第26話 王都で囁かれる違和感
王都では、いつもより書類の山が高くなっていた。
王城の一角にある執務室で、官吏たちは静かに、しかし確実に疲弊し始めている。机に積まれた報告書は、どれも決定的な問題を含んでいない。けれど、“小さな引っかかり”が、いくつも重なっていた。
「……また、辺境伯領の件ですか」
若い官吏が、手元の書類をめくりながら言った。
「ええ。数値は問題ありません。供給も安定していますし、抗議もない」
「それなら、いいのでは?」
年配の官吏は、ゆっくりと首を振った。
「良すぎるのです」
その言葉に、室内が少し静まる。
「良すぎる、とは?」
「報告が、滞らない。修正がいらない。問い合わせを出しても、返答が早い」
それは、理想的な状態のはずだった。
だが、王都の官吏たちは知っている。地方領で、そこまで滑らかに事が進むのは、稀だということを。
「以前は……」
誰かが、言葉を探すように口を開いた。
「以前は、もう少し“調整”が必要でしたよね」
その“以前”が、何を指しているのか。誰も口にはしなかったが、全員が理解していた。
婚約破棄が起きる前。
王太子の執務が、まだ滞っていなかった頃。
「辺境伯が、急に有能になったとは思えません」
率直な言葉だった。
「ええ。元々、堅実な方ではありましたが……」
年配の官吏は、書類を机に置く。
「問題は、“誰が整えているのか”が見えないことです」
名前がない。
担当がない。
功績が紐づかない。
それが、違和感の正体だった。
「調べますか?」
若い官吏の問いに、年配の官吏は少し考える。
「……いえ。今はまだ、様子を見ましょう」
「様子見、ですか」
「下手に探れば、こちらが構えていることを知らせるだけです」
相手は、前に出ていない。だからこそ、こちらも出ない方がいい。
王都の判断は、常に遅い。慎重で、遠回りだ。
「ただし」
年配の官吏は、静かに付け加えた。
「王太子殿下には、伝えておきます」
話題は、そこで切り替わった。
一方、その頃。
私は、辺境伯領の書庫で、本の背表紙を整えていた。
王都で、誰かが“違和感”について話していることなど、知る由もない。
窓から差し込む光が、床に細い影を落とす。穏やかな午後だ。
私は、本を一冊棚に戻し、深く息を吸った。
今日も、何も変わらない。
それが、少しだけ嬉しかった。
王都で囁かれ始めた違和感が、いつか波紋になるとしても。
今の私は、まだ、その中心にいない。
そして――それでいい。
私は、本の並びをもう一度確認し、静かに次の棚へと手を伸ばした。




