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12月27日 土曜日 午前9時
高井戸ICから中央道に乗る。本線に合流するともうすでに断続的な渋滞がはじまっていた。
「はあー、やっぱりな。・・・先が思いやられるよ」
俺はシルバーのカローラのフロントウインドウの先の、ブレーキランプの群れを眺めながらため息をついた。
「この時期は仕方ないじゃない」助手席に座っている女房の久美子は、ブラックの缶コーヒーのプルトップを開けて俺に渡す。
「・・・勇介と千尋は、ついて来なくて正解だったな」
「もうあの子たちも20歳と15歳なんだから、一緒に来いって言ったって来ないわよ。友達といる方が楽しいんだから」久美子は自分のコーヒーの栓を開ける。
「友達か、小さい頃は『じいちゃんちに行く行く』って、大喜びだったのにな」
俺はピースライトに火を点けた。普段は吉祥寺のちっぽけなマンションから、満員の中央線で押し合いへし合いしながら新宿の二流商社に通勤している。
46歳の俺は『経理課係長』という肩書きがついているが、出世したとは思わない。
した苦労は人並み、与えられた肩書きも給料も人並み、ちっぽけなマンションのローンの返済に汲々しながらも、『家族』というささやかな温もりを感じながら、ここまでやってきた。
「幸せですか?」と聞かれれば「人並みに」と答えるような人生だろう。
それが悪いとも思っていないが、群れをなして電車に乗り降りして、行列のように会社までの通勤路を歩き、また帰路を辿る自分たちが「羊の群れ」に似てるといつも思う。
長野の片田舎から出てきた自分も、隣や後ろを歩く人間も『東京人』のふりをしているが、所詮『どこかの馬の骨』ならぬ『羊の群れ』に過ぎないのだ。
盆や暮れに故郷に帰省するのは5年ぶりだ。子供の受験や仕事の都合で思うようにならなくて、すっかりご無沙汰になっていた。
が、両親も高齢になってきた現在、なるべく顔を見せてやるのが親孝行だと思った。・・・その時期時期になると「たまには顔を見せろ」という電話も頻繁だったし。
ノロノロ渋滞は上野原ICあたりまで続く、上り車線は適度な車間距離を空けて快適に流れている。・・・まるで行列になっている自分たちを嘲笑しているみたいで、腹が立った。
「この民族大移動は、俺たちみたいな庶民の習慣や慣習が変わらない限り、永遠に続くんだろうな」ドアの縁に肘を載せて頬杖をつきながら愚痴る。
「仕方ないでしょ、晃児くんが自分で決めたんだから」・・・久美子は子供の前では『お父さん』と呼ぶが、ふたりの時はいつも名前で呼ぶ。
久美子は会社の後輩だった、いわゆる社内恋愛でそのまま夫婦になった。
・・・談合坂SAを過ぎた頃、ようやく流れはじめた。俺は非力なカローラのアクセルを踏んづけて長い坂を駆け上がる。・・・東京に住んでいるが田舎に帰る時のことを考えて、カローラはフルタイム4WDを選んだ。
「最近、スキー積んでる車少ないよね。私たちが若い頃は、そんな車ばっかりだったのにね」久美子が車外を眺めて言った。
「そういやそうだな、若い頃は夜中に車山まで飛ばして、朝から夕方までスキーやったもんだよな。翌日仕事なのにな」
「お互い『若い頃は』って言ってるね。まだ年寄りでもないのに」久美子はそう言って笑った。
「そうは言っても、もう若い頃の真似はできないだろう?」俺はあの頃の光景が脳裏をよぎった。
ようやく諏訪SAまで辿りつく。車を降りると空気の冷たさを実感した。たかだか東京から200kmなのに標高差は800mも上がってるからだ。
・・・隣に昭和40年代のモスグリーンのセリカが停まっていた、フルレストアして見事に磨かれたボディーに魅入った。
「すごいな、こいつは・・・。相当大事にしてるんだろうな。久美子、この車知ってるか?」
「昔、お父さんが乗ってたかも。アルバムにこんな車の写真あったよ」
「そうだろうな、俺たちの親世代だよ」俺がしげしげと見つめていると、セリカに男が近づいてきた。
まだ20歳過ぎぐらいの目つきの鋭い青年が、小柄の女の子と一緒に歩いてきて、俺に視線を向けた。
キーでドアを開けて2人が乗り込む。懐かしい2T-Gのエキゾースト音を響かせて出て行った。
「あんな若い子が乗ってたんだね」久美子は意外な顔をした。
「そうだな、若いヤツでもああいう旧車を好きになるヤツもいるんだな」俺はそう言うと、青年の鋭い目つきが記憶のどこかを刺激した。




