第9話 考え始める――私は、いつまでここにいるのだろう
朝の空気が、少しだけ冷たくなっていた。
窓を開けると、森の向こうに薄い霧がかかっている。辺境伯領で迎える朝にも、ようやく慣れてきたはずなのに、今日はなぜか胸の奥が落ち着かなかった。
――私は、いつまでここにいるのだろう。
ふと浮かんだその考えに、自分で驚く。
追い出される不安は、以前ほど強くない。けれど、「ずっとここにいる」という想像も、まだできない。どちらでもない、宙に浮いたような感覚。
私は身支度を整え、部屋を出た。
廊下ですれ違う使用人たちは、いつも通りだった。必要以上に距離を詰めず、かといって避けることもない。その距離感が、心地よくもあり、少し寂しくもある。
朝食は一人で取った。
以前なら、こういう時間に次の予定を頭の中で整理していた。王太子の公務、貴族の動向、神殿との折衝。常に「先」を考えていた。
今は――何もない。
それが、楽であり、同時に不安だった。
食器を下げてもらい、私は中庭へ出た。風に揺れる木々を眺めながら、ぼんやりと歩く。
ここでは、誰も私に役割を求めない。
責められることも、評価されることもない。
――だからこそ。
私は、ここに“いるだけ”でいいのか、分からなくなっていた。
王都では、存在価値は常に条件付きだった。役に立つこと。問題を起こさないこと。空気を読むこと。そのどれかを欠けば、居場所は失われる。
その感覚が、まだ抜けない。
ふと、昨日の光景が思い出される。
私のいない場所で、私の評価が揺れなかったこと。辺境伯が、噂を一蹴した声。
――守られている。
そう思ってしまうのが、少し怖い。
守られることに慣れてしまえば、いずれ失った時に、立っていられなくなる気がした。
「……考えすぎ、ね」
小さく呟いて、私は首を振る。
けれど、思考は止まらない。
もし、いつかここを出ることになったら。
その時、私は何も残さずに去るのだろうか。ただ守られただけの存在として。
それは――嫌だった。
迷惑をかけたくない。混乱を残したくない。感謝も、借りも、曖昧なままにしたくない。
その思いに気づいた時、胸の奥が少しだけ引き締まった。
私は、「ここに居続けたい」と願っているわけではない。
ただ、「ここにいた時間」を、無意味にはしたくないだけだ。
それは、欲張りだろうか。
庭の手入れをしていた使用人が、私に気づいて軽く会釈をした。私は同じように会釈を返す。
その一瞬のやり取りが、なぜか胸に残った。
――私は、ここで何ができるだろう。
役職も、肩書きもいらない。評価される必要もない。ただ、余計な負担にならない形で。
そんな都合のいい居場所が、あるのだろうか。
答えは出ない。
それでも、以前とは違う。
王都で同じ問いを抱いた時、答えはいつも一つだった。
「役に立たなければ、いられない」
今は、違う。
役に立たなくても、追い出されない。
その前提があるからこそ、私は初めて「どうしたいか」を考えている。
怖い。けれど――少しだけ、自由だ。
私は、屋敷の方を振り返った。
あの場所に、辺境伯がいる。私の判断を急かさず、線を越えない距離で見ている人。
今すぐ何かを決める必要はない。
でも。
「考え始めた」こと自体が、きっと一歩なのだ。
私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
――まだ、答えは出さない。
ただ、ここにいる理由を、いつか自分で選べるように。
そのために、今日も一日を過ごそう。
そう思えたことが、昨日までの私とは、少しだけ違っていた。
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