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心の距離感

『わ、私と付き合ってください!』

「……は?」

 ヘッドフォンから聞こえる可愛らしい声で告白されてしまった。いや、待って。おかしいって。

「えっと、ちょっと整理させて?」

 突然のこと過ぎて頭が追いつかない。相手には見えていないだろうけど、手を前に突き出して制止させるモーションを取る。

『は、はい……』

「まず……その言葉ってあの……告白、だよね?」

『~~~~ッ』

 ヘッドフォンから彼女が悶絶する声が聞こえた。手に取るようにわかる。

「ご、ゴメン。やっぱり、はっきりしておきたいから……でも、どうして俺なの?」

『こんなに楽しく話せる人がいなかったから……これからも一緒にいられたらいいなって』

 聞いていてこっちが恥ずかしくなってしまった。駄目だ。顔から火が出そう。

「ありがと……」

 恥ずかしから小声になってしまった。

『うん……それで、返事、は?』

 きっと、勇気を出して返答を催促したに違いない。彼女の声はどんどん、小さくなり最後の方は聞き取るのに苦労した。

「返事の前に確認したいんだけど……俺たち、どこに住んでるんだっけ?」

『え? 私は東北だよ?』

「うん。で、俺は関東……」

 そう、俺たちはいわゆる――ネット友達。ボイスチャットが出来るソフトを使い、パソコンを通じて話している。そもそも、俺たちが知り合ったのは3か月ほど前だ。

「俺たちってまだ、知り合ったばっかりだよな?」

『うん……』

「しかも、お互いの顔も知らないよな?」

『はい……』

「それに、住んでる場所だって違う……それなのに、何で?」

 正直、俺は信じられなかった。何か、俺を騙そうとしているんじゃないか? 絶対にそんなことをする子じゃないとわかっていても、疑ってしまう。そんな自分が嫌だった。

『私だって、わからないよぉ……わからないけど、好きに、なっちゃったんだもん』

 通話相手が弱々しい声音で言い放つ。涙声で容易に彼女の表情を想像出来る。顔は見たことないけれど。

(ど、どうする!?)

 確かに、彼女と話していてとても楽しかった。携帯でメールもやり取りしているし、俺の知り合いの中で一番、仲が良い女子だろう。

 だが、このまま付き合えば遠距離恋愛。更にお互いの顔も知らない恋人同士になってしまう。

(うん、やっぱり、断ろう)

「気持ちは嬉しいけど……やっぱり、だm――」

『駄目、かな?』

「よろしく、お願いします」

 彼女の声に俺は陥落した。







 私は今日、人生初の告白をした。言うつもりはなかったけど、我慢が出来なかったのだ。

「うぅ……」

 彼との通話も終わり、ベッドにボフッと背中から落ちた私はあまりの恥ずかしさに唸ってしまった。

 私が告白し、彼は頷いた。それってつまり、私たちが恋人になったということ。

「ふふ♪」

 その事実を自覚した瞬間、恥ずかしさが嬉しさにジョブチェンジ。抑えようと頑張るが、頬が緩むのを抑えられない。高校2年生にして、初めての彼氏。まぁ、それはネット友達でまだ、顔も見たこともないけど。私は彼がどんな顔でも、どんな体系でも、どんな家に住んでいようと受け入れる自信がある。

「……でも」

 彼はこんな私を受け入れてくれるだろうか? 彼はどうして、頷いてくれたのだろうか? 彼は……一体、どんな姿をしているのだろうか?

「あ……」

 そこまで考えて、私が彼の容姿を気にしているのに気付いた。さっきまでどんな彼でも受け入れると思っていたのにも関わらずに。

(あ、う……)

 思考が停止する。

 彼の姿はきっと――。

 そう、こんな考えが頭の中でグルグル回っていたのだ。

 彼の声から顔はこんな感じなんだろう。

 彼の性格から体格はこんな感じなんだろう。

 彼の――。

 その全ては私の想像で、妄想で。

 それに気付いた時、ゾッとした。私、彼に期待しているのだ。私の理想の彼であることを。

「よし、まずは私の知っている情報を書きだそう!」

 ベッドから降りて机に座り直す。そこにはパソコンが鎮座しており、さっきの会話をフラッシュバックさせる。

「……ふふ♪」

 電源の付いていない画面に私のにやけた顔が映った。それはあまりにもだらしなく、幸せそうだった。

 すぐに首を振って頭のギアを切り替える。そして、ペンと紙を取り出す。

「えっと……名前は――」

 紙に『名前』と書いて硬直する。そう言えば、本名知らない。

「つ、次! 年齢は『高校2年生』。誕生日は『9月14日』。住んでる場所は『関東』。好きな物は『綺麗な声』。嫌いな物は『ノイズ』。それから……」

 また、止まってしまった。これ以上のことは知らない。今、思えば私たちは最近のテレビの話や周りで起こった面白い話しかしていなかった。それはつまり、自分たちについて何も話していなかったということで。

(こ、これから……大丈夫なのかな?)

 もう一度、パソコンの画面を見る。先ほどまでの幸せそうな表情はどこへやら。それは不安そうな表情に変化していた。







「は?」

「だから、ネットの友達と付き合い始めたんだよ」

 彼女からの告白から1日が経ち、教室で友達にリア充になったことを報告する。

「……うわぁ。とうとう、二次元と三次元の境界がなくなったか」

「お前は俺をバカにしてるのか?」

「してないけど、哀れには思ってる」

「ちょっと、表に出ようか!?」

 胸ぐらを掴もうと友達に接近するが、その前に額を叩かれる。

「いたっ……くそ、信じてくれてもいいじゃんかよ」

「はいはい。それで? どうするの?」

「え?」

「ネット友達ってことは遠距離だろ? お前、これからどうするの?」

「どうするって……」

 そこで俺は言葉を区切った。いや、区切ったというより言葉を失くしたと言った方がいいかもしれない。

 そうだ。俺と彼女は遠距離恋愛の真っ最中なのだ。

「恋人同士って何をやるの?」

 まず、そこがわからなかった。

「遠距離なら毎日、メールしたり電話したりとかじゃないか?」

「……付き合う前からしてるんだけど?」

「じゃあ、東北まで会いに行くとか?」

「無理無理。俺の家、バイト駄目だって言われてる」

 そのせいで今月も金欠だ。

「……付き合うって何なんだろうな?」

「……ああ」

 電話やメールは付き合う前からしており、直接、会いたくても会えない。これは本当に付き合っていると言ってもいいのだろうか?

