北の遺跡 8
十二階に転送された時、ここまで見せ場の無かったジルはニヤリと笑った。
暗闇の中で、小さな四つ足の魔獣が一匹だけしゃがんで寝ている影が見えたからだ。
彼は心の中で、この敵なら前衛の自分が活躍できる戦いになる、しかも大きさから見て自分一人で倒せるかも知れないと踏んだのだった。
サーシャの魔法ライトによって魔獣の正体が明らかになる。それは、白色をベースに黒色と茶色の柔らかそうな毛を持つ三毛猫だった!?
鈴付きの首輪をする三毛猫は、丸まり気持ちよさそうに眠っている。
三毛猫を始めて見るカレン達は、魔獣なのか獣なのか判断に迷っていた。
壁にもたれかかるクリスは、頭の中で女神とコンタクトを試みた。
目を閉じた彼は、頭の中で念じる、『おーい、見ているんだろ。女神アテーナにディアナ、聞こえているのなら返事してくれ』
話しかけてから暫くすると、マテーナの姿が頭の中に浮かび上がって来た。
『うるさいわね! 試練の邪魔をして欲しくないのに』
女神マテーナだけがクリスの問いかけに答えた。
やはり一緒に居ないと言う事は、同じ女神でもマテーナとディアナの仲が悪い噂は本当なのだとクリスは確信した。
『手出しは、一切していない。ずっと見ているんなら分かっているはずだろ』
『ふん、そんな事ぐらい分かっているわよ。もう、大事な時に・・・。それで何の用よ』
マテーナは不機嫌そうだったが、クリスは何とも思わなかった。むしろ女神のご機嫌など関係無いので、聞きたい事を話し出した。
『あの獣は何だ。初めて見るけど、魔獣なのか?』
『ああ、あれね。可愛いでしょう!』と、不機嫌そうな低い声から一変して高い声を出した。
『可愛いとかじゃなくて、あれは魔獣の類なのか』
『あなただけに教えて上げるわ。特別よ!』と、頭の中のマテーナがウインクする。
その仕草に何の意味があるのか良く分からなかったクリスは、とりあえず無視した。
『有難い、特別だと言う事を嬉しく思うよ』
『猫よ! 三毛猫のミケちゃんよ。異世界の動物なんだけど、あまりにも可愛くて一目ぼれしちゃったから、ペットにしてるのよ』
『異世界の動物なのか。しかし、弱そうだな』
『普通のペットな訳ないでしょ。女神が飼ってるのよ、だから神獣よ。小さくても絶対に負けないわ』
『えっ、えええ、神獣なの。そんなの倒せないじゃん。それじゃあ、十二階は攻略できないぞ』
『あなたも、まだまだ経験と修行が足りないようね。殺す=倒すと思ってるなんて』
『普通に考えればそうだろ。・・・違うのか?』
『ふふふ、それは、見てのお楽しみ。カレン達がどうやって攻略するか、見守りましょう』
神獣を出してくるとは、マテーナの課す勇者の試練は厳しいのだ。
目を開けたクリスは、呆れそうになった。
またもや小さく愛くるしい生き物を登場させるとは、女神の趣味が影響していると思ったからだ。
それにしても、三毛猫が神獣だとも知らずに全員を制止して自分一人で戦おうとするジルは、全くもって運の無い男だ。
年齢的に厄年の彼だが、この世界でも“厄”が影響しているのなら彼は何をやっても運に見放されているに違いない。
「うぉりゃああああああ!」、威勢よく声を上げたジルは三毛猫目がけて走り出した。
大声に驚いて目を覚ました三毛猫は、大きな欠伸をしながら体を伸ばした。切りかかって来るジルに、ミケは尻尾を膨らませて勢いよく壁際に逃げて行った。
「ちょっと、ジル。どうして一人で戦ってるのよ?」と、カレンは頭を抱えた。
「そんな事をしていると、十階の時みたいになるぞ!」、クリスの言葉で毛玉にボコボコにされたのを思い出したジルは、そそくさと仲間の元に戻って来た。
「すまない。良い所を見せようと、焦ってしまった」
「しっかりしろよ、兄弟」と、ギリはジルの脇腹に肘を入れた。
「うっ、ぐう。痛いけど、悪かった。冷静にカレンの指示に従うよ」
前衛にカレンとジルが並び、その後ろでギリが槍を構える。後衛では、チェンがサーシャを守る役割を担う。
2-1-2の陣形を取った彼等を壁にもたれるクリスは、女神の話していた通り神獣に勝てないなら、どうすればこの部屋をクリア出来るのだろうかと考えていた。
何も知らないカレンとジルの二人は、壁際で体を曲げて威嚇するミケを攻撃しようとしていた。
「可愛いけど、ごめんね。恨まないでね」、魔獣だと思っているカレンは、出来るだけ苦しませないように、聖剣で素早く心臓を貫こうとした。
ひょいと、横に逃げたはずなのに。ミケが、彼等の視界から消えた。
ガキッと、獲物を逃した聖剣が壁に突き刺さる音が響く。
カレンの目の前で空間が歪み、シャーと鳴くミケが姿を現すと柔らかい肉球で彼女の頬をパンチする。前足の動きを止めないミケは、そのまま高速猫パンチを繰り出した。
ビックリしたカレンは、後ろにのけぞりそのまま尻もちを付いた。
