第88話 揺れる街
王都の市場は、いつもより声が大きかった。
「決断できる方が必要だ」
「王太子殿下は慎重すぎる」
噂は速い。誰が流したわけでもない。だが空気が方向を持ち始めている。第二王子の演説は直接的ではなかった。
だが「迅速な体制」という言葉だけが残った。人は不安なとき、明快な言葉に惹かれる。城内でも同じだった。
「臨時集中決裁案は合理的だ」
「枠があるとはいえ、迅速性は保たれる」
若手貴族の支持は広がる。王太子は動かない。動かないことが、遅いと見られ始める。
その日の夕刻。王城前広場で小さな騒ぎが起きた。
「迅速な体制を!」
「国家に強い軸を!」
十数名の若者が声を上げる。暴徒ではない。だが明らかに煽られている。軍部がすぐに鎮める。剣は抜かれない。
血も流れない。だが意味はある。“民意”という形を取った圧力。王城内、会議室。
「誰が扇動した」
将軍アルドリックが低く問う。
「証拠はありません」
ルシアンが答える。
「自発的な動きの可能性も」
第二王子は静かに言う。
「民は不安なのだろう」
責めない。距離を取る。だが否定もしない。絶妙な立ち位置。私は窓の外を見る。小さな騒ぎ。
だが象徴的だ。旗を振らせなくても、旗は立つ。
「速さは、安心を与えます」
私は言う。
「安心は支持を生む」
「だが安心は、錯覚にもなる」
宰相が目を細める。
「錯覚とは」
「速さは結果を保証しません」
「保証のない速さに群がれば、失敗は拡大します」
沈黙。第二王子が私を見る。穏やかな笑み。
「あなたは常に最悪を想定する」
「国家設計は、最悪を前提にします」
彼は小さく頷く。
「私は最善を目指す」
対比が明確になる。王太子が立ち上がる。
「広場の件は軍部に一任する」
「民を責めるな」
声は静かだが強い。彼は焦らない。焦らないことが、強さになるかどうか。今はまだ分からない。
夜。
辺境伯が言う。
「風はあちらだな」
「ええ」
私は答える。
「ですが、風は変わります」
「変えられるか」
「風そのものは変えられません」
一瞬、間を置く。
「ですが、帆の向きは変えられます」
辺境伯は何も言わずに窓を閉めた。
閉めてから、もう一度だけ開け直す。
風の向きを、確かめるように。
市場の声が大きくなるのは、値段が動く前です。
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