プロローグ
もうどれくらい走っただろうか。すでに魔力は底をつき、体力の限界も近くなっている。
いつ追いつかれるかわからない恐怖が、体力の消耗を早くしている気がした。
「みんな大丈夫かな……」
重い足を引きずりながら、共にダンジョンに潜っていた仲間の顔を思い出す。
ついさっきまで一緒にいた仲間達は、あのモンスターに追われてすでに皆散り散りになってしまっていた。最悪の光景が頭に浮かびそうになるのを、必死に首を振って振り払う。
最初の異変は、本当に些細なことだった。
信頼できる仲間達と、いつも通り日銭を稼ぎに見知ったダンジョンに入り、いつもと変わりなくモンスターの討伐依頼をこなしていた。
ただ、一つだけいつもと違ったことは、モンスターの群れの中に色違いの者がいたことだ。
違和感を感じながらも、今日引き上げてからギルドに報告すればいいか程度にしか考えていなかった。
程なくして、私たちはその判断が間違いだったことを思い知らされる。
オーガとよばれる私たちよりもふた回り以上大きなモンスターが、突如ダンジョンの奥から姿を現したのだ。
その体はまるで岩のようにゴツゴツとした筋肉で覆われていて、樹の幹のような腕を一振りしただけでダンジョンの通路に豪風が吹き荒れた。
こんな街付近のダンジョンには決して出ない、私たちが初めて出会う上位モンスターだった。
想定外の事態に遭遇した私たちのパーティは、あっという間に分散させられてしまった。
その場にとどまっても無駄に命をおとすだけだと、必死にその場を後にした私は、すぐにその考えの浅はかさを気付かされる。
オーガは一体ではなく、複数体出現していた。
その後のことは、もうほとんど覚えていない。なりふり構わず魔力を使い、全力でここまで逃げてきた。けれどももうそれも限界で、一歩も動くことができそうにない。
ダンジョンの出口までは残り3分の1ほど、少し休まなければたどり着けそうもなかった。
通路の壁に背中をあずけ、ずるずると地べたに座り込む。
幸い、目に見える範囲にはモンスターの姿はない。このままなんとか体力が回復するまで時間を稼いで、早く助けを呼びにいかなくては。
シンと静まり返ったダンジョンは、見知った空間のはずなのに今はまるで違った場所に見えた。
いつ再びオーガが自分の前に現れるかわからない。
その恐怖が、ガリガリと私の精神を削っていく。
時間の流れがひどく遅く感じ、なかなか体力が回復しない焦りが私を追い詰める。
早くしなければという思いだけが溢れ出るが、体はいまだいうことを聞いてはくれなかった。
そして、私を絶望に叩き落す音が、通路の奥から聞こえてきた。
地響きを伴った、規則正しい足音。聞き間違えようもない、オーガがこちら側へと近づいている証だった。
残った体力を振り絞って立ち上がろうとするが、ひどいめまいとともに地面に膝をついてしまう。そうこうしているうちに、暗がりからその巨体が姿を現した。
終わった。
そんな考えが私の頭の中を埋め尽くす。
応戦する力も、逃げ出す気力も残っていない。
間違いなくここで、私はあの剛腕に潰されて人生を終えるんだろう。
「標的発見、報告にあった冒険者もみつけたわ」
しかし、私の考えは突如背後から聞こえてきた声によって拭い取られた。
知らずと溢れ出していた涙も拭かずに声の聞こえた方へと振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
手には身の丈ほどの大鎌を持ち、ギルド職員の制服に身を包んだ彼女は私を安心させるようににっこりと微笑む。
「もう大丈夫。あいつを始末してくるから、少しだけ待っててね」
そういうと彼女は、オーガと私の間に割って入るように前へと踏み出した。
「事前にあった報告どおり、対象は通常体のオーガ。武装はないわね。みっちゃんの感知どおりならこいつで最後かしら?」
彼女は私ではない、ここにはいない誰かに話しかけるように独り言をつぶやいている。そして、一拍置いた後、にやりと口角を上げた。
「了解、殲滅する」
そう一言呟くと、颯爽とオーガに向かって走りだす。すでに戦闘態勢に入っていたオーガもそれに応じるようにその剛腕を振り抜いた。
目にも留まらぬ速さで繰り出された突きを、目の前の少女は何もない空中を蹴るようにしてさらに上空へと跳びあがってよける。
そして重力に流されるままオーガの背後へと落ちていき、そのすれ違いざま、一瞬
キラリと手に持った大鎌の刃が煌めいた。
すたっと音を立てて彼女が着地した背後では、オーガが腕を突き出したまま不自然に静止している。
やがて、つぷっとオーガの首筋に血の球が浮いたと思うと、それは瞬く間に横に広がっていき一筋の線となった。
そこから噴水の様に血が噴き出し、オーガの首が地面へと落ちる。
一仕事終わったとばかりにふうと息をついた少女は、ニコリと笑みを浮かべてこちらへと近づいてきた。
「怖かったわね。もう全部終わったから、安心して」
そう言って地面に座り込んだままの私に差し出された腕に、私は溢れ出る嗚咽を抑えることもせずすがりつく。
しがみついた彼女の腕には、特救班と書かれた腕章がつけられていた。