第7話 揺るがない評価――彼女がいない場所で
その日の午後、屋敷に一通の知らせが届いた。
王都からの使者――正確には、辺境伯領を管轄する軍の補給担当官だという。物資の確認と、今後の輸送計画についての打ち合わせらしい。
私は、その場に呼ばれなかった。
それが、少しだけ意外で、同時に安心でもあった。
――私は、関係者ではない。
そう思うことで、余計な期待を抱かずに済む。
私は中庭で、干された洗濯物を畳むのを手伝っていた。風が心地よく、布が揺れる音が静かだ。屋敷の中から、低く抑えた話し声が聞こえるが、内容までは分からない。
「……例の令嬢の件ですが」
ふと、風に乗って、はっきりとした声が届いた。
私は、無意識に手を止めた。
「王都では、あまり良くない噂も聞いております。正直なところ、辺境伯様のお立場を考えると……」
それ以上は、聞かなくても分かる。
――悪役令嬢。
――婚約破棄された女。
――問題を起こした人物。
慣れているはずの言葉なのに、胸の奥が、きゅっと縮んだ。
私は、何も言わず、洗濯物を畳み続ける。聞こえないふりをするのは、昔から得意だった。
しばらくして、別の声が響く。
低く、短い。
「その話は、終わりだ」
辺境伯の声だった。
空気が、変わる。
「……失礼ですが、私は事実確認を――」
「必要ない」
遮るように、きっぱりと。
「彼女は、私の領にいる」
それだけで、十分だと言うように。
「王都で何があったかは知らない。だが、こちらでの彼女の振る舞いは、私が見ている」
一拍の沈黙。
「誠実で、余計なことを言わず、必要以上に前に出ない。屋敷の者に混乱をもたらしたこともない」
淡々とした言葉が、積み重なる。
「それ以上の評価が、必要か?」
返答がない。
やがて、気まずそうな咳払いが聞こえた。
「……いえ。そのように仰るのであれば」
「二度と、彼女を“噂”で測るな」
辺境伯の声は、静かだった。
けれど、揺るぎがない。
「評価するなら、現場を見ろ。それができないなら、口を出すな」
そこで、会話は終わったようだった。
私は、洗濯物を畳んだまま、しばらく動けなかった。
――今の、私のことだろうか。
自分がいない場所で、自分の話がされている。その事実だけでも、胸がざわつく。
しかも。
庇われた。
説明も、弁解も、私の存在もなしに。
しばらくして、辺境伯が中庭に出てきた。私に気づくと、足を止める。
「……聞こえたか」
問いかけは、責める調子ではなかった。
「……少しだけ」
私は、正直に答えた。
「不快だったなら、すまない」
そう言われるとは思っていなかった。
「いえ……」
言葉を探す。
「……ありがとうございます」
それしか、言えなかった。
辺境伯は、わずかに首を振った。
「礼を言われることではない。事実を述べただけだ」
事実。
その言葉が、胸に落ちる。
「私は、君を守るために言ったわけではない」
彼は続けた。
「この領にとって、不要な混乱を避けただけだ」
それは、冷たい言い方だったかもしれない。
けれど。
――それでいい。
感情で守られるより、判断で守られる方が、ずっと安心できる。
「……分かりました」
私は、そう答えた。
それ以上、言葉は交わさなかった。
その日の夜。
部屋に戻り、窓辺に立つ。森の向こうに、星が瞬いている。
胸の奥が、静かだった。
喜びでも、安心でもない。
ただ――揺れなかった。
私がいない場所で、私の評価が揺れなかった。
それが、こんなにも心を支えるなんて、知らなかった。
信じたい、とはまだ思えない。
でも。
この人は、少なくとも――私を“状況次第で切り捨てる人”ではない。
その事実が、夜の闇の中で、確かな輪郭を持っていた。
私は、そっと目を閉じる。
明日も、ここにいられる。
その考えが、今日は疑問形にならなかった。




