第85話 静かな掌握者
王城大広間。王の長期療養が発表された翌日、貴族たちは自然と集まっていた。公式な招集ではない。
だが空気が呼んだ。ざわめきは低く、不安は高い。
「王太子殿下は慎重すぎるのではないか」
「迅速な体制を整えるべきだ」
若手貴族の声が目立つ。そのとき、扉が静かに開いた。騒がしさが、波のように収まる。
カイウス・エル・アルヴェイン。銀灰色の髪。柔らかな微笑。急がない歩み。彼は中央まで進み、周囲を見渡す。
声は低く、穏やかだった。
「皆、落ち着いてほしい」
一言で空気が変わる。命令ではない。安心させる声。
「父上はまだ御存命だ」
「王位を論じるのは早い」
ざわめきが止まる。誰よりも先に動くと思われていた彼が、“動かない”。それだけで評価が上がる。
「だが」
一拍。
「国家は止まってはならない」
卓を囲む顔が、順に上がった。
「療養が長引けば、政務は滞る」
「責任の所在を明確にする必要がある」
攻撃ではない。問いの形をした、置き石だ。
「迅速な決断ができる体制を整える」
「それは王太子殿下を補佐するためでもある」
味方の顔をする。だが、軸は握っている。若手貴族が頷き始める。彼は人を煽らない。人に考えさせる。
その頃、私は広間の端に立っていた。辺境伯と並ぶ。
「速い」
彼が小さく言う。
「ええ」
私は目を離さない。カイウスは私に気づく。微笑む。視線が交差する。彼はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「久しいですね、レティシア嬢」
声音は柔らかい。柔らかさで距離を詰めてくる人だ。
「お変わりなく」
「あなたも」
短い挨拶。だが周囲は見ている。
「港の件、見事でした」
賞賛。だがその目は計算している。
「構造を整える才能がある」
「ですが」
一歩近づく。詰めた分だけ、こちらが下がると思っている。
「国家は整えるだけでは動きません」
静かな刃。
「決める者が必要です」
私は視線を逸らさない。
「決める者にも、持続の設計が必要です」
一瞬の沈黙。彼の笑みが深くなる。
「面白い」
小さく言う。
「あなたは支える」
「私は握る」
宣言ではない。定義。対立はまだ始まっていない。だが思想は明確だ。彼は去る。周囲には安心感が残る。
強さではない。“頼れる感覚”。それが危うい。
「敵ではないな」
辺境伯が言う。
「いいえ」
私は静かに答える。
「思想です」
辺境伯は、それには答えなかった。
ただ、廊下へ出るとき、いつもより半歩だけ後ろを歩いた。
公式な招集がないところに集まる人たちのほうが、たいてい先に動きます。




