1 リリアは兄に愛の告白をする。
――五月。財政難のガルトダット伯爵家の中庭にも薔薇の季節がやってきた。野性味あふれる白薔薇のアーチの下で、美しく着飾ったリリアは緊張した面持ちで口を開いた。
「おにいさまのことを、ながいあいだ、ずっと、おしたいもうしあげて、おりました。わたくしはもうすぐ、とおくにとつぎます。せめてこのきもちだけでもうけとってください」
全く抑揚のない完全な棒読みだっだ。
リリアと向き合って立つキースは、仕事中のためお仕着せのテールコート姿だった。手紙の仕分け中に無理やりこの場に引っ張り出されたらしい。無表情でペーパーナイフを右手の中で弄んでいたが、冷めきった面持ちですっと息を吸うと
「ありがとうございますでも私には心に決めた人がいるのであなたの気持ちには応えられません申し訳ございません遠くに嫁ぐあなたの幸せをを心より願っております」
淀みなくそう返した。何度か口にしたことがあるのか、それはそれは見事な早口言葉だった。
若き伯爵に近侍として常に付き従っているキースは、この国ではあまり見ない赤みの強い艶やかな金の髪と琥珀色の瞳を持っている。物珍しさから、やんごとなきお姉さま方のお誘いを受けることがあるのかもしれない。
リリアとキースが立っている場所から数メートル離れた東屋の中には、発案者であるリリィお嬢さまと、その兄であるガルトダット伯爵家当主のトマス。その二人の背後には、リリアの一世一代の告白を見守るためという名目で集められた十数人の使用人が立ち並んでいた。
伯爵家の使用人は年嵩の者が多い。『ああ、あんなに小さかったあの子が、愛の告白をするくらいに大きくなったのねぇ』というような、温かい眼差しがこちらに向けられているのをリリアは肌で感じていた。いたたまれない。
すべての元凶であるリリィお嬢さまは、レースのハンカチを握りしめ、感極まったようにはらはらと美しい涙を零していた。
その隣、キースの主人であるトマスが顔を背けながら肩を震わせていた。どう見ても、声を殺して笑っていた。
リリィお嬢さまは、幼い頃から一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。伯爵家から外に出ることはほとんどなく、驚くほど世間に疎い。彼女の知識のほとんどは物語から得たものだ。それ故に、現実と物語の境界線が存在していなかった。
『キースは主人であるトマスに恋焦がれている。そして、そんな兄を妹のリリアは一途に愛し続けている』
どういう訳だか、リリィお嬢さまは十年前くらいからそう思い込んでいた。リリアは折を見ては何度も訂正したが、結局誤解が解けぬまま今日まできてしまった。
「……女っけがないという理由だけで、トマスさまにかなわぬ想いを抱いていると誤解されているキースお兄さまよりは、きっとマシなんです……私」
祈るように両手を胸の前で組み、顔を伏せたリリアが自分に言い聞かせるように呟いた。人生初の愛の告白が公衆の面前。しかも相手が兄というのは悲しすぎた。
そしてあっさりフられた。これは失恋の数に入るのだろうか。何だろう思った以上に心に傷を負った気がする。
「いや、俺は巻き込まれただけだから。……っていうか、これは嫌がらせか? 嫌がらせなのか?」
仕事中に突然呼び出され、先輩方に見守られながら着飾った妹に告白されるという前代未聞の事態に陥った兄は、死んだ魚のような目をして世を儚んでいた。が、悲しげな表情で俯く妹の様子に気付くと、居心地悪げに顔を顰めて頭を掻いた。
せっかく整えられた髪がすっかりぐちゃぐちゃになってしまった。今日は出掛ける予定があるから、早めに雑用を片付けたいと言っていた筈だ。あれでは仕事に戻れないだろうに、どう言い訳をするつもりだろう、とリリアは思った。単なる現実逃避だった。しかし、そういえば兄が仕えているトマスも東屋にいたなと思い至り、一瞬にして思考は現実に引き戻された。
「あーもう、気にするな。リリア。これは本番のための予行練習だとでも思っとけ。練習だ練習。俺は練習台」
自棄になったらしき兄は、仕事用の丁寧な言葉遣いを完全に捨て去った。
「フられる練習ですか……」
思ったより湿った声が出てリリアは焦る。
「……違う。何でそうなるんだよ。おまえ、結婚決まったんだからフられる訳がないだろうが」
「政略結婚です。気持ちが伴わなくても結婚はできるのです。白い結婚とかお飾りの妻とか言うらしいです」
「うわぁ……悪意しか感じられねぇ」
左手で顔半分を覆いながら「お嬢さま、なんつーこと吹き込んだんですか」と、キースは口の中で呟いた。
リリアは自分の言葉に余計悲しくなってさらに俯いた。傍から見ればこのまま膝から崩れ落ちそうなくらいに。兄にフられた自分は愛のない結婚をするのだ。もう泣きたい。
「愛はある。愛はあるから友愛だけど。おい、聞いてるか、リリア。リーリーア」
「はい。私もお兄さまを愛してます。家族として」
「……うん俺も愛してるよ妹として。結婚決まってから本当に情緒不安定だなおまえ」
がっくりと肩を落としてキースは言った。何かを諦めた目をしていた。
パチパチパチと拍手の音がした。リリィお嬢様が大きく頷きながら拍手していた。その背後の使用人たちもそれに倣って拍手していた。若き当主は腹を抱えて笑っていた。
――伯爵家は今日も平和だった。