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とまれ  作者: つまようじ
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私の覚悟

 出ていかなかった。

 でも、心を鬼にしたからではなかった。


 私が姿を現すと、意味が出来てしまうから…… 部屋の外には危険があるぞと、認知されてしまうのが恐かった。


 彼を永遠に引きこもりにはしたくない……。


 もし私と言う存在に意味が伴わなければどうしたの? と問われれば、私は口籠ってしまうだろう。きっと、私は出ていっただろうから。


 ……出て行ったらだめだ、姿を見せちゃだめだ。私は自分に言い聞かせる。


 流石に、ずっと籠城しているわけにはいかない筈だ。


 学校を抜きにしても、ご飯を食べに行かなければならない、トイレに行かなければならない、お風呂に入りに行かないといけない。様々な「行かなければならない」が決して止まる事を許さない。


 歩き出せばきっと、みんな私無しでも生きている事に、昔は自由に走り回っていたことに、気がついてくれる。私はそう、信じている。





 *





 とても怖い夢を見るの。


 それも近い内、私はきっと、怖いと分かって同じことをしてしまう。そんな予言めいたものを感じずにはいられない。


 夢の中で、あの子は私を、何度も何度も呼んだ。

 私はそれに耐え切れずに出ていくと、その子はニタァと笑うのだ。その眼差しは私を「意思のあるもの」ではなく道具を見る目で、それでも私は、次消えたらあの子が何かの拍子で狂ってしまう気がして、道具でいいからと付き纏う。そこに心はない日々に、どんどん弱って朽ち果てていく…… そんな、暗い暗い、どうしようもない夢。


 その未来に弱っているのなら、私には覚悟がなかったのだろう。

 決意と覚悟の違いを思い知る。決意はそこから始まる心構えだけど、覚悟はこれから自分のやることに対し、降り注ぐであろう未来の災難全てを見通し包み込むと決めた勇気。私は先の事なんか考えてなかった。ただのエゴイズム。だからこれは自業自得。


 そう自分に言い聞かせてみたけれど、「こんなに苦しい思いをしてまで助けたのに、こんな事になるなんて」―― そんな思いを拭えなかった。すると



「今、関わらなければ良かったと思ったね?」



 図星が胸の中を潜り抜ける。

 心の中を読み上げられた恐怖。

 私の背後に、何かの影が、すっと立った。




 *





 それは、耳にたこが出来るくらい警告していた声と、全く同じ声だった。


 唐突に今一番聞きたくない言葉がかかり、全身の感覚を奪う。それは突き刺さった刃に薬が塗りたぐられていたかのように、じわりじわりと広がっていく。

 動揺。

 狼狽。

 そんな心を落ち着けるように、花の香りがふわりとした。


「私は口を酸っぱくして言ったよね、人間には関わるなと言ったよね」


 怒っている訳でもない。憐れんでいる訳でもない。ただ優しいだけの物言いは、今まで何とも感じなかったのに、急に不気味に思えて後ずさる。その全貌が瞳に映った。


 蓮の花だ。

 淡いピンクが花片の先で白へと変わる、美しい花。それを毛皮に、狐の形を型どっていた。どこからどう見ても、自分と同じ、「この世のもので無いもの」。ただ、私の後ろに影が下ろせる―― 実体化出来るそれと、ふわふわ浮かぶたんぽぽの綿のような存在である私とは、歴然とした差があった。



「とまれ、もし自分でどうしようもなくなったなら、私の所に来なさい」


 私は淡い期待を抱く。


「……あなたが代わりに化けてくれるの?」


 私は人と話せないから、謝ることも、いままで姿を現していた理由も伝えることが出来ない。だけど、言葉があれば全て解決する。


 だけどその妖怪は、初めて表情を強張らせて、小さく小さく笑うのだった。


「……まさか。私はもう、人とは関わらないよ」



 私に体があったなら、きっと首をしょぼんと下げていただろう。

 また、何も見えないくせに途方も無い事だけはわかる未来と突き合わされる。


 実際、どうすればいいか分からないのだ。何なら彼が一生を終えるまで、ずっとひっついてあげてもいい。この罪を償えるなら、そのくらいやってもいいと思っている。だけどそれでは、本質は何も解決しない。自分が彼から奪ったものは戻ってこない。それが暗い暗い夢の中で、何かが違うと心を摩耗させていた理由。


 別に死んだものを返せなんて高望みはしない。だからせめて、前を見て歩く強さと、彼を取り囲んでいた友達を取り戻したい。


 だけど私は本当に、「とまれ」と姿を現すことしか出来ないのだ。


 既に道を引き返していた蓮と狐の妖怪は、足を止めて振り返る。思い出したことがあるとでも言いたげに。


 「そうそう、今にも私に頼りそうな顔をしているとまれの為に言っておくね。私にあまり頼らない方がいい。君の為にならないからね。為にならないとは心が成長しないとかじゃなくて、物理的に、君の為にならないからね」



 暗に、もう放っておけと言われた。


 これが、怪異なりの優しさだ。

 きっと、忠告は正しい。自分は放っておけと言われたものに関わって、こんなことになっているのだから。


 それでも私は、放っておくことが出来なかった。


 あの子の為だけじゃない。

 このまま責任を捨て全てを忘れて生きるなんて、考えただけで苦しいじゃないか。考えただけで、生きていける気がしないじゃないか。



 後悔なんかしていない。

 私が居なければ、あの子は死んでいたのには、違いないのだから―― と、言い聞かせて。






 *





 案の状、彼は動き出した。

 ニュースを見ながら、ずっと家に居ても安心とは限らないと呟いて。


 お父さんに促されたからか、大して反発することも無く学校にも行き始めた。

 ああ、やっぱり、人は歩かずには居られない生き物なんだ…… 耐え抜いてよかった、出て行っていたらどうなっていたのだろう。たまらない安堵が、胸の奥を満たした。


 だけど、この穴の開いた気分はなんだろう。

 安心するとともに、少し淋しくなる。私は、「そこに居るなら出てこいよ」と求められていたのが急に懐かしくなって、相も変わらず彼の周りをつきまとう生活から抜け出せずにいた。


 あの子は顔を上げて歩いていた。

 それはもう、あんなに心配していた自分が馬鹿に思えてしまうくらいに。


 良かった。

 もう見ているだけで幸せ。

 そうしてまた昔を思い出して胸が痛くなっていると、不意に、懐かしい声を聞いた。


 「とまって、危ないよ」


 友達とじゃれあっていた、低学年の子達の腕を掴む。視界の悪い曲がり角から自転車が飛び出してきた。


 とまれが見えなくなったなら、周囲をよく見渡せばいい。


 そんなあの子の成長を、垣間見た気がした。




 その日、彼はお父さんに「ありがとう」と言った。

 不器用ながらご飯を作ってくれていたことを、お父さんも悲しいのに、仕事もあるのに、家事を全てやらせていた事を。


 静かすぎたダイニングキッチンに、カレンダーを広げて役割分担を書き込んでいく音が聞こえる。



 「…………」




 

 あの子は、私が思っていたほど弱い子じゃなかった。


 嬉しい。


 嬉しい……のに、どうして、こんなに「嬉しい」に嘘をついている気分になるのだろう。


 必要とされなくなって、空虚な気持ちだけが胸に残る。



 このまま忘れられたくない。



 “――そこに居るんだろ!? 出てこいよ…!”



 もっと、私に頼って欲しい。

 あの子の瞳に映っていたい。







 私は、あの子に恋をしてしまった。

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