Ⅰ
黒い雲が空を覆う中、部屋にはテレビには天気予報を伝える男性が、天気図を指している。
『――今日、梅雨――昨日の大雨で――』
その単語が耳に入るだけで朝食を食べる速度が遅くなった。テレビに向けられていた視線は、窓から覗く真黒な空を見上げる。
「雨か……」
ここから一番近い高校の制服に身を包んでいる彼女はため息をついた。
自分しかいないリビングで、空になった食器を片づけに立ち上がる。
支度を済ませ終えた彼女は、玄関で靴を履く。静まり返った家には挨拶もなく、黒く大き目の傘を片手に外へ出る。
鍵をかけていると彼女の背後には雨粒が地面にぶつかり、音を出し始め、雷がうなりを上げる。しかし昨日の夜にも降った大雨によって既に道には水たまりができている。
「……」
雨が降るように、顔色が少し青ざめ出した。傘を指し、構わずに足を動かして前へと進む。
「おーい、梅」
道行く彼女を呼び止めたのは、同じ高校の制服を着ている男だった。緑の傘を指し走ってくる彼は、梅と呼ぶ彼女と肩が並ぶと歩調を緩めた。
「また顔色悪いじゃないか」
「大きな声出さないでよ」
心配する彼をめんどうくさそうにあしらう梅の顔色は悪化していた。
「まだだめなのか。もう――」
「うるさい」
精一杯の声で、言葉を遮ると脱兎のごとく学校へ走っていった。校門前で梅の顔は真っ青になっている。
その足で向かうのは教室ではなく、保険室だ。
「失礼します」
「あら、どうしたの?」
「……気分が悪くて」
「はい。じゃ横になってなさい。先生には私から言っておくから」
日常会話のごとく投げられる言葉は、いつも通りを演出している。
保健室から出た保険医の先生は、すぐに目の前を通りかかった他の教員と扉の前で話始めた。
「また、麻生は保健室な――」
「また気分が悪いようでして」
「大雨の度に――では」
「まだ十六歳なん――三年前の梅雨で――亡くなって」
「……」
「まさか、生徒の事情を把握して――」
「いや、知って――と関係が?」
「私も詳し――家庭で、父親は大雨での川――」
「そうだっ――。では麻生のことお願いします」
「はい、わかってますよ」
会話を打ち切ると二人は別方向へ進んでいった。担任と保険医の会話は、 保健室のベットに丸くなっていても、扉一枚、カーテン一枚では会話が漏れてくる。
耳を塞ぐほど耐えきれなくはない。事実は受け入れないといけない。しかし会話は雨音で少し塗りつぶされる。
「こんなときに雨に感謝するなんて」
少しほっとしている自分が許せず、さらに身体を強く抱いた。
保健室には雨音だけが響いていた。
いつの間にか眠りについた梅は、一定のリズムで呼吸をしている。
授業の終わりを告げる鐘の音がスピーカーから流れだした。しばらくすると保健室に保険医ではなく一人の男子生徒が訪れた。
カーテンで区切られたベッドをそっと覗く。そこには規則よく呼吸をして眠る梅の姿がある。
その時間は一瞬ですぐに踵を返し、扉へと進んでいった。しかし不意にその足は止まった。
保管室には雨音以外のノイズが混じっていた。
「――」
音は聞き取れないほどだが、整った雨音に何かが混じっている。
男子生徒は再びカーテンに手をかけた。すると
「なんで? お母さん――」
うわ言のような呟きが微かに聞き取れる距離だった。
「……どこにいっちゃうの?」
カーテンを掴む手には力が込められていた。繊維が延ばされる布は今にも悲鳴を上げそうだ。しかし扉の開く音で手の力は抜ける。
「あら? 保健室に何か用?」
入ってきた保険医は男子生徒に話しかけた。
「具合悪はどうなのか気になって」
「ああ、麻生さんね」
「朝、顔色悪かったので」
「今はどう?」
「……寝てます」
男子生徒は顔をしかめていた。
「じゃあ、俺はもう行きます」
「麻生さんのことは私が――いえ、あなたがいれば大丈夫でしょ?」
外へ出た男子生徒に投げかける言葉は
「そんなことないですよ」
悲しそうに言葉を漏らした。
「なんだか複雑そうね」
少し困ったように苦笑する。男子生徒と同じようにカーテンの向こうを覗くと梅は寝言を呟いていた。
「明は……」
「複雑そうで単純かも」