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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒い雫

作者: 野宮

 壁に重たいビニール袋をぶつけてしまって、やば、と声が漏れた。漏れた声は軽いけど、気持ちとしてはもう泣きそう。泣きたい。泣かないけど。

 

 そもそもビニール袋のままで運ぼうとしたのがよくなかったのだ。一旦段ボールか何かに移せば安全だったろう。でもそんなのは後の祭りというやつで、お気に入りの靴下に黒い雫が滴る。雫レベルでよかった。いやよくねえよ。もうこの靴下は捨てるしかないし、というか靴下のしたで素足が汚れる感覚が許せない。汚い臭い最悪。


二週間前にわたしの目の前で首をかっさばいて死んだ女の一部が、最悪な悪臭を放って私の靴下を使えなくした。死んで二週間も経ったのにまだ迷惑かけるかこのブスは。ブスはとか言っちゃったけどこの女はわたしなんかより、たぶんうちの周り半径一キロ以内に住んでいるすべての女よりは顔が良かった。嫌いだけど。


「あなたをいっとう不幸にできるのは私なんだよ」


そう言ってもうそれはそれは素敵な笑顔で、よく切れそうに砥がれた包丁で自分の首元をすぱーっと切りつけた彼女は、さすがに死ぬときは苦しかったみたいで笑ってなかったけど、というか動脈切るからすごい勢いで血が噴き出してもう大変なことになってて(気道も切れてると思うしめちゃくちゃ傷深かったんだけど一発でここまでざっくり切っちゃうとかこの女頭おかしいんじゃないだろうか)、そのおかげでそういえばこの女このときにわたしの持ってる中で一番かわいい2万円のブラウスもだめにしたんだった。スカートは古着屋で買って今シーズンで履き潰す予定だったやつだからよかったけど、しかし本当に最低だな。


 心行くまで大量の血をそこら中に撒き散らしてから事切れた彼女の薄く開いた口を見ながら始末、どうしよう……とわたしはつぶやいて、それから、まあなんとかしようと思ったのだった。


 とりあえず体に残ってる血を全部抜いてしまおうと思って、足を掴んで逆さに持ち上げた。死んだ人間の体って異常に重たくて、うーわおっも、と言いながらなんとか逆さにして、血ーぬけろー、と阿呆みたいな声をかけながら体をゆらゆらと揺さぶった。重い女。二重の意味で。


 下半身の血はさすがにもう大丈夫かなと思ってからは俵担ぎみたいに肩に死体の腰を乗せて担ぎ上げて、そーら抜けろ抜けろーといっそう強く揺さぶった。わたしのほうが彼女より体格良くてよかった。運動部だから体力もあるし。それでもめちゃくちゃきつくて、暖房の消えた真冬の部屋にいながらわたしは汗だくだったけど。


 これでもかまだ出るかというほどの大量の血を床に落としきると、さすがに少し彼女も軽くなったような気がした。


 で、気が済むまで揺さぶって、一旦落ち着こうとわたしは彼女を床に落とした。血とか汗とかなんかもういろいろよくわかんない液体とかで部屋も服もぐちゃぐちゃで気持ち悪いのでとりあず全部脱ぐ。ついでに彼女の服もぐちゃぐちゃだから脱がせようと思ったけどうまくできなかったからそのへんにあったハサミで切ったりした。


 ふふ、あこがれてたんだよね、ハサミで服着るやつ。医療ドラマとかの緊急手術とかで前身ごろをサーッて切るの。まあわたしがやってたのはそんなかっこいいものなんかじゃなくて、ハサミも小学校のおどうぐばこに入ってた古くて小さいやつだし切り方もへたくそだしなにより血だらけで切りにくくてイライラしたんだけど。


 そんなわけで、池かな? ってレベルの血だらけな部屋に裸の女がふたり。ひとりは生きてて、ひとりは死んでる。なにこの状況。笑いだしたくなったけど、笑ってる場合でもない。これからどうするのか計画をきちんと練って、この死体をなんとかして、この部屋をなんとかしなければいけない。あー、ひやひやに血が抜けた死体でもおっぱいってやわらかいんだなあ。と思いながら、血が飛び散ったパソコンデスクに向かって、引き出しから汚れていない紙とペンを出した。


