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蝿鈴は頭を抱えていた。あれから三ヶ月経つのに思ったような成果が出ていないからだ。一番の問題は体外に出たSウイルスの不安定さだ。本来であれば互いに争う別種のSウイルスが拮抗し共存している状態はナナシの体内でのみ維持されているようだ。しかし、一度体外に出てしまえばその拮抗は徐々に崩れ周りの細胞を破壊しながら争いを始める。ワクチンや他の薬品で拮抗を維持できないか試したが芳しい結果は得られなかった。
そのまま人に投与した場合はどうなるかも試したが何も起こらなかった。少量の投与ではSウイルスが互いを駆除し合い死滅し、投与量を増やしてもSウイルス同士の争いが長引き周りの細胞に与える被害が増えるだけだったのだ。この投与実験は廃人を四人作ったところで終了となった。
どうしたものかと悩んでいると不意に頭の中に声が響いた。それは正しく神の声だ。蝿鈴は立ち上がるとナナシの元へ急いだ。
「いったいどうしたんですか?」
勢いよくドアを開けて入ってきた蝿鈴にペオルが驚きの声を上げる。
「どうすればいいか分かったんだ!やはり神は私の味方だ!」
蝿鈴は戸棚を漁り必要な道具を集める。
「ナナシの体内で安定しているならそのまま取り込めばいいんだよ!とはいえ本当にそのままナナシの血を輸血したところで他人の身体に入った時点でSウイルスの調和は乱れるだろう。だから先に私の血をナナシに輸血しそれを私の体に戻す!幸いにもナナシは私と同じO型だ。大丈夫!きっとうまく行く!」
言いながら自分の左腕に止血帯を巻く。そのまま採血針を刺すとチューブを通って血液が輸血バッグに溜まっていく。
「ナナシの血の量が多くてもまずいな。ペオルさん、ナナシの左腕に輸血の時に使う針を刺しておいてくれるかい」
ペオルが刺し終わるのを見て次の指示を出す。
「それじゃあ右腕の動脈から余分な血を抜こうか。そこの容器が一リットルくらいだからそれが一杯になるくらいを目安にしてくれ。ああ、チューブの先はクリップで留めておくといい。クリップを外して血が流れるとチューブが暴れるからしっかり持っておくようにね」
「抜いた血はどうします?」
「もう必要ないから捨てていいよ」
言われた通りチューブの先をクリップで止め右腕の動脈に針を刺す。血がチューブを伝うがクリップで押し留められる。テープで針を固定すると容器の口にチューブの先を入れた。クリップを外すと勢いよく血がチューブを走る。その勢いに先が容器の口から出そうになるがどうにか耐えることができた。
「あははは!言われてなかったら床にぶちまけてましたね」
暫く眺めていると容器を半分くらい満たしたところで勢いが弱まってきた。
「あれ?まだ半分くらいなんですけど出なくなってきましたよ?」
「ふむ、思ったより残っている血液が少なかったのかな?ならそれで十分だから針を抜いて止血をしてくれ」
右腕に止血帯を強く巻いて針を抜く。針跡から血が出るがその上にガーゼを強く押し付けた。
「こっちもこれくらいでいいだろう」
蝿鈴はそう言って自分の採血を止めると針を抜いた。ナナシに近づくと左腕に止血帯を巻く。そして予め刺されている針に輸血バッグを装着した。
「これでナナシの左腕の中で私の血で出来た感染血液ができるはずだ。あとは折を見て血液を取り出して私に戻せばいい」
一時間後、ナナシから少量の採血を行い血中のSウイルスの様子を見る。
「よし、ウイルスが増殖を始めている。それじゃあ、本格的に採血しよう」
そう言って採血するが採ったのは試験管一本分程の量だ。輸血した量に対してかなり少ない。
「そんな量でいいんですか?」
「ああ、もう増殖を開始してるからね。一気に大量のSウイルスを体の中に入れる訳にもいかない。あとは実際に自分の体の中で慣らしていくんだ」
注射器を自分の腕に刺すとピストンを押いていく。シリンダーの中身が徐々に体の中に入っていく。
「ふぅ。あとは急な増殖を抑えるためにこれだな」
保冷庫からアンプルを取り出すと激しく振る。ワクチンが変色したのを確認し注射器に移すと自分に刺した。
「これで一時間毎に血中のSウイルスの様子を見て追加のワクチンを投与するか決めよう。まぁ、失敗しても感染者になるだけだ」
そう言うと蝿鈴は近くの椅子に腰かけた。




