男神の襲撃 1
ガタゴトと揺れる馬車で御者を務めるクリスの隣には、安心しきった様子のカレンがうたた寝をしていた。幌で覆われる馬車には、勇者と常に旅を共にするカレンの仲間達が乗っていた。
ジル 魔族 二十六歳 剣士
赤い髪をなびかせて現れた彼は、細い目から鋭い眼光を見せる孤高の剣士の雰囲気を漂わせていた。それなのに見た目に反しておしゃべり好きのお人好しだった。ギャップに驚かされたが人見知りしない彼と、クリスは直ぐに意気投合した。
ギリ 獣人 三十一歳 槍術士
獣人族犬科の彼は、独眼の英雄と評される人物だった。茶色く肩まで届く長い髪を後ろで束ねる彼は、用心深いのか頭の上の耳を常にピンと立てている。馴れ合いを好まない彼は、彼の身長の1.5倍ほどある3メートルの槍を片時も離さない。無口な彼は狩りと料理を得意としており、メンバーの中では重宝されている。
チェン 人族 二十二歳 拳闘士
人族の彼は、東方の島からやって来たらしい。両手に籠手、両足に脛当てを装備する小柄な彼は、鋼の様な筋肉を纏う。闘気を巧みに操ると聞いたが、クリスにとって初めて目にする拳闘士は、どのような戦い方をするのか見当もつかない。
彼らは、年齢的にも熟練の冒険者達で、クラスは全員シルバーの四つ星である。そんな彼らに今回から仲間として加わったのは、エルフ族のサーシャだった。
魔術師の彼女は十六歳と若いが、ブラッディワイズマンことモーガンの唯一の弟子で、四属性を巧みに操る計り知れない才能の持ち主である。順調に成長すれば、将来は師匠を越える賢者になると評される人物だ。いずれ彼女は、自身の髪の色からグリーンウィッチと呼ばれるようになる。
北の遺跡を目指す旅を始めてから一週間、何事も無く平穏な日々が続いた。
こうも長閑な時間が増えると、気が付かない内に気が緩んでしまう。いつしか緊張の糸は途切れてしまっていた。魔族の治める領土は、本当に治安が良い。
このまま目的地まで何も起こらなければ良いのにと思いながらクリスは手綱を握っていた。
「ふぁ・・・、ねえクリス、今日も野宿になる?」、目を覚ましたカレンは、手のひらで口を覆いながら欠伸をした。
「このまま順調に進んだら、この先にある町で休めそうだ。今日は、久しぶりにベッドで寝られると思うよ」
「本当に、それなら嬉しいわ。私はクリスと同じ部屋にして欲しいな」と、カレンはクリスにもたれかかった。
「宿屋に着いてから決めよう。空いている部屋数次第では、全員同じ部屋に泊まる事になるからな。着くまで分からないだろ」
コテンと、クリスの太ももを枕にしたカレンは、「着いたら起こしてね」と、もうひと眠りしようとした。
もうそろそろ北海が見えて来ても良いはずなのに。
真っすぐ伸びる道が、進むにつれて歪んで見える。何かがおかしい、そんな考えがクリスの頭をよぎった瞬間、キーンと耳鳴りが襲ってきた。
異変に気が付いたのは、クリスだけでは無かった。馬車の中から獣人族のギリが顔を出した。
「何事だ、空間が歪むような音が聞こえたが」
「空間が歪む? そんな音、今まで聞いた事が無いから分からないけど」
「人ならざる者が現われる時に発せられる音だ。何度か聞いた事があるから間違いない」
「嫌だね、変なのが出てくるのか」
起き上がり馬車から飛び降りたカレンは、聖剣を鞘から抜いた。
「クリス、来るわよ。馬車を安全な所に移動させて」
馬車から出て来た仲間達は、いつでも戦闘態勢に入れるようにカレンの後ろに集まった。
その様子を横目で見ながらクリスは、馬車でその場から離れた。
彼らの目の前で空間が渦を巻くように歪み、丸く黒い穴が出現した。
道の真ん中に出来たぽっかりと開く穴の中から、憎悪の男神イアと同じ黒い布を何枚も重ねて着る何者かが近づいて来る。雰囲気から男神が出て来ると確信したクリスは、今度は何の目的で現れたのだと、険しい表情で穴の奥からやって来る人影を見ていた。
「みんな、いつもの陣形を取って」と、馬車の前で聖剣を手にカレンは近づいて来る脅威に立ちはだかると、彼女の後ろにジルとギリが並んだ。
最後尾ではチェンが右こぶしを前にして身構え、その横でサーシャは両手で杖を握りしめながら足をガクガクと震えさせていた。
派手な戦闘になると思ったクリスは、馬車から降りていつでも加勢できるように準備する。
穴の中から出て来た人影は、やはり別の男神だった。
赤く燃えるような長い髪が、重力に反して宙に舞いながらなびいている。その者の目は黒い布で覆われており、額の真ん中で開く第三の目が動いていた。そしてその金色に輝く瞳は、イアと同じ物だった。
「おやおや、イアの言っていた男は何処にいるんですか?」
「俺は、ここに居るよ」と、離れた所からクリスは手を上げ叫んだ。
「ではでは、私の目の前に居るのは、誰でしょうか」
「私は、魔族の勇者カレンよ。あなたは、私達の敵なの?」
「敵でもあり、味方でもある。そう私は、欲の男神スーパイ、あなた達がどれ程の力を得ているのか実力を確かめに来ました」
怪しい笑みを浮かべる男神は、両手を広げ自分の力を誇示するような態度を取る。この世界で彼らを崇める種族は居ないが、やはり神族だけあって存在感は凄い。低レベルの冒険者なら、彼の出す威圧感だけで動けなくなってしまうはずだ。
「何の為に私達の実力を試すの? 我が女神アテーナの知る所ですか?」
害獣や魔獣との戦いとは違い、男神に反応するカレンの聖剣は煌々と輝く。その光が彼女を守っているのか、男神から放たれる威圧に押されている様には見えなかった。
「ふん、女神アテーナは関係ないこと。これは、この世界のバランスを保つために必要な検証なのです」
「聞き捨てなりません。そんな勝手な理由が通るとでも思ってるの」と、聖剣を静かに降ろし下段に構えたカレンは、男神スーパイに切りかかった。
カレンの攻撃が当たると同時に男神は黒い霧に包まれ霧散し、横に数メートル離れた所で姿を現した。
「おやおや、本当にあなたは魔族の勇者なのかしら。そんな攻撃が当たるとでも思ってるの」
「・・・ッ!」、言葉なくカレンは再び男神に切りかかった。
「何度やっても同じことですよ! そんな鈍足な剣技しか使えないとは、何て嘆かわしいのでしょう」
まるで幻を相手する様な感覚なのだろう、カレンの聖剣は空を切り続けた。
「はあ、はあ・・・、どうしてなの。どうして実態が掴めないなのよ」
呼吸を整えた彼女は力を出し惜しみしている場合では無いと、やっと気が付いた。
今彼女が相手するのは、男神であり、神族なのだ。全力で戦っても勝てるか分からない相手に、甘い考えを抱いていた自分を心の中で叱責した。