ひらりと宙を舞うミケに、ジルは剣を振り下ろした。
「フゥ、フゥ、フッシャー!」、器用に体を捻りジルの攻撃を避けたミケは、地面に着地すると直ぐにジャンプして鋭い爪でジルの顔をバリバリとひっかいた。
「・・・ッ」、見事な爪痕をジルの顔に残したミケは、そのまま後ろに居たチェンとサーシャの方に向かって走る。
「そうはさせない!」と、ミケの側面からギリは槍で攻撃した。
犬科の獣人はお気に召さないのか、素早く横っ飛びで槍を避けるとガブリとギリの尻尾に噛みついた。
「$@%&#!!! ギャー!」、我慢できない強烈な痛みが走ったようだ。
ギリは槍を投げ出して、慌てて自分の尻尾を擦った。
前衛の攻撃を全て避け切ったミケは、真っすぐチェンとサーシャの方へ向かって来る。
突進する猫を捕まえるつもりなのか、闘気を纏い体を硬化させたチェンは、両足を踏ん張り力士の様な構えを取った。
「おっしゃああああ!」、両手で抱きかかえるようにミケを捕えたチェンが叫んだ。
「うっ、にゃーあ」、瞳孔を開き目を丸くしたミケは、後ろ足でチェンの胸に猫キックを入れた。
連続してチェンを蹴る高速猫キック、最初はペチペチペチと聞こえていた音が次第に変化していく。ドドドドドドと聞こえたと思ったらドドーンと大きな音ともにチェンは、吹き飛ばされ壁にめり込んだ。
「きゃあー!」と、チェンの後ろに居たサーシャが叫び声を上げながら向かってくるミケに魔法を放った。
「天の唸り、光の刃となりて我を守れ。サンダーボルト!」
パチパチと、サーシャの杖は電気を帯びて光り輝く。
雷鳴と共に杖から放たれた雷撃は、龍の形を成し空気を切り裂きながらミケに襲い掛かった。
雷撃が直撃すると、眩い閃光が走り一瞬だけ全員の視力が奪われてしまう。
「ちょ、直撃したはずなのに。どうして、何ともなっていないの?」、光の中から無傷のミケが現れ優雅に毛づくろいしていた。
魔法耐性を持つ神獣を雷で倒せる訳が無い。雷だけでなく、魔法攻撃は全て無効にしてしまうので、結局魔法使いは手も足も出せないのだ。
「ひっ・・・」と、飛び込んできたミケから身を守る術の無いサーシャは、目をつぶった。
もう間に合わない、諦めた彼女の名前を仲間達が呼ぶ声が聞こえた。
何も起こらないし、痛くない。地面に座り込んだ彼女の太ももに、何かが当たる感覚がするので、ゆっくりと目を開けた。
「ゴロゴロゴロ・・・」と、喉を鳴らすミケは、体を丸めてサーシャの膝の上で寝ていた。
床に座り込んだサーシャは、泣きながら笑っていた。
もしミケが凶暴な魔獣だったのなら一撃を食らい確実に死んでいたはずだった。
それなのに膝の上で丸くなるミケの可愛い仕草に、恐怖と安堵が同時にやって来てしまい感情がおかしくなってしまったのだ。
真っ先に駆け寄ったカレンは、サーシャを抱きしめた。
「ごめんなさい。前衛の私達が上手く対応できなかったから、あなたを危険な目に会わせてしまって」
「だ、だ、大丈夫です。後衛の私の方こそ、もっと早く戦闘に適した魔法を使えば良かったのに。それが出来なかったから、カレンさんのミスじゃないですよ」
カレンとサーシャの二人は、喉を鳴らしながら箱座りするミケを見つめた。
気持ちよさそうに目をつぶってゴロゴロ喉を鳴らす、この見たことも無い生物はそもそも危険なのかと疑問が沸いて来た。
それにしても見ているだけで癒されるし、無性に触りたい衝動に駆られる。
カレンは、恐る恐るミケを両手で抱き上げると、自分の膝の上に置いた。
体の力を抜くミケは、何とも言えない柔らかさだ。気が付くと、ミケの体を撫でていた。
「はあー、やっぱり駄目。きっとこの子は、魔獣じゃないのよ。何の危害もない生き物なのよ」
「私もそう思います」と、サーシャもカレンに抱かれるミケを撫でた。
女性二人は無傷で、男性陣はこっぴどく神獣にやられてしまった。
女神マテーナのペットは、単純に男嫌いなだけだった。
「そうか! そうだったのか、殺さず倒すの意味は」、突然クリスは大声を出した。
「どうしたのよ、クリス。何が分かったのよ?」
「もう話しても良いかな。そいつは、神獣だよ。今の俺達では、倒すどころか傷一つ付けられない相手だ」
「えっ、えええ。そんなのを相手にしていたの。女神は、無茶な試練を与えるのね」
「そうでもないぞ。ここの部屋を攻略する方法は、神獣を倒すか、手懐けるかのどちらかだ」
「じゃあ、私達はクリアしたの?」、カレンの言葉にミケは、「ウーニャ、ニャッ!」と、返事した。
「その様子だと、クリアしたみたいだな」、クリスは部屋の真ん中に出現した台座を指さした。
恐るべし神獣三毛猫。全てにおいて最高の力を持つ女神のペットは、その力で男達をコテンパに倒し、愛くるしい見た目で女性達を虜にしてしまった。




