第52話 便利さと人生の違い
翌日、再び応接室に通された。
エリオットは、前日と同じ穏やかな表情で待っている。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
形式的な挨拶のあと、彼はすぐに本題に入った。
「昨日のお話を受け、改めて申し上げます」
机の上に置かれた書面。
「王都は、あなたを必要としています」
同じ言葉。
だが今日は、少しだけ重みを増している。
「あなたの整える力は、国家規模で活かされるべきです」
「王都は、あなたに相応しい舞台を用意します」
舞台。
私は、その言葉を静かに受け止める。
「……舞台に立つことが、望みとは限りません」
私の声は、穏やかだった。
エリオットは目を細める。
「では、何が望みですか」
問われる。
明確な答えを、期待して。
私は少し考える。
「静かに生きること、でしょうか」
曖昧な答え。
けれど、嘘ではない。
「あなたほどの能力を持ちながら」
エリオットの声が、わずかに強まる。
「それは、国家にとって損失です」
損失。
正しい言葉だ。
私は頷く。
「かもしれません」
彼は一瞬、言葉を失う。
「……否定なさらないのですね」
「否定はしません」
私は、ゆっくりと続ける。
「私は、便利だったと思います」
王都で。
誰かの不足を埋める存在。
調整役。
歯車。
「便利であることは、価値があります」
エリオットは即座に言う。
「価値は、あります」
私は同意する。
「でも」
少しだけ、視線を落とす。
「便利であることと、幸せであることは、同じではありません」
部屋の空気が、止まる。
エリオットは、初めて完全に沈黙した。
彼の中で、国家の論理が一瞬だけ空転する。
「王都は、あなたを正当に評価します」
「評価は、ありがたいです」
「ならば」
「評価されるために、生きたいわけではありません」
静かな断言だった。
怒りも、恨みもない。
ただの事実。
「私は、誰かの損得の中で、自分を測り続けるのをやめたいだけです」
それが、本音だった。
王都に戻れば、再び評価の世界に立つ。
役割を求められ、成果を期待される。
それが悪いとは思わない。
でも、今は違う。
「あなたは、国家よりも個人を選ぶのですね」
エリオットの問いは、昨日よりも低い。
「国家を否定しているわけではありません」
私は首を振る。
「ただ、自分を否定しない選択をしているだけです」
長い沈黙。
エリオットは、ゆっくりと息を吐いた。
「……あなたは、思っていたよりも強い」
評価ではない。
観察の言葉。
「いいえ」
私は小さく笑う。
「弱くなったのだと思います」
もう、全部を抱えようとしない。
それを弱さと呼ぶなら、それでいい。
会談は、静かに終わった。
立ち上がり、礼をする。
廊下に出ると、風が強くなっていた。
王都の論理は、正しかった。
けれど、私の人生は、損益計算ではない。
便利であることと、幸せであることは違う。
その違いを、ようやく言葉にできた。
それだけで、十分だった。




