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とまれ  作者: つまようじ
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終章 1

 人型は取れなくなったけど、私の存在が消え失せた訳じゃない。

 私が私と言う「意味」を忘れない限り、私は死んだりしない。


 私はそう易々と死んでやる気は無かった。

 それは、明確な目標があるからに他ならなかった。


 必ず100年生き抜いて、もう一度君に逢いに行く。

 それまでは絶対に、自分が「とまれ」であることを忘れない。



 だからどうか―― 君も100年、生きられますように。




 *



 

 目を覚ますと、辺りは雪が降っていた。


 私は驚愕して目を見張る。

 ごく数分前の私の記憶は、秋に入り、稲穂は重く垂れ、そして夕飯の景色を見ていたはず。なのに「それ」と何もかも整合性の取れない記憶に、私は時を忘れて硬直していた。


 眠っていた?


 今までこんなことは一度もなかった。

 怪異に眠る必要なんてない。


 まさか私は、……消えかけていたのだろうか。


 血の気が引いた。

 少し気を抜いただけだった、それだけで記憶が3か月も飛んだのだ。


 形に出来ない不安と恐怖が私の心を締め上げる。

 

 居ても立ってもいられなくなって、真っ先に彼の姿を探した。

 時計の針は15時を指している。

 きっと今は学校に居るのだろう。校舎に入ると、玄関近くにある職員室に、あの子が入っていくのが見えた。


 どうやら、先生と話をしているようだ。

 スーツ姿の女性は、『将来の夢』と書かれた紙を両手で持ち、組んでいた足を綺麗に揃えて、すごく言いづらそうに優しい声を作った。


 「これじゃあ、抽象的過ぎてよく分らないから。もっと具体的に書かないと……」


 何を書いてしまったのだろう…… 先生の顔は別に呆れているわけではなく、酷く困惑しているというか、腫れ物に触るような、とにかく名状しがたいものだった。


 彼は、「すいません、考えてきます」と短く返す。


 書いた内容が気になったけれど、渡されたプリントは新しいものになっていて、結局何を書いていたのか分からなかった。

 

 再提出されたその紙には、『お医者さんになりたい』と書かれていた。

 

 

 

 *




 記憶がよく飛ぶようになった。

 時には、中学生から突然高校3年生になっていて、一瞬誰か分からないことすらあった。



 『よかったね、これなら一瞬で100年を乗り越えられるね』



 不意に、昔の自分なら易々と言ったであろう幻聴が耳を掠める。突発的に殴りかかりたくなった。もちろん、そんな体など無い。


 どうしてそんな楽観視が出来るのか。

 次眠ればもう二度と目を覚まさないかもしれない。

 でも私は眠りに入った自覚がなかった。

 つまり私は、いつ死ぬか分からない。もしかしたらこの数分後には、存在が消えているかもしれない…… そう思うと恐ろしくて恐ろしくて、身を竦めてばかりいる。


 私は生きたい、生きていたい。頭をからっぽにしなければいい。そうして常に、こんな荒漠とした思考をとめどなく循環させて、数年を過ごした。こんな状態で私はまともな精神を100年維持してられるのだろうか―― 途方もない議題に、新しい鬱々とした話題が増えた。


 あの子はいつ見ても勉強していた。

 正直、同級生の子がみんなでゲームとかをしてはしゃいでいるのを見ていると、もう少し楽に生きればいいのにと思ったこともあったけど、あの子が教科書に向き合っている顔は全然苦しそうじゃなくて、むしろ目標に近づく様は笑っているようにも見えて、私は自然と応援したくなるのだった。


 その瞬間だけ、私は人らしい心を取り戻せた気がした。



 そして、大人になった彼は、本当にお医者さんになった。





 *

 



 それからまた数十年が経ち、ある程度首都圏で技術を積んだ彼は、再び故郷に帰ってきて町医者を始めた。


 正直、私にはあまり理解出来た行動ではなかった。その大きな病院内では、割と高い地位に居たからだ。だけど、彼があまりにも開放されたというか、今まで以上にやる気に満ち満ちた笑顔を浮かべるものだから、別段どうでもよくなった。きっとこれも、理屈では片付けられないものなのだ。


 彼の元には、1日平均50人前後の患者が訪れた。それを殆ど一人でまわしていく。彼は昔より大分少なくなったと呟いていたけれど、私の目にはあまりそうは思えなかった。


 最初はあと2人ほど居たのだけれど、いつの間にか消えていたせいだろうか。この町には、面積の割に、圧倒的に医者の数が少ないような気がした。無知な私の思い過ごしならいいのだけれど。


 彼の仕事は、自分の病院だけじゃなかった。

 「医師」として働いている以上、医師会から持ち回りで自治体からの検診や嘱託医の仕事が回されてくる。これがまたすごく件数が多くて、加えて暗黙の了解というやつなのか、自分でやりたい・やめたいということを自由に選択できないという恐ろしいことになっていた。


 全部一人で背負い込む羽目になった彼は、それでも嫌な顔一つしなかった。それどころか、身動きの出来ないお年寄りの元にまで、自分が車を走らせて診察に行く。その間にご飯を摂って、深夜、死んだように眠りこけていると急患の電話が鳴り響いた。


 だけど彼は、一度として疲れている素振りを見せなかった。


 異常だった。

 傍から見れば、目の下にはクマができ、肌の色は土気色でどうみても健康的でない。なのに彼は、それを自覚すらしていなかった。「忙しい」が、「あたりまえ」になっていたのだ。

 

 私に『とまれ』と姿を現す力があったなら、間違いなく止めていた。



 こうして私は、「私」であることを、絶対に忘れられなくなってしまう。


 見えてしまったのだ。


 彼の寿命が。














 やがて彼は、過労による脳梗塞で亡くなった。

 43歳という若さだった。



 ザザ――… と降りしきる雨の中、地に引きずられるような絶望、彼を追い詰めた全ての人間への恨み、その他煩雑としたものが、混濁としながら水嵩を増す。



感想欄は明日最終話を投稿し次第解放します

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