「まぁ、そこら辺は彼女さんと相談するしかないな」

「そうだな。きっと、向こうも悩んでるだろうし」

 メールの内容も意味不明だった。相当、混乱しているようだ。

「おっと、一番聞かなきゃいけないことがあった」

「ん? 何だ?」

「彼女さんのどこが好きなの?」

「声」

 思わず、即答してしまった。彼女の声は声優並みだ。演技ではないが、声だけで嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのかわかってしまうほど彼女の声は表情豊かである。声に表情はないのだけれど。

「即答かよ……顔とか見せ――られないよな」

「…………ああ」

 俺はそっと右頬に手を当てた。

 そこには大きな切り傷が一つ。それもかなり、グロテスクな切傷。

 これは小さい頃に負った傷だ。その時の記憶はない。その時に頭を打って記憶が飛んでしまったらしい。しかし、これのせいでたくさん、虐められた。

『化け物』、『グロキズ』――こんなことばかり言われたのを覚えている。

 それも中学2年生に進学した途端、言われなくなった。もちろん、誰もが一度は患うあの病気のおかげである。尊敬されたほどだ。

「それは……女子にはかなり、ハードル高いよな」

 こいつは最初からこの傷について何も興味を抱いていなかった。だからこそ、そんなことを平然と言ってのける。俺としてはありがたかった。この傷で同情などされなくない。俺にとって、この傷は勲章みたいなものなのだから。自分でもどうして、そこまで誇らしく思っているのかわからないが。

「まぁ、な。前にも写メール交換しようって言われたけど、適当に流した」

 確か、『髭が生えているからまた、今度』ってことにしたような気がする。まだ、ヒゲなんて生えたこともないけれど。

「でも……」

「今度、言われたら断れない……いや、断ったらきっと、傷つくと思う」

 恋人なのに顔写真を送ることができない。それは彼女にとってかなり、ショックなことだろう。

「じゃあ、見せるのか?」

「それも嫌だ」

 もし、この傷を見て俺のことが嫌いになってしまったら、と思うと勇気なんざ湧いて来るわけもなく、こうして悩んでいる。

「とりあえず、末永く爆発する事を願ってるよ」

 友達はそう言い残し、購買に向かった。お昼を買いに行くようだ。

(……もし、彼女が俺と一緒の高校に通ってたら弁当とか作ってくれたのかな?)

 ふと、思ったことを首を振って消し、母お手製の冷食弁当を食べ始めた。






「え? 付き合うって何だと思うって?」

『ああ。今日、一日中考えても思いつかなくてさ』

 お昼に彼から誘いがあり、意気揚々と通話した瞬間、『付き合うって何だろう?』と哲学のような質問をぶつけられた。

「そりゃ、メールしたり電話したり……とかじゃ?」

 デート、という単語は言えなかった。遠距離恋愛をするって覚悟を決めたのにそんな魅力的な単語を口にしてしまえば、決心が揺らいでしまうから。

『俺の友達もそう言ってたよ』

 友達に私のこと、言ってくれたようだ。嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、ちょっと涙目になってしまった。

「なら、メールとか通話すれば……あれ?」

『そう。今までの俺たちと同じなんだよ』

「え!? あ、本当だ!?」

 学校ではずっと、メールの内容を考えていて全く、気付かなかったのだ。前のように返信ができなくなり、ちょっと焦ったのは秘密である。しかも、返信メールの内容を考えすぎて、電池が切れた。後で、充電しておこう。

『だから、付き合うって何なんだろうなって……』

「そう言われると、困っちゃうね」

 私は彼が初めての彼氏なのだ。

「あ! そうだ!」

 その時、大事なことを思いだした。

『お? 何か思いついたのか?』

「うん! 昨日、通話の後に……わかったことがあるんだけど」

 昨日のことを思い出してしまい、言葉が不自然に切れてしまうがごり押しで言い切る。

『何々?』

「私たちってお互いのこと、まだ何も知らないと思うの」

『そうか? だって、知り合って3か月だぞ?』

「何が好きとか、嫌いとかならわかるけど……例えば、本名とかさ? そう言った、個人情報を何も知らないと思うの」

『あー、確かにお互いの好みは知ってるけど踏み込んだ情報は何も知らないな。お前が東北に住んでるって言ってたけど詳しい県までは知らないし』

 彼は納得しているようだ。このまま、押し切る。

「だからさ? まずはお互いの顔写真を――」

『それだけは嫌だ』

「……え?」

 言葉の意味がわからなかった。だって、私と彼は付き合っているわけで、お互いの顔を知るのは必要なことだと思った。だからこそ、一番最初に提案したのだ。

(でも……)

『あ……す、すまん! いや、これはちがっ――』

 彼が慌てて、何かを訂正しようとするが結局、写真交換を拒んだ事実は変わらないわけで。

「ゴメン。今日は切るね」

『ま、待てって! おい!』

 私を止めようとする彼だったが、問答無用で通話停止ボタンをクリックする。愛しい彼の声が消え、何も聞こえなくなった。

「……」

 ポロポロと、零れる液体を私は、拭おうともせず、そのまま、ベッドに入る。明りもそのまま。パソコンも付けたまま。携帯の電源は切れたまま。私は眠りもせず、虚空を見続けた。






