第20話 私は、変わっていない
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
目を覚まして、しばらくそのまま天井を見つめる。頭の中は、驚くほど静かだった。昨日の出来事を思い返しても、胸がざわつくことはない。
――私は、変わっていない。
そう思えたことが、少し意外だった。
辺境伯領に来てから、環境は大きく変わった。人も、空気も、求められるものも違う。それなのに、自分の中身が別人になった感覚はない。
相変わらず、気づいてしまう。
相変わらず、踏み込みすぎるのを怖がる。
相変わらず、線を意識している。
私は、身支度を整え、部屋を出た。
廊下ですれ違う使用人に挨拶をする。そのやり取りも、特別ではない。昨日と同じ、いつも通りの朝だ。
食堂で朝食を取りながら、ぼんやりと周囲を眺める。
皆、忙しそうだが、苛立ちはない。昨日の小さな混乱は、もう残っていないらしい。
――誰も、困っていない。
その事実に、胸の奥が少しだけ緩む。
私は、ここに来てから、何かを“成し遂げた”わけではない。問題を解決した覚えも、大きな判断をした記憶もない。
それでも、日々は流れている。
自分がいなくても回る。
自分がいれば、少しだけ楽になる。
その程度の存在であることが、今は心地よかった。
午前中、未整理の書類に目を通す。昨日と同じように、気づいた点に小さな印をつける。直さない。主張しない。ただ、残す。
手を止めた時、ふと思う。
王都にいた頃の私は、同じことをしていた。何も変わらない。ただ、結果の受け取られ方が違っただけだ。
あの場所では、私は「役に立つ女」だった。
ここでは、「いてもいい人間」だ。
午後、中庭を歩く。
風に揺れる木々を見上げながら、私は小さく息を吐いた。
もし、明日ここを離れることになっても。
もし、いつか別の場所へ行くことになっても。
今の自分を、嫌いにならずにいられる気がする。
それが、何より大きな変化だった。
変わっていない。
けれど、壊れてもいない。
夕方、部屋に戻り、窓を開ける。
森の向こうに、ゆっくりと陽が沈んでいく。
私は、その光を眺めながら思った。
――私は、変わっていない。
だからこそ、ここで息ができている。
誰かに作り替えられたわけでも、無理に強くなったわけでもない。ただ、自分のままでいられる場所に、今は立っている。
それでいい。
今日は、それを確かめるだけの日だった。
私は窓を閉め、静かに夜を迎える準備をした。
明日も、きっと同じような一日が来る。
その予感を、怖いとは思わなかった。




