


 もしかしたら、アレンは試されていたのかもしれなかった。でも、恋に溺れていた自分は気付かなかった。


 ――リリアから返事が来ないのは、社交界デビューするための準備で忙しいからだろう。でも、だからと言って、これは失礼なんじゃないかと勝手な理屈で非難して、だけど、直接理由を問うことはしなかった。

 これ幸いと思っていた部分はあった。返事が来ない事に安堵している自分がいた。罪悪感が薄れるから。

 そのくせ、こちらからは毎月欠かさず手紙を送っていた。結局免罪符が欲しかっただけだ。自分はちゃんとあなたを気にかけている。そういう証拠を残したかった。


 ……そうやって自分を正当化しながら、王都に戻るまでという期限付きの恋にどんどんのめり込んでいった。


 別れを告げた時、泣き崩れた恋人の姿が脳裏に焼き付いている。

 忘れなければ、と思う。……忘れようと努力している。


 それでも、リリアと一緒にいる時、ふとした瞬間に思い出すのだ。

 彼女はもう少し背が高かったな、とか、纏っている香りが違うな、とか。

 声も、もう少し高かった。喋り方は似ているのに、彼女の方が幼い感じがした。

 ああ、この魚料理は彼女がとても好きだった。温かい内に食べないと味が落ちてしまうのに、お喋りに夢中になって、すっかり冷めてしまったのに気付いて肩を落としていた。

 この冷果は、彼女の家の中庭で食べた。あの日は風が強くて、これでは帽子が飛んでしまうと、彼女は困った顔で笑って……


 ――自分はひどい男だ。


 メイジーに連れられ応接間に入って来たリリアを見て、『うわっ、化けたな』とキースが驚愕していた時、アレンは、何がどう変わったのか正直分からなかった。リリアを見ているようで、彼女の顔の上に別の面影をずっと重ねていたのだと気付いた。


 だから、「とても綺麗です」としか言えなかったのだ。ルークとメイジーがものすごく冷たい目をしていたから、すべて見透かされていたのだろう。


 ――さすがにその時は、自分の不誠実さに気分が悪くなった。


「……どうして、どうして私を選んではくださらないのですか」


 菫色の瞳をした恋人の姿が、目を閉じた闇の中に浮かぶ。愛しい、恋しいと彼女は全身で訴えていた。

 アレンはその幻想に縋りつこうとする自分自身を叱責する。――キリアの自由な気風の中で育った彼女は、王都の貴族社会では生きてゆけない。


 リリアは、自分に恋をしてくれるだろうか。……彼女のように。

 アレンはふとそんなことを思った。




 私邸に戻ると、屋敷の奥から何やら言い争うような声が聞こえてきた。声を辿って応接間に行ったアレンは、呆気に取られた。

 そこには、箒を床に投げ出したまま、大声で泣き続けるメイジーと、途方に暮れたような顔で立っている執事の姿があったからだ。


「……おかえりなさいませアレンさま。出迎えもできず申し訳ございません」


 アレンの存在に気付いた執事が、気まずそうな顔をした。


「いいや、いいよ気にしなくて。……で、これはどういう……」


 状況? と続ける前に、がばりとメイジーが立ち上がってアレンに詰め寄った。涙でぐしゃぐしゃな真っ赤な顔が、アレンをギリっとばかりに睨みつけた。

 メイジーの剣幕に圧倒され思わずアレンは後ずさった。


「お嬢さまが、お嬢さまが、あんなに大きくなられて、あんなに立派なご令嬢にっ」


 うん……とアレンは頷く。ここはそうしなければならないと本能が告げていた。


「食事のマナーも美しく、些細な仕草から言葉の選び方、周囲の気遣いも完璧でいらっしゃいました……ものすごく努力されたのです」


 アレンは何となく一歩下がりながら、うん、ともう一度頷いた。確かにその通りだと思った。アレンから見ても、彼女の所作は、今までアレンが会ったことがある貴族令嬢の中で一番美しかった。


「それなのに」


「それなのに?」


 強要された訳でもないのにアレンは繰り返した。


「それなのに、アレンさまは何なんですかっ。昔から顔だけでしたが。ここまで腑抜けだったなんて。ずっと心ここに在らずで、ルークさまがいなければ会話もできず。もう、お嬢さまが不憫で不憫でっ。アレンさまにお嬢さまはもったいなさすぎます。メイジーから侯爵様に頼んでもっと相応しい方をご紹介いただきますっ。それか、ルークさまがお嬢さまに結婚を申し込んで下さい。ルークさまならメイジーも安心してお嬢さまを任せられます。身分差なんて侯爵さまがなんとでもして下さいます」


「……そうですね。リリアさまとなら結婚してもうまくやっていけそうです」


 いつのまにか、ルークがアレンの背後に立っていた。のんびりとした口調でそんな事を言うのだが、アレンには彼がどんな表情をしているのかわからない。


「では、そういたしましょう。アレンさまはとっとと駆け落ちでもなんでもなさって下さい」


 善は急げとばかりに、侯爵家に駆け込みそうなメイジーの腕を、焦った顔で執事が掴んだ。


「いや、母さん。ちょっと待って、ちょっと落ち着こう?」


 執事のジャックはメイジーの息子だ。自分より背の高い息子を引きずりながら、メイジーは歩き出す。


「アレンさま、ぼーっと見送ってないで止めてください。止まれって命令して下されば母は止まりますからっ」


 ジャックがアレンを振り返って叫んだ。メイジーの暴走を思わず他人事のように見守っていたアレンは、はっと我に返った。


「メイジー、止まってくれ。…………とりあえず、箒を片付けてくれないだろうか」


 アレンはちょっと悩んだ末にそう言った。 


 そこじゃないだろう。と、執事は顔を引きつらせた。


 メイジーは命令通り立ち止まると、ふんっとばかり体を捩って息子の手を払い落とす。そして、どすどすと歩いて箒を拾い上げると、一度も振り返ることなく厨房の方に消えていった。屋敷が揺れるようだった。ジャックが一礼して慌てて後を追いかけて行った。


「……ますます怒らせてどうするんですか」


 アレンのすぐ隣まで歩いて来たルークが呆れたように言う。軍服を脱いで、白シャツにベストとズボンという寛いだ服装だった。眼鏡を外し、上げていた前髪も下ろしている。そうすると、この男の印象はがらりと変わった。

 白銀の髪の隙間から覗く水色の目が、まっすぐにアレンに向けられた。その鋭さに思わずアレンはたじろいだ。


「わかっているとは思いますが、猶予は一年間です。それまでに決めてください。メイジーは私が止めてきます。……来年にはリリアさまは嫁き遅れのレッテルを貼られてしまいますよ」


 そう言って、ルークは立ち尽くすアレンの横を通り過ぎて行った。部屋を出る前に一度立ち止まる。


「――ひとつご忠告申し上げるならば、これ以上身内を敵に回すのはおやめになった方が良いと思います」


 怒りで低く掠れた声が耳に届いた。

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