 翌日、俺は机に突っ伏していた。

「リア充さん、いきなり挫折しましたか?」

「お前は本当に確信を突くよな。オブラートって言葉は知ってるか?」

「生憎、粉薬は飲めるたちでね。そう言った物に頼ったことはないんだよ」

 こいつ、本当に憎たらしい。

「で? 何があった?」

「……顔写真交換しようって言われた」

「予想的中だったか……見せたのか?」

「嫌だって即答しちゃった」

「お前は本当にばk――いや、哀れだな」

 もう、哀れでもバカでも受け入れるほどのこと俺はやらかしてしまった。それぐらい自覚している。

「まさか、付き合って3日目で破局の危機か」

「俺も予想だにしていなかったぜ」

「まぁ、頑張れ」

「一緒に対策を考えてください!」

「俺が役に立てるとは思えないけど……とりあえず、状況説明よろ」

 すぐに昨日の通話のこと。メールしても返信が返って来ないことを話す。

「これは完全に嫌われたな」

「……どうすりゃいい?」

「顔写真を添付して送ればいい。ちゃんと本文に謝罪と傷の説明をしてな」

「……それ以外の方法で」

「無理だ。行け、ヘタレ」

 しかし、この頬の傷は勲章であって、トラウマでもある。正直、言いたくない。

「お前たちが付き合っている以上、見せないわけにはいかないだろう。それに早めに言っておいた方が傷も少なくて済む」

「何で、別れる前提で話してんだよ!」

「最初、お前、乗り気じゃなかったんだろ?」

 それを言われて、ハッとする。そうだ。俺は断ろうとしていたはずだ。

(なのに、どうしてこんなに必死なんだ?)

 考えても分からず、そっと友達にヘルプを目だけで送った。

「……それは自分で気付かないと駄目だから。とにかく、俺は対策案を出したからな」

 断られた。

「……ああ、ありがとう」

 お礼を言い終わった頃には友達はいなくなっていた。購買にパンを買いに行ったようだ。

「……はぁ」

 今日も俺は母お手製の冷食弁当に食らいつく。







「……ん」

 ゆっくりと意識が浮上して来て、目を開けた。

(そうだ。昨日、彼に写真交換を断られて……)

 思い出しただけで涙が零れそうになる。時計を見れば午後3時。結構、長い時間眠っていたようだ。

「あ、そう言えば……」

 携帯の充電を忘れていた。急いでコードを持って来てコンセントにセット。携帯に接続し、充電を開始する。数分経った後、電源を付けた。

「うわっ!?」

 すぐに大量のメールが送られてくる。全て、彼からだった。前半は謝罪の物ばかり。後半になるにつれ、私の身の心配しているような文章に変わっていった。

(私のことを……心配して?)

 このメールの量と文章で彼は私と仲直りがしたいようだ。だが、ならばどうして昨日、写真交換を断ったのだろう?

(もしかして、何か理由があったんじゃ?)

 彼はすぐに訂正し、何かを言おうとしていた。その時、理由を話そうとしてくれたのではないのだろうか?

「……あれ?」

 そんなことを思っているとまた、メールが届く。もちろん、あて先は彼。

「添付ファイルが付いてる?」

 添付ファイルは気になるが、まずは本文を読もう。パッと見、かなりの文章量だ。

『昨日はゴメン。顔写真を交換しようって提案してくれたのにすぐに断っちゃって……でも、それはちょっと事情があって……。多分、これを見たらお前は俺のことを嫌いになると思う。でも、付き合ってる以上、これは絶対に見せなきゃ駄目な物だから。もし、嫌いになったら返信しなくてもいい。後、同情しないでくれ』

 文章はそこで切れていた。

(見たら、嫌いになるような事情? 太ってるとか、ニキビがすごいとか、ハゲとか? 同情するなって書いてるけど……どういうことだろう?)

 勝手に想像しながら添付ファイルを開き、息を呑んだ。

「こ、これ……」

 彼の左側――いや、彼から見たら右頬か。そこには大きな切り傷があった。とてもじゃないけど、直視したいとは思えない傷だ。

(そ、そうか……だから)

 そりゃ、こんな傷を持っていたら顔写真など交換したくないだろう。それどころか自分が写った写真すら見たくないはずだ。それなのに、彼は写真を送って来てくれた。

 ……はい、キュンって来ました。だって、私と仲直りをしたいがために自分のトラウマを教えてくれたのだ。嬉しくないわけがない。むしろ、より好きになってしまった。

「よし」

 私はすぐに服を脱ぎ捨て、勝負服を身に纏う。軽く化粧もして携帯を手に取った。写真を撮る。

「うん、完璧」

 少しだけ目は紅いがそれ以外は完璧だった。メールに添付して本文を打ち、送信。

「……ふふ♪」

 いい加減、嬉しいことがあると声に出てしまう癖を直さなくてはいけないが、今はこの幸せを噛み締めることにする。






「……うわっ」

 返信が来たことと添付ファイルの中身を見て俺は自室で驚愕した。

「めちゃくちゃ……可愛いじゃねーか」

 俺のど真ん中である。声、容姿。全てが俺の好みのタイプ。逆によくネットという広い電子世界で巡り合えたものだ。奇跡としか言いようがない。

(そ、それに……返信が来たってことは許してくれたって事だよな?)

