第50話 正式に知らされる
夕方、執務室に呼ばれた。
それだけで、十分だった。
廊下を歩きながら、足音がいつもより少しだけ重い気がする。
扉の前で一度息を整え、ノックをする。
「入れ」
低い声。
室内には、辺境伯アレクシスと補佐官だけがいた。
王都の使者の姿はない。
それだけで、少しだけ安心する自分がいる。
「座れ」
珍しく、椅子が用意されていた。
私は素直に腰を下ろす。
アレクシスは、しばらく何も言わなかった。
視線は穏やかだが、いつもよりわずかに真剣だ。
「王都から、正式な使者が来ている」
やはり、と思う。
「お前の件だ」
はっきりと、名前は出さない。
けれど、曖昧さもない。
胸の奥で、何かが静かに落ち着く。
驚きはない。
ただ、確認された、という感覚。
「王都は、地位を用意している」
淡々と説明が続く。
「内政補佐官の席。待遇は従前以上。名誉の回復も公に行うそうだ」
言葉は整然としている。
怒りも、皮肉も混ざっていない。
「将来的な縁談への配慮も示された」
そこだけ、少しだけ間があった。
私は、静かに聞いている。
王都が並べた条件が、ひとつずつ机の上に置かれていく。
地位。
待遇。
名誉。
将来。
かつての私なら、胸がざわついたはずだ。
取り戻せる。
正しい場所に戻れる。
誤解を正せる。
でも。
今は、違う。
「本人と会いたい、と言っている」
それが、本題だった。
私は、顔を上げる。
アレクシスの視線は、真っ直ぐだ。
「会うかどうかは、お前が決めろ」
委ねられた。
初めて、完全に。
止めない。
誘導しない。
望みも言わない。
ただ、判断を渡される。
胸の奥に、わずかな揺れが生まれる。
王都に戻るかもしれない未来が、目の前に形を持つ。
私は、ゆっくりと息を吸った。
「……急ぎですか」
「いいや」
即答。
「急がせるつもりはない」
その一言で、胸の揺れが静まる。
急がなくていい。
今すぐ答えなくていい。
それだけで、視界が澄む。
「会わなければならない義務はない」
アレクシスは続ける。
「会ってもいい。会わなくてもいい」
完全な選択。
逃げ場も、強制もない。
私は、膝の上で手を重ねる。
王都の条件は、魅力的かもしれない。
けれど。
ここを離れる自分の姿を、想像する。
胸は、静かだ。
高鳴らない。
期待も、不安も、強くはない。
ただ、距離がある。
「……少し、考えます」
それが、今の正直な答えだった。
アレクシスは、短く頷く。
「時間はいくらでもある」
それ以上、何も言わない。
私は立ち上がる。
扉の前で一瞬だけ立ち止まり、振り返る。
彼の表情は変わらない。
止めようとする気配も、送り出そうとする気配もない。
ただ、そこにいる。
廊下に出る。
空はまだ重いが、風は少しだけ動き始めている。
王都が、正式に手を伸ばしてきた。
私は、その手を見ることになる。
けれど。
掴むかどうかは、私が決める。
その事実が、何よりも大きかった。




