第21話 他領の視察団
屋敷に、いつもとは違う気配があった。
朝から人の出入りが多く、廊下を行き交う足音も少しだけ増えている。慌ただしいというほどではないが、日常とは違う緊張が、空気に混じっていた。
――視察団。
他領から、数名の役人と随行員が訪れると聞いている。辺境伯領の運営状況を確認するための、形式的なものだ。
私は、その準備の一部に関わっていた。
といっても、前に出るわけではない。資料の整理、配置の確認、行き違いが起きそうな箇所への小さな印。それだけだ。
書類を机に並べながら、私は意識して深く関わらないようにしていた。
視察団は“外”の人間だ。余計な印象を与える必要はない。整っていれば、それで十分。
「こちらは、この順で」
補佐官に資料を渡し、私は一歩下がる。
「助かります」
短い礼。そこに、それ以上の意味は含まれていない。
午前中、応接室では視察団との挨拶が行われていた。私は同席せず、控えの部屋で待機する。必要があれば呼ばれるが、今のところその気配はない。
それでいい。
私は、書類棚の前に立ち、念のため内容を確認する。視察用にまとめられた報告書は、簡潔で、無駄がない。誰かの主張が前に出る形ではなく、事実だけが並んでいる。
――変わったことは、書いていない。
ただ、整っているだけだ。
昼前、廊下の向こうから声が聞こえてきた。
「……思ったより、分かりやすいですね」
「ええ。説明が少なくて済みます」
視察団のものだろう。私は、気づかれないように、その場を離れる。
直接関わらなくても、十分に伝わっている。
午後、視察団は領内の施設を見て回った。私は同行せず、屋敷に残る。いつも通りの仕事をする人たちの邪魔にならないよう、距離を取る。
夕方近く、視察が終わり、応接室に再び人が集まった。
私は、扉の外で待機していた。
「……無駄がありませんね」
聞こえてきた声に、足を止める。
「特別なことをしているわけではないのに、全体が噛み合っている」
感心したような調子だった。
「辺境伯殿の手腕でしょうか」
「それだけではない気がしますが……」
そこで、声は少しだけ小さくなる。
私は、それ以上聞かずに、静かにその場を離れた。
――評価は、必要ない。
そう思いながらも、胸の奥がわずかにざわつく。
自分が関わった部分が、外から見て“整っている”と感じられた。その事実だけが、残った。
視察団が屋敷を後にしたのは、日が傾き始めた頃だった。
私は窓から、彼らの馬車が遠ざかるのを見送る。
特別なことは、何も起きていない。
私は前に出ていないし、名前も出ていない。いつも通りの一日だ。
それでも。
外の人間が、「違和感」を覚える程度には、この場所は整っているらしい。
その中心に自分がいるとは、思わない。
けれど、まったく無関係でもないのだろう。
私は窓を閉め、静かに息を吐いた。
今日も、役割は与えられていない。
それでいい。
この場所が、ただ“普通に回っている”こと。
それだけが、今の私にとって、十分だった。
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