 写真の中にいる彼女も幸せそうな表情を浮かべている。

「よ、よかった……」

 安堵のため息を吐きながら椅子の背もたれに寄りかかった。

「それにしても……可愛いなぁ」

 何度見ても好みだ。今すぐにでも会いに行きたいと思ってしまうほどに。

「ん?」

 その時、写真の中に気になる物があった。正確には彼女の後ろ――本棚の中。

「これって」

 卒業アルバムだ。中学校のアルバムに刻まれている学校名は聞いたこともないが問題は小学校。

「いやいや、待てって……」

 こんな偶然があって良い物なのだろうか? 彼女の声は俺の好みで、彼女の顔は俺のタイプで――小学校は一緒とか。もはや、運命としかいいようがない。

 しかし、これは確かめるしかない。汚い部屋から小学校の卒業アルバムを発掘し、写真の物と見比べる。

「同じだ」

 携帯を置いて、アルバムを開く。とりあえず、俺が写っているページ。そこには右頬を大きなガーゼで隠している俺の姿があった。頬の傷を隠すために先生がガーゼをくれたのだ。

「えっと、彼女の名前は……」

 ページを捲ろうとするが、彼女の本名を知らなかったことに気付く。

(ここまで来て、お預けかよ)

 そのまま、ポフッとベッドに倒れる。もう一度、携帯の中で笑う彼女を見た。

「……ん?」

 またもや、気になる物を発見。今度は本棚ではなく、彼女の足元。そこには通学用と思われる鞄が落ちていた。

「おいおいおい? これって……」

 その鞄は大量の埃をかぶっている。

「あいつ……不登校なのか!?」

 衝撃の事実。あんなに楽しそうに話していたから不登校だったなんて思えなかった。

(いや、不登校だからこそ……ネットの世界に)

 俺もこの傷をどうにかして隠したくてネットでたくさんの人に質問した。しかし、満足できるような答えは帰って来なかったのだ。そして、そのまま電子世界の住人となり、彼女と出会った。

「……」

 このことを彼女に追究した方がいいのか。しない方が良いのか。俺にはわからなかった。

(とりあえず、保留)

 ベッドに寝転がりながら写真を見る。色々な疑問を抱きながら。







「え? 本名?」

『ああ、前、俺のせいで教えそびれてたし』

「そうだね」

 仲直りしてから2日後。私たちはお互いに名前を教え合った。

「へぇ……こんな名前なんだ」

『なんだか、気恥ずかしいな』

 照れているのか少しだけ笑いながら彼が言う。確かに、何だか恥ずかしくなって来た。

「え、えっと……あ! そうだ! ゴメンね? ろくに話も聞かずに通話、切っちゃって」

『いやいや! あれは100%、俺のせいだし! お前が謝ることなんてないって!』

「でもでも、私があの時、話を聞いてたら……」

『だから、俺が何も考えずに返事したせいだって……』

 お互いにお互いを庇う。気付いた時には二人してペコペコ、謝り倒していた。

「……ふっふふ」

『……くっくく』

 ほぼ同時に吹き出し、大笑いした。本当に彼と話していると楽しい。こんな私でも笑っていられる。それだけで良かった。今までは。

(あー、駄目……)

 笑いながら私は思う。


 ――彼に会いたい。






 二人して大笑いし、しばらく話した後、通話を切った。すぐに卒業アルバムを取り出し、時間をかけて確かめる。

「……いた」

 小さい頃の彼女だ。面影もあるし、間違いないだろう。

(まさか、同級生だったとは……)

 クラスは違うが、同じ小学校に通っていたらしい。俺は中学に上がると同時に関東に引越しした。その後すぐに彼女も東北に引っ越したようだ。

「……くっ」

 突然の頭痛。

(な、何だ!?)

 頭が割れそうな――まるで、何かを思い出すことを拒んでいるかのような。そんな頭痛だ。

「ぜ、ったいに、思い出し、てやる……」

 左手で頭を押さえながらアルバムの中にいる彼女を見続ける。そうすれば思い出せそうだったから。この右頬の傷の原因を。





















 仲直りしてから月日は流れ、そろそろ受験のことを考えなければならない高校3年生になった。それでも俺たちは変わらず、ほぼ毎日、通話している。まぁ、この頬の傷の原因はまだ思い出せていないが。

「それで、友達がさ?」

『……え? 何?』

 しかし最近、彼女の反応が悪い。理由はわからない。

「大丈夫か?」

『う、うん。大丈夫だよ?』

「いや、最近おかしいだろ? ぼうっとしてるって言うか」

『……大丈夫だから気にしないで?』

 声音からして、何か隠しているのは確か。でも、俺にはその心当たりがない。

(何なんだろう?)

 疑問に思ったが、質問しても答えてくれないのも確かなので、ここは黙っておく。


 それが、間違いだったと気付いたのはもう少し、後のことだ。









(駄目だ、どうしたんだろう? 私)

 彼との通話中、何故かぼうっとしてしまう。原因は分かり切っている。

(ダメダメ……一番最初、彼に言われたじゃん)

 首を振って己の欲望を消し去った。しかし、その欲望はすぐに私に脳を占拠する。

『おい? 聞いてるか?』

「う、うん! 聞いてるよ!」

 また、彼に心配されてしまった。

(ど、どうしよう……)

 あの仲直りをした日から着実に大きくなっている欲望。それを抑えたくても抑えることはおろか、今すぐにでも撒き散らしてしまいとも思ってしまう。自分ではどうすることも出来ずにただ、大きくなっていく欲望を抱き続けるしかない。そして、この欲望が解消された時、私たちはどうなっているかわからないのだ。だからこそ、怖い。こんな欲望を抱いてしまった私が許せない。でも、逆らえない。

(……彼に、会いたい)

