僕の後悔
へたりこんだまま動かない膝に、コンクリートが食い込んでいく。
夏のそれは、僕は何度も、陽射しで目玉焼きが作れるんじゃないかと疑問に思ったことがある。
おかあさんの感じている温度を想像する。景色が歪むほどの熱の中、陽射しと、コンクリートと、鉄の車に挟まれて、焼かれる痛みを想像する。
膝を、更に強く押し付ける。この焼け焦げる温度を余さず感じ取る為に、神経を研ぎ澄ます。
自分でも、どうしてこんなことをしているのか分からない。
どんなに熱い熱を感じても、おかあさんの手の温度は離れない。
*
頭が、宙に浮いていた。
景色も、会話も、ただ体の中に入るだけで通り抜けていく。
脳みそが発泡スチロールになったように思えた。白くて、軽くて、穴だらけ。入る全てを弾いてしまう。それでも僕には、一つだけ、どうしても止められなかった習慣がある。その度に、僕は自分を掻き毟りたくなる。
地面を凝視する。
もうこの状態でないと歩けない。
今日はお母さんの告別式なのに、頭の中は、「自分は止まって良かった」で一杯になる。悲しいよりも、お母さんを死なせた後悔よりも、自分が助かった安堵で一杯になってしまうのだ。
それじゃ駄目だと、悲しもうとする。
そして、気づかされてしまう。悲しもうと、無理矢理涙を流そうとしている自分の中身に気づかされてしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
こう呟くと、少しだけ楽になった。
そしてまた僕は地面を見る。あれから3日経ったのに、『とまれ』はまだ、一度も姿を見せていない。
若干の不安はあった。
でもきっと、明日になれば出てくるだろう。
*
『とまれ』は、今日も明日も出てこない。
*
異常に気づいたのは一週間が経った頃。
僕は、浅いと思っていた水溜まりを踏んで怪我をした。
僕は覚えている。
『とまれ』は、一度止まれば冷静になり、危険が回避できる場合にも現れる事を。
『とまれ』が機能していない。
なんで、どうして。
脈が上がる。
僕はふと、行き先が空と繋がっている登り坂を見上げた。
もしかして今、 目の前に『とまれ』が居て、でも僕が見えていないだけなのではないのかと。
そう思った瞬間、土砂崩れが起こる気がしてならなくなった。空飛ぶヘリが墜ちてくる気がしてならなくなった。荒削りな岩石に身を抉られ引きずられる様を想像する。衝撃で体が爆ぜ飛ぶ様を想像する。同時に頭をよぎるのは、今際の時に見せたおかあさんの形相。すると急に、助けられなくてごめんなさいで押さえつけていた、「絶対にこうはなりたくない」が、濁流のように噴き出してきた。
正面から見つめたくなかった「自分は助かってよかった」は、とまれが居なくなったことで、これからも僕だけは厄災を免れられるとまるで他人事のように思っていた傲りを、浮き彫りにしていった。
今、僕は普通の人と同じ。
歩けば、いつ死ぬか分からない。
その場から一歩も歩けなくなったまま、時間だけが流れていく。
日が傾き、太陽が燃えるようなオレンジ色へと変わる。
大きい。
手を伸ばせば届きそうだ。太陽から目が離せない。不思議と、ずっと見つめていても痛まない。
僕はまた、剥き出しの膝をコンクリートに押し付ける。その焼かれる痛みにある種の心地よさすら感じながら、あの日の炎を見ていた。
「奏、こんなところで何やってるんだっ!」
父さんの呼ぶ声が聞こえた。
「お母さんが燃えるのを見ているんだ」
僕は、太陽から目を反らさずにそう答えた。今目を反らしたら、一生、目の中に光が入ってこない気がした。
父さんは、何も喋らなかった。