第8話 王都の違和感――気づけない理由
王都では、季節が一つ進もうとしていた。
朝の回廊を歩きながら、王太子カイルは眉間にわずかな皺を寄せていた。窓の外では、庭師たちが忙しなく動いている。何一つ、変わっていない光景のはずなのに、どこか噛み合わない。
――静かすぎる。
それが、最初の違和感だった。
婚約破棄から、まだ数日しか経っていない。にもかかわらず、政務は滞りなく進み、書類の不備もない。神殿との折衝も、予定通りに運んでいる。
問題が、起きない。
それは本来、喜ぶべきことだ。だが、胸の奥に、妙な引っかかりが残る。
「……セシル」
隣を歩く聖女に声をかけると、彼女はすぐに振り向いた。
「はい、殿下」
柔らかな声。少し不安げに揺れる瞳。
「最近、何か困ったことはないか」
「い、いえ……皆さま、とても親切で……」
そう答えながら、彼女は少し視線を逸らした。
以前なら、そこまで気にならなかったはずの仕草が、今は目に留まる。
親切。
その言葉が、ひどく曖昧に聞こえた。
執務室に入ると、机の上には整然と書類が並んでいる。目を通すと、どれも問題がない。署名の位置も、付箋の使い方も、見慣れた癖。
――レティシアの仕事だ。
そう思った瞬間、自分でも驚いた。
もういない人間の名前が、自然と浮かぶ。
「……いや」
彼は小さく首を振った。
あれは、不要な存在だったはずだ。融通が利かず、冷たく、聖女を苦しめていた悪役令嬢。だから、切り捨てた。
それで、全てが良くなるはずだった。
「殿下」
補佐官が声をかける。
「神殿から、寄付金の確認が」
「……問題は?」
「いえ。帳簿は整っています。ただ……」
言いよどむ様子に、カイルは顔を上げた。
「ただ?」
「以前より、確認に時間がかかっております。神殿側が、細部まで質問を……」
カイルは、机に指を置いた。
神殿が細かくなるのは、異例だ。今までは、最低限のやり取りで済んでいた。
「……理由は」
「不明です。ただ、以前は――」
補佐官は言葉を選ぶように続けた。
「以前は、レティシア様が事前に調整をされていたと……」
その名が、空気を揺らす。
カイルは、一瞬だけ黙り込んだ。
「……それだけのことだ」
やがて、そう言って書類に視線を戻す。
だが、胸の奥の違和感は消えない。
誰かが、裏で支えていた。
それは分かる。だが、それが“なぜ必要だったのか”が、まだ理解できない。
セシルが、不安そうに口を開いた。
「殿下……私、何か至らないことを……?」
「違う」
即答だった。
「君は、何も悪くない」
その言葉に、彼女は安堵したように微笑む。
それを見て、カイルは自分に言い聞かせる。
――正しい選択だった。
レティシアは、過去の人間だ。今さら考える必要はない。
それでも。
書類を閉じた時、ふと浮かんだ疑問が、頭から離れなかった。
もし、彼女が本当に不要だったのなら。
なぜ、こんなにも“調整が必要”になったのか。
なぜ、誰も「彼女の代わり」を務められないのか。
答えは、まだ出ない。
そして――。
その理由を、彼は最後まで理解しないまま、時間だけが過ぎていくことになる。