 彼の笑顔を見てみたい。彼が住んでいる街に行ってみたい。彼と一緒に歩きたい。彼の……傷に触れたい。

 そんな欲望が私の中で蠢き、増殖し、私の理性を蝕む。これ以上、この状態が続けば絶対に、爆発する。それなのに、それを止める術を持っていない。

『――でさ? 親が旅行に行っちゃって、今一人何だよね。あーあ、家事とか面倒……っておーい? 大丈夫かー?』

 気が抜けた彼の声が更に私を追い詰める。

「……ゴメン。今日は、これぐらいにするね?」

『え? 本当に具合、悪いのか? あまり、無理するなよ?』

 やめて。

『最近、肌寒くなって来たし。風邪とか引かないようにな?』

 やめて。

『ああ、それと。何か悩み事があったらいつでも言えよ? 相談ぐらいなら乗れるから』

 やめて。

『じゃあ、また今度。おやすみ』

 やめて……これ以上、貴方を――好きにさせないで。もう、限界なの。

 通話が切れたことを知らせるウインドウを見ながら、私はクローゼットを開けた。










「どうした?」

 携帯を持ってぼうっとしていたら、友達に話しかけられた。3年生になっても同じクラスになったのだ。

「いや、あいつ、メールの返信して来なくてどうしたのかなって?」

「ああ、また彼女のことか……本当に惚れたな」

「……うるさい」

「はいはい。で? 今度は何が原因なんだ?」

「それがわからなくて……通話の時、ぼうっとしてることが多くなったぐらいで他は普通だし」

 俺の言葉を聞いて友達は目を細めた。

「いつからだ?」

「いや、本当に最近かな?」

「……お前、今、家に一人だったよな? そのことは言ったのか?」

「ああ、別に隠すことでもないし。世間話としては面白いかなって話したけど?」

「住所は?」

 肯定のために首を縦に振る。

「……って彼女が俺の家に向かってるとか思ってる?」

「正直、思ってる」

「彼女の家、東北だぜ?」

「新幹線とか飛行機とか乗ればすぐに来れるだろう?」

「そうだけど……」

 しかし、新幹線や飛行機に乗るにはお金が必要になる。そんな大金、すぐには用意できないだろう。

「俺の通り越し苦労ならいいんだが、用心はしておけ? 後ろからサクッと刺されるかもしれないから」

「いやいや、何で彼女をヤンデレ化させちゃったの!?」

 俺のツッコミをスルーして、友達は教室を出て行った。購買にカップ面を買いに行ったようだ。

「全く、さすがにヤンデレはないよ」

 ブツブツ文句を言いながら、俺は俺お手製の冷食弁当を食した。










「……おいおい?」

 その放課後。俺は冷や汗を流しながら自分の家を見つめていた。いや、正確には玄関。

 そこには可愛らしい服を来て大きな荷物を持ちながら玄関の前で体育座りしている女の子がいた。そう、彼女である。

(さ、刺される!?)

 思わず、後ずさりしそうになったが、彼女は前方にいるので後ろから襲われることはない。それどころか、彼女は俺の存在に気付いていないようだ。

(話しかけるか?)

 友達のせいで話しかけた瞬間に刺されるビジョンしか浮かんで来ないが、仕方ない。

「……あ」

 覚悟を決めて、家に近づくと彼女が気付き、顔を紅くし立ち上がった。

「や、やっほー……」

 軽めに挨拶してみる。

「う、うん……やっほー……」

 顔を真っ赤にした彼女が手を挙げて応えてくれた。駄目だ。その仕草、可愛すぎる。

「初めまして、ではないかな? よう。元気にしてるか?」

 空気が重くならない内に彼女に質問した。

「うん。大丈夫だよ。そっちも大丈夫?」

「おう、俺はあまり風邪を引かないんだ」

 1週間前に熱を出したが、男として少し情けなかったので、見栄を張ってみた。

「そうなんだ……」

 しかし、いつものように会話が続かない。結局、重い空気が流れた。

「とりあえず、入って」

 ポケットから鍵を取り出しながら彼女に言う。

「うん、ありがとう」

 少しだけ顔を紅くしながら彼女は頷き、俺と一緒に家に入った。











(ど、どうしよう……)

 欲望のままに家を飛び出して彼の元まで来てしまったが、どうするか全く、考えていなかった。居間に通して貰い、温かいお茶を飲みながら彼の様子を窺う。

 写真の通り、右頬に深い切り傷がある。傷口は開いていないので、かなり前に負った傷なのだろう。

 その時、彼は湯呑を傾けてお茶を啜った。その仕草が何だか、かっこよくてつい見とれてしまう。

「……何?」

 私の視線に気付いたのか彼が問いかけて来た。

「えっ!? な、何でもないよ!」

「そ、そうか……」

 また、沈黙。多分、お互いに何を話せばいいのかわからないからだと思う。

(やっちゃったなぁ……)

 やっぱり、我慢すればよかった。彼も困っている。

(嫌われちゃったかな?)

