第3話 迎え――理由を聞かない人
馬車は、想像していたよりもずっと静かだった。
明け方の王都は霧に包まれ、石畳を進む音がやけに遠く感じる。護送と言っても、同乗しているのは形式的に付けられた兵が二人だけ。彼らは必要以上に私を見ない。それが、ありがたかった。
私は膝の上で手を組み、窓の外を見ていた。
王都の城壁が遠ざかるにつれ、胸の奥にあった重たいものが、少しずつ薄れていく。代わりに浮かぶのは、不安――ではなく、空白だった。
これからどうなるのか、想像しないようにしている。
想像すれば、期待が生まれる。期待は、裏切られるための準備だ。
だから私は、何も考えない。
馬車は街道を抜け、昼近くには人の往来もまばらな場所に差しかかっていた。辺境伯領は、まだ先のはずだ。
その時だった。
前方の兵が、急に手綱を引いた。
「……止まれ」
馬車がきしりと音を立てて止まる。何事かと窓に近づこうとした瞬間、外から低い声が響いた。
「ここから先は、私が引き取る」
静かな声だった。けれど、不思議と通る。
兵の一人が慌てて馬車から降りる。
「ど、どちら様だ! この馬車は王宮の――」
「承知している」
短く遮る声。
「レティシア・アルヴェイン嬢の身柄は、辺境伯である私に委ねられている。書状もあるが、読むか?」
その名に、兵が息を呑む気配がした。
「い、いえ……失礼しました!」
数秒の沈黙のあと、馬車の扉がノックされる。
「……レティシア嬢」
私は、一瞬だけ目を閉じてから、扉を開けた。
そこに立っていたのは、噂通りの男だった。
背が高く、無駄のない体つき。黒に近い濃紺の外套。装飾は少なく、剣だけが腰にある。顔立ちは整っているが、笑みはない。感情を読み取るのが難しい、冷えた湖のような目。
辺境伯――アレクシス・ヴァルド。
私は、条件反射のように礼をした。
「……レティシア・アルヴェインです。本日は――」
「挨拶は後でいい」
淡々とした声だった。
「寒くないか」
思わぬ言葉に、私は一瞬言葉を失った。
「……いえ」
本当は、少し寒い。けれど、それを言う意味が分からなかった。
彼は私を一度だけ見て、それから馬車の中を確認するように視線を巡らせた。
「荷物はそれだけか」
「はい。最低限を」
「分かった」
それだけ言うと、彼は兵に向き直る。
「ここまででいい。あとは私が責任を持つ」
兵たちは互いに顔を見合わせ、深く頭を下げた。
「ご武運を……」
そう言って、彼らは引き返していった。
街道に残されたのは、私と辺境伯、そして彼の従者と思しき数人の騎士だけ。
あまりに、あっさりしていた。
私は戸惑いながらも、再び礼をしようとした。
「辺境伯様。このたびは、お手数を――」
「責任だ」
彼は短く言った。
「王命であろうと、形式であろうと、君は私の領に来る。その時点で、守る義務が生じる」
義務。
その言葉は、優しくも甘くもない。けれど、不思議と胸に引っかからなかった。
「……私のこと、何もお聞きにならないのですか」
気づけば、そんな質問をしていた。
彼は一瞬だけ、私を見た。
「何を」
「……王都でのことです。私が、どういう理由で追い出されたのか」
辺境伯は、少し考えるような沈黙を置いたあと、首を振った。
「必要ない」
即答だった。
「噂も、罪状も、私には関係ない。君がここにいる。それだけだ」
胸の奥で、何かが小さく音を立てた。
安心……とは、少し違う。理解でも、同情でもない。
ただ、判断されないという事実。
「……そう、ですか」
それ以上、何も言えなかった。
辺境伯は、私に外套を差し出した。
「馬を用意している。長くはないが、歩かせるよりは楽だ」
「ありがとうございます」
私は外套を受け取り、肩に掛けた。ほんのりと、外の冷気とは違う温度が残っている。
彼はそれ以上、何も言わなかった。
けれど――。
理由を聞かれなかったことが、こんなにも心を軽くするなんて、思ってもみなかった。
私は、辺境伯の後ろ姿を見ながら、静かに思う。
ここなら。
もしかしたら――息をしても、いいのかもしれない。
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