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12 親睦は深まったらしい。


 夜になってから伯爵家に戻ると、トマスとリリィお嬢さまが玄関ホールで待ち構えていた。


 リリィお嬢さまがこの時間に起きているというのは本当に珍しい。きちんと髪を結い上げ、しかもコルセットを必要とするドレス姿である。キースは驚きのあまりあんぐりと口を開けてしまった。一体何年振りだろう。きっとイザベラは感激のあまり奥で泣いている。……明日世界は滅びるのかもしれない。


 リリアはお嬢さまが出迎えてくれたことが相当嬉しかったらしく、送り届けてくれたアレンそっちのけで、笑顔で二人に駆け寄って行った。子犬のようだとキースは思った。


「おかえり、リリア。綺麗にしてもらったね。うん。とてもよく似合ってる」


 ひょいっとリリアの顔を覗き込んで、トマスがにっこり笑う。


「本当、すごく素敵じゃない。今はこういう髪型が流行ってるの? すごく丁寧に編み込まれてる」


 リリィお嬢さまは髪型の方が気になるようで、両手でリリアの肩を持って横を向かせたり後ろを向かせたりして、編み込まれた髪をじっくりと観察していた。

 リリアは満面の笑みで、誇らしげに胸を張った。


「メイジーがやってくれたのです」


「……えっと、メイジーって?」


 大変気分が良さそうなリリアの様子に驚きながら、トマスがそう尋ねた。


「別荘で一緒に暮らしていた乳母なのです。メイジーはすごいのです」


 目をキラキラ輝かせてリリアはふふふっと笑った。ワインのアルコールも手伝ってか、近年稀に見る程彼女は浮かれていた。今にも踊り出しそうである。出掛ける前とは別人のようだった。


「とてもとても楽しかったのです。お嬢さまとトマスさまも一緒だったら良かったのに」


 そう言って、リリアはリリィお嬢さまにいきなりぎゅっと抱き着いた。そのまま頭を擦りつけて甘えている。……ダメだ。相当酔っぱらっている。

 リリィお嬢さまはまんざらでもなさそうだった。あれは多分、小動物に懐かれている感覚なのだろう。


 ……とりあえず、羨ましそうな顔をするのは今すぐやめていただきたい。キースは、どことなくそわそわしている様子のトマスに冷たい視線を送った。


「――で?」


 と、何故だか少し寂しそうな顔をしたトマスが、キースに向き直った。リリアのこのはしゃぎっぷりは酒精のせいばかりではないと気付いている様子だった。


「料理がすごく美味しかったです。あとルークさまが来てました」


 キースはちょっと考えた末にそう答えた。キースの印象に残っているのはその二点のみで、それ以上報告することは何もなかった。どれだけ思い返してみても、料理の感想が思いつくくらいで、それ以上何も浮かばなかった。……ポークパイが絶品だった。


「……以上です」


 自分はちゃんと仕事した。……多分。


「うん……ルークだね。そうだよね。――そっかぁ、おじいさま本気だったかぁ。アレンお疲れさま。帰っていいよ」


「……ルークがいたのね。うん。――おじいさま相変わらず策士だわぁ。では、アレンさま、ごきげんよう」


 トマスとリリィお嬢さまは、キースの背後にいるアレンに、揃って憐憫の眼差しを向けていた。悪意を向けられるより憐れまれた方がずっと屈辱的だろうなとキースは思った。……アレンが一体どんな表情を浮かべているのか気になったが、振り返って確かめるのは少し怖いような気もした。


 一体誰がルークをこの食事会に招いたのかと思えば、どうやらリルド侯爵だったらしい。

 トマスとリリィお嬢さまは何か思惑があるように言っているが、単純にアレンとリリアが二人きりだと間が持たないと思って、ルークに食事会への参加を命じたのかもしれない。……ルークがいてくれたお陰でキースは料理を食べることだけに集中できたので、何の文句もない。


 王都に戻ったルークは、軍の宿舎か侯爵家の街屋敷で寝泊りしていると聞いている。持ち帰りの仕事が多いため、私邸でのアレンの身の回りの世話は護衛とメイジーに任せているのだそうだ。

 ルークはキリアに駐在していた頃も、半年に一回は必ず、贈答品たべものを届けるために、ガルトダット伯爵家に顔を出していた。しかし、とにかく忙しい人だから、用事を終えたらすぐに帰ってしまうことが多かったのだ。こんなにゆっくり一緒に食事をしたのは久しぶりだ。リリアが浮かれるのも無理はない。


 ――アレンと一緒に食事をしたのは三年振りだけど。


「アレンさま、今日はお招きいただきありがとうございました」


 とても幸せそうなリリアが、リリィお嬢さまにひっついたままアレンを振り返り、笑顔でお礼を言った。ようやく存在を思い出したようだ。


「全部の料理が美味しかったです。ありがとうございました」


 その流れでキースも振り返ってお礼を言った。アレンは感情が全く読めない笑顔を浮かべていた。大人の対応だった。

 

 婚約者同士の親睦を深めるという目的は、多分達成されたのだとキースは思った。

 恥ずかしがって顔を上げられなかったリリアが、アレンに普通に笑いかけているのだから、離れていた時間を少しは埋めることができたのだろう。


 ――ルークとばかり話していたような気がしなくもないけれど。


 すっかり存在を忘れ去られていたことを思えば、二人の仲は進展したと言えるのではないだろうか。


 ……そう思った途端に、いつもは胸の奥で蓋をしている感情が湧き上がってきて、キースはアレンから目を逸らした。自分もだいぶ酔っぱらっているらしい。睨みつけてしまいそうになった。


 例えば――このまま数々の妨害を乗り越えて、アレンとリリアが結婚したとする。そうなったら、アレンの近侍として、ルークは二人が幸せな生活を送るために誠心誠意尽力するだろう。今日のように。

 そういう意味では、キースは何の不安もない。イザベラの言う通りアレンはリリアにとって、政略結婚としては理想の相手だ。一番献身的な『兄』がついてくるのだから。


 ただ、それが妹にとって本当に良い事なのかどうなのかは、正直キースにはわからなかった。


 それに、リルド侯爵もイザベラも、そういう幸せの形を、リリィお嬢さまとリリアに押し付けるとは思えない……


 あ、イライラしてきた。せっかく美味しいものを食べて幸せだったのに。キースはこっそりため息をついた。……ウサギの肉のローストにかかっていたソースはなんだったろうか。


 ――何故、あの人は気付かないのだろう。きっと今ならまだギリギリ間に合うのに。

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