「それにしても、よくここまで来れたな?」

「へっ!?」

 突然、彼が話し始めたので驚いて悲鳴を上げてしまった。

「うわっ!? 吃驚した!?」

 私の悲鳴で彼も驚く。

「ど、どうした?」

「え、えっと……緊張しちゃって自分でも何が何だか……」

「……ふ、ふふ」

 テンパっている私を見て彼が小さく笑った。

「な、何?」

「いや、お前、変わらないなって。通話中でも挙動不審で。恋人同士なのにそんな雰囲気なんかありゃしない」

「だ、だって……」

 こうやって、リアルで会ったら彼が私の彼氏だと信じられなくなってしまったのだ。

「まぁ、お前はそれでいいよ。通話の時も自然体でいてくれたってことでしょ?」

「う、うぅ……」

 実際にそうなのだが、言葉にされたら恥ずかしくなってしまった。私の全てを彼にさらけ出しているように思えたからだ。

「……で? 何があったんだ?」

「え?」

「きっと、何かあって俺に会いに来てくれたんだろ?」

 彼は私の心配をしてくれているのだ。めちゃくちゃ、言いにくい。

「……えっとね?」

「うん」

「あなたに会いたくて……来ちゃった」

「……はい?」

「だ、だから……我慢できなくなっちゃって来ちゃったの!」

 恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだ。もう、穴があったら埋まって冬眠したい。

「な、何だそりゃ?」

 呆れているのか彼が苦笑いを浮かべる。

「し、仕方ないじゃん……それだけ、貴方の事が……」

 それ以上は言葉に出来なかったが、向こうは予測できたようで顔を真っ赤にした。

「そ、そうか……ありがとう」

「い、いえいえ! こちら、こそ……」

 俯く二人。『何だこれ?』と誰かに問いかけたくて仕方ないが、ここには私たち以外、いないのでどうすることも出来ずに悶え続けた。

「さ、さて……それは置いておいてだ。どうやってここまで?」

「そりゃ、新幹線で」

 さすがに飛行機の席は取れなかったのだ。都合よく、新幹線でキャンセルが出て乗ることが出来た。

「いや、お金は?」

「貯金を崩した」

「……お前、意外に無計画なんだな。泊まるところとかは?」

「うぐっ……」

 忘れていた。さすがに今から帰られない。下手したら、今日はネカフェで寝るしかないだろう。

「ネカフェで寝ようって思ってるだろ?」

「は!? え!? どうしてわかったの!?」

「付き合って半年以上、経ってんだぞ? 声と雰囲気でわかる。今日は泊まって行け。親もいないし」

「えええええ!? そ、そんな悪いよ!?」

 彼の家に押しかけただけでなく、1泊するなど失礼にもほどがある。

「お前が変な奴に連れて行かれでもしたら嫌だからな。ここに泊めた方が安全だし」

「そ、そりゃそうだけど……」

 付き合って半年。顔を合わせて1時間未満でまさかの初お泊り。色々なステップを通り越しているような気がする。

「そうと決まれば、寝る部屋を用意しなきゃ……でも、空いてる部屋もないし」

 ブツブツと彼は呟きながら立ち上がり、彼と私の湯呑を持ってキッチンの方へ歩いて行く。

 そんな中、私は早まる鼓動を抑えるために素数を数えていた。










「じゃあ、悪いけど俺の部屋で寝てくれ」

「え?」

 コンビニ弁当と言う名の晩御飯を食べている途中で彼女に言ったが、何故か聞き返されてしまった。

「だから、空いてる部屋がないから俺の部屋で寝てくれ」

「え、え!? じゃあ、貴方は!?」

「そこ」

 居間にあるソファは人一人が横になれるほどの大きさだ。ここに毛布を持って来て寝る。

「そんな!? さすがにそれは駄目だよ!」

「だって、部屋がないんだってば」

 俺の家はそれなりに大きいが部屋数が少ない。まぁ、それだけ一つの部屋が大きいのだが、物置にしていたりと余っていないのだ。

「じゃ、じゃあ! 余ってる布団は!?」

「え? 多分、物置にあると思うけど?」

「私もここで寝る!」

「……は?」











 というわけで、居間に置いてあったテーブルを端に寄せて、彼女はソファ。俺が布団で寝ることになった。

(どうして、こうなった……)

 晩御飯の前にネットで新幹線の切符を購入したので、彼女は明日、東北に帰る。そのため、『今日ぐらい居間のソファで寝てもいいな』と思っていたのだが、何故かこのような状況になっていた。

「ゴメンね? こんなことになっちゃって」

「いや、いいよ。お前に会えて嬉しかったし」

「う、うん……」

 部屋は真っ暗だ。彼女の顔も見えない。でも、恥ずかしがっているのはわかった。本当に彼女は恥ずかしがり屋だ。まぁ、さっきの台詞を言い終わった後に言葉の意味に気付いて、俺も照れているのだが。

「本当に、会えてよかった」

「え?」

「だって、通話でしか話したことがなかったし……住所が間違ってたらどうしようとか、会えても嫌われたらどうしようって考えててずっと、怖かった」

 確かに、俺だってそんな状況なら怖い。それでも、彼女は俺の家の前で待っていた。

「なぁ?」

「何?」

「何で、そこまでしたんだ?」

「え?」

「だって、今は高校3年だろ? 受験もあるし、そんな暇は……あ」

 そうだ。彼女は不登校だった。

「……もしかして、私が学校に行ってないって気付いてた?」

 俺が気付いた時に漏らした呟きで彼女も俺が『彼女が学校に行っていないと知っていた』ことに気付いたのだろう。そんな質問を投げかけて来る。

「……悪い」

「えっと、どうしてわかったのかな?」

「仲直りした日……俺のこの傷を写した写真を送った日。お前から送られてきた写真に埃をかぶった通学カバンが写ってて」

「うわぁ、自分でばらしちゃってたんだ……あれ? それってかなり前だよ? でも、一度もそのことには触れてなかったよね?」

「お前にも事情があるだろうし、聞くのも悪いかなって思ってな」

 実際は同じ小学校に通っていたことに気を取られ過ぎて、今の今まで忘れていたのだが。因みに、まだ彼女には小学校の件は話していない。この傷の原因がわかるまで、言わないでおこうと考えてのことだ。

「……じゃあ、話すよ。私が学校に行かない理由」

「え? いいのか?」

「だって、あなたの傷も見せて貰ったし私も教えないと、ね?」

 それから彼女は話し始めた。

 高校入学と同時に東北に引っ越した彼女はクラスに馴染めなかった。恥ずかしがり屋が祟ったのだ。そして、俺と出会う少し前。つまり、高校2年生の夏に――彼女のクラスでクラスメイトの部費が盗まれた。全員の証言を聞いて導かれた犯人は彼女だった。

 どうやら、部費が盗まれた可能性の高い時間に彼女しか教室にいなかったらしい。運悪く、移動教室に必要な物を忘れて教室に戻ったそうだ。その時に盗んだのではないか、と疑われてしまった。恥ずかしがり屋で話したい事も満足に言えなかった彼女は犯人扱いされて停学処分。そのまま、不登校になった。出席日数ギリギリで何とか、進級した彼女だったが、3年生になっても彼女は出席日数ギリギリの学校生活を送っているそうだ。

「お前、やってないんだろ?」

「もちろん! だけど……皆のあんな視線を受けたら、何も言えなくなっちゃって……」

「そっか……」

 何も言えなかった。励ますことも、別の話に切り替えることも出来ずにひたすら、時間だけが過ぎて行く。寝息はまだ、聞こえて来ないのでお互いに寝ていないのはわかっているのだが、どうすればいいのか悩み、沈黙が流れる。

