イントロダクション
「Sウイルスは基本的に血液感染しかしない。まず感染した場合だが、初期症状は微熱や倦怠感、頭痛といった風邪とよく似たものだ。この時点であればワクチンを投与することでウイルスの駆除を行うことができる。まぁ、体調が優れない時は念のために血液検査をすることを進める。次に症状が進んだ場合だが、知能の低下、理性の消失、狂暴化、筋力の増強、痛覚の鈍化などが起こる。この状態の者は発症者と呼ばれワクチンを投与しても治すことは不可能だ。発症者はそのまま放置すると際限なく非感染者を襲い続ける。発症者が感染者と非感染者を見分けられるのはSウイルス感染者からは特有のフェロモンが出ているからではないかと言われているが詳しいことは分かっていない。また、これらの症状は人間が感染した場合だ。動物が感染した場合は、知能の向上や巨大化などが見受けられる。ここまでで何か質問はあるか?」
教壇に立った男性が教室を見回すと一人の眼鏡を掛けた少女が手を挙げた。
「先生、そもそもSウイルスはどこで発生したんですか?」
「Sウイルスの発生源か・・・。なかなか難しい質問だ。そもそもSウイルスのパンデミックが起きたのが三十年前だということは知っているな?」
生徒達が頷くのを確認し話を続ける。
「このパンデミックだが特定の地域で発生し広がったのではなく、全世界で同時に発生したというのが現在の見解だな。当初は、どこの国も生物兵器による攻撃を想定したようだ。しかし、全世界で同時に発生したせいで国同士の連携がうまく取れなかった。有効的な治療方法もなく感染者が増え続ける中で、どこの国が最初に始めたのかは分からないが、核ミサイルの発射が行われた。一発だけならどうにか成ったのかもしれんが、その情報に核保有国はこぞって核ミサイルを発射。だが、多くの核ミサイルは地表に到達することはなく高層大気圏で迎撃され広範囲で複数の高高度核爆発が発生することになった。このせいで地球上の電子機器は軒並み壊滅、通信機器を失った各国は唯でさえジリ貧状態だったのがそれすら維持できなくなり崩壊した。この国も例外ではなく政府の崩壊に伴い現場で活動していた軍が各地で防衛圏を作りそれが今のシェルターに繋がっている。少し話が逸れたな。結論から言うと全世界で同時に発生したせいでSウイルスの発生源を特定することは不可能ということだ。どこかの国の生物兵器という話も海外との連絡が全く取れない状態なので確かめようもないな」
「先生、幾ら電子機器が破壊されたからと言ってなんでそんな簡単に人類は追い詰められたんですか?」
男子生徒の問いに教壇の男が答える。
「私の見解になるが当時は致命的なミスが二つあったのではないかと思う。まず一つが電子機器の壊滅に伴い情報連携が出来なくなったこと。もう一つが治療方法が無い中で感染者を駆除するという選択肢が取れなかったことだ。特にこの治療方法が無い中での感染者を駆除するという選択肢が取れていれば、人類の数は減っただろうが生活圏がここまで狭まることはなかっただろう。なぜ駆除していれば良かったのかというその理由が、変異体の存在だ。通常、感染者はSウイルスを発症すれば発症者となる。だが、この発症者はせいぜい力が強く痛みに鈍感になった人間なので当時の銃器で十分に対処できたはずだ。むしろ今の資源不足に悩む状況よりも良い銃器を使っていたはずなので処理は楽だったかもしれんな。おっと、また話が逸れたか。教科書の二十六ページを開いてくれ」
教室にページを捲る音が響く。そこには変異体の姿絵が描かれていた。
「感染者の中には稀に発症者にならず変異体になる者がいる。変異体というのがこのページに描かれているような奴らのことだな。総じて体躯の巨大化や形態の変化などが起きているため発症者との見分けはすぐできるだろう」
ページには筋肉の塊の様な巨人や異様に手足が長く鋭い爪を持った人型の生物などが描かれている。
「かけ離れているのは姿だけではなくその能力だ。変異体は発症者と違い考える知能が残っているようだが、それは主に捕食行動のために使われている。また、治癒能力が軒並み高く、他には発火能力や発電器官を備えた者もいる。そして、この発火能力などの特殊な能力については現在の科学でも原理が分かっていない。余談だが、一部の研究者は変異体を生物としての人間の一つの進化の形と見ている者もいるようだ。結局のところ、当時は大量の感染者を放置したことでこの変異体も大量に発生し対処が間に合わなくなり崩壊したのではないかと思う。他に聞きたいことはあるか?」
「いつSウイルスの治療方法が発見されたんですか?」
「日本でワクチンが開発されたのは今から約二十六年前だな。佐々山博士が開発された。皆も血液検査を受けたことがあると思うが、稀にSウイルスに感染しても発症しない者がおり、彼らは適応者と呼ばれている。適応者の体の中ではSウイルスはその性質を変化させ無害化しているそうだ。ワクチンは主に彼ら適応者の血液を素材として作成されるそうだ。だから、適応者には本人の同意を得て、安全な軍の地下施設で生活してもらっている。しかし、唯でさえ少ない適応者の中には変異体の様な特異な能力が発現する者もいるそうだ。その人たちは上位適応者と呼ばれている。この上位適応者となるとその戦闘能力から軍人やハンターになる人が多いそうだ。話を戻すが、ワクチンを開発された佐々山博士は他にも数多くの発明をされており、この第三シェルターのエネルギーを賄っている反物質転換炉もその功績の一つだ。残念なことにこの反物質転換炉は資材が足りず一基しか作れなかったそうだ。他のシェルターでは慢性的なエネルギー不足に陥っているところもあるらしい。教科書の三ページを開いてくれ」
ページを捲るとそこには高さ六メートル程の壁に覆われた街が描かれていた。
「それでは次にシェルターについて話をしよう。現在、我々は六つのシェルターを有している。まぁ、この第三シェルターから一番近い第二シェルターまでで距離が二〇〇キロ以上離れているので、軍人やハンターといった職に就かない限りは他のシェルターに行く機会はそうそうないだろう。シェルターの作りはどこも似たようなもので街を壁で囲み外敵の侵入に備えている。この壁には“生宝石”と呼ばれる特殊な素材で作られたパネルが取り付けられている。この生宝石は既存の兵器では傷一つつかない耐久性があり、温度変化にも強く風化もしないという夢のような特性があるそうだ。一時期は兵器への転用も考えられたそうだが、生宝石自体が希少であり数が少ないのと加工しようとすると莫大な費用と労力が要るため基本的にシェルターの外壁にのみ使われている状況だ。どうもその他にも生宝石の特性が兵器への運用に向いていないというのもあるらしいがな」
教壇の男性はふと壁に掛けられた時計に目をやると教科書を閉じた。
「今日はここまでにしよう。皆は今年で十五歳になるので来年には何かしらの職業に就くことになる。次回は、その辺りの話をしよう。もし今日の話で疑問に思ったことや聞きたいことがあれば聞きに来なさい。知識というのはどこで役に立つか分からない。それでは」
そう言ってと男性は教室を出て行った。暫くして、教室は学生たちの話声で溢れた。