第18話 一人減っただけで起きる混乱
その日は、少しだけ歯車が噛み合わなかった。
朝の回廊を歩いていると、いつもより足音が多い。早足の使用人が行き交い、控えめな声で何かを確認し合っている。
「……あれ、まだ届いていない?」
「昨日の時点では、こちらに回るはずでしたが」
私は、その会話を聞きながら通り過ぎた。
内容は、分からない。けれど、どこかで“順番”がずれているのだろうということだけは、感覚的に理解できた。
――今日は、私は関わっていない。
昨日から今朝にかけて、私は意図的に書類に触れていなかった。体調が悪いわけではない。ただ、少し距離を置いてみようと思っただけだ。
自分がいなくても、問題は起きない。
そう確認したかった。
執務室の前を通ると、扉の向こうから声が聞こえる。
「確認が二重になっています」
「いや、こちらには回ってきていない」
わずかな苛立ちが、声に滲んでいる。
大きな問題ではない。致命的な遅れでもない。ただ、いつもより手間が増えている。それだけだ。
私は足を止め、扉に手を伸ばしかけて――やめた。
頼まれていない。役割もない。
それに、今日は“関わらない日”だと、自分で決めた。
廊下の窓から外を見る。森は変わらず、風に揺れている。ここだけが、静かだ。
昼前、倉庫の前で、補給担当の男性が額に手を当てていた。
「……おかしいな。数は合っているのに」
私は、声をかけるか迷い、結局そのまま通り過ぎた。
胸の奥が、少しだけ痛む。
――私がいないことで、困っている人がいる。
その事実に、奇妙な感情が湧いた。
誇らしさではない。優越感でもない。
ただ、戸惑い。
午後、屋敷全体が少し慌ただしいまま、時間が過ぎた。
最終的には、すべて収まった。誰かが調整し、誰かが折れ、誰かが待った。時間をかければ、解決する程度のことだった。
それでも。
「……今日は、疲れましたね」
「ええ。いつもより、確認が多くて」
夕方の廊下で、そんな声が聞こえた。
私は、胸の奥で小さく息を吐く。
――私がいたら、違ったのだろうか。
そう考えてしまう自分に、少しだけ驚いた。
王都では、その問いはすぐに“価値”に変換された。
私がいなければ回らない。だから、必要だ。だから、切り捨てられない。
その思考に、戻りたくない。
私は、立ち止まり、目を閉じた。
ここでの私は、不可欠である必要はない。
たまたま、楽になる存在であればいい。
夜、部屋に戻り、椅子に腰を下ろす。
今日は、何もしていない。
それでも、疲れがある。見て、気づいて、関わらない選択をしたからだ。
「……難しいわね」
小さく呟く。
関われば、楽になる。
関わらなければ、少しだけ滞る。
その間に立つのは、思っていたより、ずっと難しい。
それでも。
私は、今日の自分の選択を否定しなかった。
私がいなくても、ここは回る。
私がいれば、少しだけ楽になる。
その程度の距離が、今はちょうどいい。
私はベッドに横になり、天井を見つめる。
胸の奥に、かすかな実感が残っていた。
――私は、消えていない。
誰かが困ったからではなく、誰かが少しだけ疲れたから。
その違いが、今の私には、とても大切だった。
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