「……やっぱりさ」

 しかし、その沈黙も長くは続かず、彼女が先に口を開いた。

「寂しかったんだと思う。部屋に籠ってずっとネットの世界に逃避する日々が。不登校になってすぐ、貴方に会って意気投合して私、すごく救われた」

 その声音は何だか、自分に無理矢理、言い聞かせているように聞こえる。

「本当に助かったよ? 貴方と話してると心が安らぐの。リアルの事を忘れられるの。本当に……嬉しかった。そんな貴方が私の彼氏になって……毎日、メールして、通話して。こうやって、リアルで会えた」

 彼女の声がどんどん、枯れて行く。

「もう、私、死んじゃうのかなってほど、心臓がドキドキしてる。今だって」

 涙声のまま、希望に満ち溢れた言葉を垂れ流す彼女。しかし、それはとても薄っぺらい物だった。


「私、学校やめてこっちに引っ越して来ようかな? バイトしながら頑張って生活する」


(やめてくれ)


「で、休みの日は貴方とデートするの。可愛い服は多分、着られないけど。精一杯、オシャレして貴方と色々な場所に行って楽しいことを一杯する」


(やめろ)


「出来たら、毎朝、貴方にお弁当とか作ってあげたいけど、さすがに重たいかな?」


(やめろってば)


「貴方は大学に行くのかな? なら、私がサポートするよ? ちょっと重たい彼女かもしれないけど、私、頑張るk――」









「……別れよう」








 気付けば、そんなことを言っていた。

「……え?」

「駄目だ。このままじゃお前、壊れる。リアルのプレッシャーに潰される」

「ま、待ってよ?」

「お前はただ、学校が怖いだけなんだ。人に信じて貰えないのが嫌なんだよ。人に嫌われるのが恐ろしいだけなんだよ」

「待ってって……」

「だって……お前が言った未来予想図は全部、現実逃避だったろ?」

「待ってよ……」

「こっちに引っ越す? お前の親はどうするんだ? こっちでバイトする? 高校中退した女の子を雇ってくれるバイトなんかあるのか? デートする? バイトがあったとしても生活するほど収入もないだろうし、デートするほど余裕があるのか? 弁当を作る? バイトで疲れてるのに早起き、できるのか? サポートする? お前、俺の気持ちを考えたのか? 彼女が大変な時に黙って見てられるはずがないだろうが!!」

 すでに心が壊れそうな彼女に対して冷酷に暴言を叩き込む。

「……」

 とうとう、彼女は何も言えなくなってしまった。

「もし、全部上手く行ったとしても俺は嫌だ。お前が苦労してるのなんか見たくない。いや、お前にそんな苦労はさせない」

 こっちに引っ越して来るならば俺は俺の両親を説得して、この家に住まわせてやる。

 バイトをするならば、俺も一緒にバイトしてやる。

 デートするなら、俺も頑張ってオシャレしてやる。

 弁当を作るなら、一緒に作ってやる。

 サポートするならば、俺だってサポートしてやる。

「嫌だ……別れたくない……」

 通話でも聞いたことがないほど、彼女の声は細々としていた。

「このまま、俺と付き合ってたらずっとお前は俺に甘える。いや、依存しちゃう。それは駄目なんだ。誰も幸せになれない」

「嫌だ……」

「駄目だ」

「嫌なの!」

「うぐっ……」

 彼女の絶叫と共に突然、何かが俺の上に落ちて来た。

「お願い……そんなこと、言わないで」

 彼女がソファから俺に向かって飛んだのだ。その拍子に生じた風が居間のカーテンを揺らし、月明かりが差し込む。

「あ……」

 その光が彼女の顔を照らす。マウントを取った状態で俺を見下ろす彼女の目から次から次へと涙が溢れていた。

「私は、貴方のことが好きなの……出会った時よりも、付き合った日よりも、仲直りした日よりも、リアルで会った時よりも……貴方のことが好きで好きでたまらないの」

 薄暗い部屋の中。光源は月明かりのみ。そして、そのスポットライトが照らすのは彼女。その光景はとても、幻想的で鼓動が早くなるのを感じた。

「俺も……好きだ。お前に告白された時よりもお前のことが好きだ」

「ならっ!」

「でも、今のお前はちょっと嫌いだ」

「……え?」

「本当はわかってるんだろ? 自分がしなきゃいけないこと。ここでこうやって、マウントを取ってる場合じゃないってこと。俺に会いに来てる場合じゃないってこと」

 彼女の涙が、俺の右頬の傷に落ちた。そして、その傷跡をなぞるように流れていく。

「な、何を……」

「見て見ぬ振りをするな。逃げてても誰も助けてくれないぞ?」

「で、でも、貴方は私を助けてくれた!」

「違う。助けたんじゃない。心の支えになっただけだ」

「それを助けって言うんじゃないの!?」

 どんどん、彼女の顔が険しくなっていく。

「俺と付き合っても、お前は不登校のままだったじゃないか!!」

「ッ!?」

「それは助けたって言わないだろ! それどころか、お前に逃げ道を作っただけだ! 俺は結局、お前の邪魔をしただけなんだよ!」

「邪魔なんてッ――」

「じゃあ、俺とお前がネットの世界で出会っていなかったら!? お前はどうしてた!? きっと、ネットもやめて、リアルと向き合おうとしたんじゃないのか!? だって、もう、逃げ道はないんだから!!」

 リアルから逃げ出した彼女が行きついたのはネットの世界。しかし、そのネットの世界からも見放されたら彼女はリアルに戻るしかなくなる。だが、俺と出会ってしまったばっかりに、ネットの世界は彼女にとって、とても心地の良い世界になってしまったのだ。