 これからやるべきことを書き出して、懸念されること、対処方法、優先順位、気を付けること、などを順にまとめて整理していく。警察に連絡とか家族に連絡とか、そういうのは全く考えなかった。これはわたしの荷物だからわたしひとりでなんとかするのだ。


 世界は広くて、恐ろしいほどの数の命が生まれたり消えたりしていて、自分がその中のひとつでしかないということもやはりひどく恐ろしい事実だけど、彼女だってそれは変わらないのだ。彼女の命ひとつ消えたところで、世界はなんにも影響を受けない。だから、わたしがぜんぶ背負う。



 なんやかんやあって彼女は大きな黒いビニール袋の中におさまり、ひどく大量のゴミが出たけど部屋もなんとかして(ここがわたしの寝室でよかった、いやぜんぜんよくないけど、クローゼットがあるおかげで拭いたり吸い取ったりするための布には困らなかった)、血の匂いがしなくなったのがそれから三日後だった。

 

 四日目には完全にだめになった布団一式とすっかり寂しくなってしまったクローゼットをなんとかするために買い物に出た。

 五日目には冬休み中なのに研究室に顔を出した。

 部屋の隅には大きなビニール袋が場所をとっていたけれど、わたしは普段通りの生活に戻った。 買い物に行った帰りに卵を落として割ってしまってつらくなり、勉強をしたくなくて唸りながら床を転がり、部活に行って後輩にコテンパンにされて落ち込んだ。


 ほら、わたしはあなたがいなくてもこんなに不幸だ。



 二週間経って、わたしは袋から漂う異臭と立ち向かう必要性に駆られた。できるだけ暖房をつけずにいたけど、冷蔵庫みたいに寒いわけでもない。血抜きしたおかげで多少は腐敗とかが遅くなってるかもしれないけど、まあ遅かれ早かれこうなることはわかっていたんだ。

 

 レンタカーを借りて(自動車学校はクソみたいだったけど免許とっておいてほんとうによかった)、大学から拝借した台車を活用しつつ、携行缶に入れたガソリンとさつまいもを二本、それからマッチと一緒にわたしは彼女を隣県の山に持っていった。


 靴下は履き替えた。ぜんぜんかわいくないやつだけど、まあ長靴履くしな。穴の開いたビニール袋は上からもう一枚袋を被せてなんとかごまかした。



 そういうわけで、わたしは焼き芋ついでに死体を燃やした。枯れ枝とか落ち葉とかをありったけ集めて山みたいにして、延焼しないようにまわりの燃えやすいものはぜんぶ抜くなり薙ぐなり取り払って、ビニール袋の中と外にガソリンを注いで、火をつけたマッチを放った。さすがにガソリンの温度で芋を焼いたら塵になってしまいそうなので、芋を焼くほうの山にはガソリンはかけなかった。


 枯れた植物と死んだ人間がごうごう燃える音を聞きながら、わたしは青空文庫で宮沢賢治を読んだ。かわいらしい童話と自分のやっていることの乖離に笑えてきて、変な節をつけながら文を読み上げた。かっこうかっこうかっこうかっかっかっかっかっ。



 ぐずぐずに腐っていたこともあってか死体はきれいさっぱり燃えた。芋も甘く焼けた。一本は帰ってから食べることにして、わたしは車に乗り込む。真冬の空の下を二時間窓全開でドライブしてきた苦労が報われてか、レンタカーにはそんなに死臭が残っていなかった。


 ガンガンに暖房をかけて、途中に休憩をはさみながら快適な帰路。家に帰って、換気のおかげかだいぶ臭いのマシになった部屋にファブリーズを撒き散らして、わたしはとっておいた芋を食べた。

 

 ねえ、あなたの死体を焼くための火で焼いたさつまいもが冷めてもこんなにおいしい。

 わたしは、あなたに不幸にされてなんてやらない。けど、まあ。黒い雫で可愛い靴下をだめにされたくらいの不幸は、受け取ってやってもいいかな。


 わたしは台所から厚手のジップロックを持ってきて、ゴミ袋に突っ込んであったクリーム色の靴下をその中に閉じ込めた。

 

 そうだな、枕元にでも飾っておいてやるよ。


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