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痛みで川崎は目を覚ました。朦朧とする意識の中で起き上がろうとするがピクリとも身体が動かない。次第に意識が覚醒し自分の状況を思い出すと悲鳴を上げた。しかし、その悲鳴は猿轡のせいでほとんど声にはならない。どうにか首が動かせるので周囲を見回す。どうやら自分の身体はガッチリと手術台に固定されているようだ。手術台の横にはメスやハサミの入ったトレーが起これているがどれも錆びている。床や壁には黒い染みがこびり付いておりそれが何なのか考えたくもなかった。
「お、目が覚めたみたいですね。それじゃあ博士を呼んできますか」
頭上から女性の声がするとそのまま足音が遠ざかっていく。暫くすると複数の足音が聞こえてきた。
「ほらほら、蝿鈴博士!急いでくださいよ」
「先ほど実験を終えたところなんだ。そう急かさないでくれよペオルさん」
頭を無理矢理動かすと赤髪の女性が白衣を着た男性の背中を押すようにして部屋に入ってくるところだった。白衣の男性の顔はやつれており目の周辺には隈ができている。
「やぁ、こんにちは。私の名前は蝿鈴、長い付き合いになることを祈っているよ」
「そんなことより博士~、早く始めましょうよ!773号は失敗だったんでしょ?」
そう言ってペオルは注射器とプラスチック容器を手に取った。容器には黒い液体が入っている。蝿鈴はそれらを受け取ると容器の中身を注射器に移した。
「残念なことにね。だが、彼は神の声を広めるための尊い犠牲となったんだ。我々は彼らの犠牲を決して無駄にはしないよ」
注射器を持った蝿鈴が川崎の横に立つ。
「これから君にする注射は感染者の血液だ。だが安心してくれ。私は別に君を発症者にしたい訳じゃない。神の声に従いSウイルスの可能性を世に知らしめたいだけなのだ」
その言葉に川崎は拘束から逃れようと体を動かす。しかし、拘束が緩む気配はなく針が腕に突き刺さった。注射筒の中身が押し出されどんどん体内に入っていく。猿轡の間から呻き声が漏れるが蝿鈴は一切表情を変えることなく注射を終わらせた。絶望感から川崎の目から涙が零れる。
「さて、Sウイルスには七種類の型が存在するのは知っているかね?これは私が発見したのだが・・・。どうも他の研究者はその違いが分からないそうなんだ。そのせいで私の話は信じてもらえなくてね。まぁ、今はそれはどうでもいいか。このウイルスの種類なのだが、どうも通常は一つの型に感染すると他の型には感染しないみたいなんだよ。ただし、例外もあるみたいでね。それが変異体だ。偶然かそれとも何かの要因があったのか分からないが彼らは二種類以上のSウイルスに感染しているんだ!」
蝿鈴は目を輝かせながら力説すると保冷庫からアンプルを取り出した。アンプルには透明な液体が入っている・
「つまり複数のSウイルスに感染さすことができれば変異体を任意で作れるということだ。しかし、これがなかなか難しくてね。今まで、えーと、そう!七百七十三人に協力してもらったんだが、今のところ五種類までの同時感染しか成功していないんだよ。私が見てきたところ感染した種類が多いほど能力の特異性が高いんだ。君も変異体の科学を超えた能力は知っているだろう?学校で習ったはずだからね。上位適応者も似たような能力があるが、あれは一種類のSウイルスに完全に適応している状態だ。個人の資質に因るものだから科学で再現することができないんだよ」
喋りながらアンプルを振ると中身の液体が徐々に乳白色に変化していく。
「ふむ、このぐらいでいいか。このアンプルの中身なんだがね。ワクチンだよ。とはいえ、このワクチンは衝撃や温度変化に弱いからさっきの様に振ると劣化してしまうんだ。こうなると普通は使い物にならない」
そう言いながらアンプルの頭部を折るとワクチンを注射器に入れていく。
「だが、この劣化したワクチンを使うとSウイルスの増殖を一時的に抑制することができるんだ。この抑制している間にSウイルスの種類を増やしていくというのが私の複数感染の方法なんだ」
ワクチンが川崎に注射される。すばやく針を抜くとそのまま注射器をトレーに乗せた。
「本来なら注射器の使い回しなんてあってはならないんだがね。物資不足には困ったものだよ」
蝿鈴は苦笑いを浮かべた。
「あとは一時間おきに血液検査をしてSウイルスの状況を観ながら種類を増やしていこう。それではペオルさん後は任せてもいいかな?」
「もちろんですよ博士!助手としてしっかりやっておきます!」
その言葉に蝿鈴は満足して部屋を出ていく。部屋には川崎とペオルの二人しかいない。そして、ペオルは笑みを浮かべると川崎に耳打ちした。
「君も運が無いねぇ。私、今まであのおっさんの実験見てきたけどあんなことされるくらいなら死んだ方がマシだよ」
それだけ言って離れると壁際の椅子に座り、机の上の時計を指でつつく。
「君が人間辞めるまであと五十八分!残り時間が十分になったらまた教えてあげる」