「うっ……」

 言い返せなくなったのか、彼女は言葉を詰まらせる。

「な? 別れよう? 今、付き合ってたら絶対に不幸になる」

「い、嫌だぁ……もう、会えなくなるなんて……」

 ポロポロと流れる涙をそっと両手で拭う。

「別に一生、会えなくなるとかじゃないから安心しろ」

「……え?」

 目を見開いた彼女の耳元まで顔を上げてそっと呟く。それを聞いた彼女は目を丸くする。

「ほら。これなら、お前も前を見てる。俺も前を見てる」

「そ、そうだけど……私、出来るかな?」

「ああ、お前なら出来る。いや、俺たちならきっと、上手く行く」

 小学校が一緒でネットという広い世界で再会を果たした俺たちなら大丈夫だ。根拠も何もないが、確信できた。

「……うん。わかった。私、頑張るね」

 まだ、泣いているが彼女は確かに笑った。

「やっとだな」

「え?」

「だって、ここに来てからお前、ずっと辛そうな顔してた」

「あ、あれ?」

 きっと、笑っているつもりだったのだろう。首を傾げながらほっぺたを揉んでいる彼女。その姿はとても、可愛くて愛おしかった。

「お前、可愛いな」

「へ!?」

「あ、悪い。思わず、言っちゃった」

「や、やめてよ……やっと、決心ができたのに揺らいじゃう」

 笑顔が苦笑に変わった。まぁ、それなら大丈夫だろう。

「だから、ゴメンってば……それより、これどうにかしない?」

「え?」

 俺の言葉で彼女はキョロキョロする。そして、俺の体に跨っていることに気付いた。

「あ、ご、ごめんなさい!?」

 顔を紅くしたまま彼女はすぐの俺の上からソファに移動する。俺も体を起こして彼女に向き直った。お互いに正座している。彼女はソファの上で正座しているので俺を見下ろす形になっているが。

「……さて、こうして俺たちは別れたわけだけど」

「う、うん」

「多分、俺はずっとお前のことが好きだと思う」

「えっ!?」

「この傷を見ても、怖がるどころかお前は喜んだ。何だか、お互いに弱いところを見せ合えるっていいなって……思ったんだ」

 自分でもクサい事を言っていると自覚しているので、言葉を区切ってしまったが、何とか最後まで言えた。

「……私も、これからも貴方のことが好きだと思う」

「そ、そうか?」

「だって、さっきの話、すぐに私は部費を盗んでないって信じてくれたでしょ? それがすっごく嬉しくて……それにそうやって、人を信じられるってすごいって思ったの。ううん、それだけじゃない。かっこよかったよ」

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」

 もう、俺も彼女も恥ずかしがっていない。だって、別に恥ずかしい事ではないからだ。






人を好きになるのに場所も距離も環境も状況も関係ない。ごく当たり前のことに過ぎず、俺たちはたまたま、ネットの世界で知り合っただけ。他の恋愛と変わらない。だって、住んでいる場所は離れていても、心は近くにあるのだから。





 こうして、俺たちは別れ、それぞれの道を歩み始めた。























 春。俺は桜舞い散る道を自転車で通り抜けていた。

「ん?」

 その風景を楽しんでいると、目の前に手を繋いだ男女がいた。男の右頬には深い切り傷。そして、男が何か言ったのか、女の方は顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。

(また、やってるのか……)

 同じ大学に入り、すでに二人がああやっていちゃいちゃしているのを何度も見て来たし、俺のいる前で披露してくれた事もある。その度に胸やけを起こしているのだが、まぁ、それもいいと思っている俺がいた。

「おう。お二人さん、今日も熱いね」

 自転車で追い越し、振り返ってバカにしてやる。

「「う、うるさい!」」

 バカップルは顔を紅くして反論して来るが、その幸せそうな顔で言われても俺の胸やけが酷くなるだけだ。

「早く、行かないと遅刻するぞ?」

「わかってるわかってる! お前は先に行けッ!」

 彼氏は手をブンブンと振って俺を催促する。

「はいはい」

 ため息交じりに頷き、ペダルを漕ぎ始めた。

(全く、世話の焼ける奴らだな)

 もう一度、振り返るとやっぱり幸せそうな友達とその彼女がいる。きっと、これからもあの二人の心は繋がっている事だろう。








「何なんだよ。あいつ」

 友達を追っ払い、不満そうにする彼。

「ふふ♪」

「ん? どうした?」

「いや、何だかんだ言って嬉しそうな顔、してたから」

「……そんなこと、無いと思うぞ?」

 照れているのか、そっぽを向きながら彼が反論する。

「それにしても、桜、綺麗だね」

「ああ、綺麗だな」

 立ち止まって、二人で桜並木を眺めた。そして、チラリと彼の右頬の傷を見る。

「あ、そう言えば」

「え? 何が」

「貴方の傷を見てたら、小学校の頃を思い出して」

 かなり怖い体験だったので無意識の内に記憶を封印していたようだ。

「……どんなの?」

「私が小学4年生の頃、変質者に襲われたことがあってね? 震えてたら、私ぐらいの男の子が助けてくれたの。その時に大人を呼ばれることを恐れた変質者が包丁を取り出したんだ。でも、その男の子ってば変質者に突っ込んで……驚いた相手が包丁を乱暴に振って男の子の右頬に傷を付けちゃったの。で、私ってば怖くなってそのまま、気絶して病院に運ばれたんだ」

「へ、へぇ? 男の子はどうなったんだ?」

「聞いた話によると、変質者と戦って頭を打ったらしくって……その時の記憶が飛んじゃったんだって。それに私、怖くて下を見てたから男の子の顔は覚えてないの。同じ小学校だって言ってたけど」

 私は会いに行きたかったけど、親に止められた。わざわざ、男の子に怖い記憶を思い出させるんじゃないと言われたのだ。

「あの子、大丈夫かな?」

「……きっと、大丈夫さ」

「え? 何で、わかるの?」

「そりゃ、勘って奴だな」

 その割には自信に満ちた表情を浮かべている。

「もう、適当なこと言って」

「いいのいいの。ほら、あいつの言った通り、そろそろヤバい。急ごう!」

「あ、うん!」




 桜舞い散る季節の中。私たちは走る。お互いの距離を確かめるように手をギュッと握りながら。


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― 新着の感想 ―
[良い点] こういったのはあんまり読まないんですが結構良いですね。ちょっと読む範囲を広げてみようかな…… [一言] ホッシーさんの小説色々読んでますけど面白いですね、他のも読んでみようと思います。
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