Ⅱ
その後雨は一日中降り注ぐ豪雨となっている。放課後を知らせる鐘の音が学校中に響き渡る。
そのころには梅も少し湿った枕から起き上がっていた。
「結局、一日保健室に居たわね」
机に向かう保険医は、彼女に机の書類から目を離さずに呟いた。
「……すいません」
「そんなことより、あっち」
後ろを指さした。その言葉で梅は扉へ向かい、そっと開いて行く。そこには男子生徒が壁に寄り掛かっていた。
「なんでいるの?」
「梅を待ってるんだ」
「……」
顔だけ出して、めんどくさそうに目線を向ける梅は、背中を押されて廊下へ出た。
「ほら、王子様が迎えにきてるでしょ?」
「これがですか?」
男子生徒を指さしながら、ありえないといったように笑みを浮かべる。
「君が明君でしょ」
「そうですけど、なんで名前を?」
「それは寝言――」
「さっさと行くわよ。先生さよなら」
「気をつけて帰るのよー」
解答は切り取られた。梅は急いで明の服を掴むと、すぐに下駄箱へ足を速めた。
「なんだよ、突然」
「なんでもない」
そういうとすぐに握っていた服を放す。
「さっきの――」
「うるさい」
「――まあいいか」
梅が睨みを利かせてきて、明は黙って疑問を投げ捨てた。
ゆっくり歩く梅に歩幅を合わせて、玄関にある傘立てから二人は傘を引き抜く。
帰路についている二人は靴や足を濡らしながら無言のまま歩き続けていた。降りやまない雨が傘を打つ。
「なんでついてくるの?」
「おくる」
「あんたの家は、反対方向の川沿いでしょ」
振り返り、通り過ぎた脇道を指さす。
「いいじゃないか」
「……一人になりたいの」
「……わかったよ」
その言葉によって二人はわかれた。しかたないといったように明は踵を返す。一人歩く梅はうつむきがちで歩き続けた。
「笠間地区だから遠いくせに」
呟き声は大雨の中にかき消された。少し歩いて行くとカッパで顔まですっぽり覆った大人たちが公民館前で話しこんでいた。
「こんな大雨が続いて川は大丈夫なのか?」
「三年前の氾濫の二の舞になるんじゃ」
「大丈夫だろ去年、土手も大きくしたじゃないか」
「しかし、昨晩中も降っていたぞ」
「水位も相当上がって」
「テレビでは洪水警報だって――」
視界を傘で覆う梅はその横を通りすぎる。また顔色が悪くなってきていた。歩幅も短くなり、目線が自分の靴を捉えている。すると見知った靴が視界の端に映った。
「えっ」
勢いよく隣を見るとやはり歩いている明の姿があった。
「なんで居るのよ」
「やっぱりおくる」
そこにはいつの間にか並んで歩いていた明の姿があった。
何も言わない二人は黙々と進んでいく。しかし沈黙は明がやぶり捨てた。
「……おやじさんのことまだ引きずってるのか」
「……」
「三年も経つんだ、そろそろふっきる――」
明の隣には梅はいなくなっていた。梅は立ち止まっていた。傘を深くまで傾け顔が見えない。
「なんでそんなこと言うの?」
「いや、ちがっ、俺は――」
焦るように取り乱した明を知り前に、梅は言葉を止めない。
「三年経ってもふっきれないわよ」
声は微かに震えていた。
「お母さんのことを十年も忘れられない私が、そう簡単にふっきれると思ってるの?」
傘口から見える肩は震えている。
「あんたも私に安い同情でもした? どうせ私の気持なんかわからない癖に」
「いや、だから――」
「もういいわよ」
そう言って梅は傘を深く傾けたまま進み始めた。
明とのすれ違いざまに見えた頬には、水滴が走っていた。
梅が通りすぎたあと、明は立ち止まっていた。強い風が吹き、まともに受けた傘が壊れてしまった。
しかしそれにも目もくれず、ただ俯いている。
「どうして、こう、俺は――」
すっかりずぶぬれの明の顔は苦悩に満ちていた。