第12話 気づいてしまう癖
それは、誰かに頼まれたわけではなかった。
朝の廊下を歩いている時、使用人たちの会話が、ふと耳に入っただけだ。
「……あれ? この書類、昨日もここにありませんでしたか?」
「え? もう回したはずだけど……あ、いや、形式が違うのか」
足を止めるほどの内容ではない。よくある、ささいな行き違い。
私は、そのまま通り過ぎようとして――やめた。
立ち止まった理由は、はっきりしている。
書類の“形式”という言葉が、気になったからだ。
振り返り、二人の使用人に声をかける。
「……失礼します。少しだけ、見せていただいてもいいですか」
二人は一瞬戸惑ったものの、すぐに書類を差し出してくれた。
「急ぎではないのですが、なぜか話が噛み合わなくて……」
私は受け取った書類に目を通す。
やはり、内容に問題はない。数字も合っている。けれど、書式が違う。片方は旧来の様式、もう片方は最近使われ始めた簡略版。
――これでは、混乱する。
どちらが悪いわけでもない。指示がなかっただけだ。
「こちらの書類、内容は同じですね」
「え? 本当ですか?」
「はい。書き方が違うだけです」
私は指で該当箇所を示しながら、言葉を選ぶ。
「もしよろしければ……次に回す際、こちらの形式に揃えていただけると、確認が楽になると思います」
命令ではなく、提案として。
二人は顔を見合わせ、それから頷いた。
「なるほど……それなら分かりやすいですね」
「助かります」
それだけで、話は終わった。
私は礼をして、その場を離れる。
胸の奥が、少しだけざわついていた。
――今の、余計だっただろうか。
そう考えながらも、足は自然と前に進む。
同じような場面は、その日、何度かあった。
倉庫で、物資の表記が統一されていないこと。
連絡帳で、伝達順が前後していること。
誰も困ってはいないが、少しずつ手間が増えていること。
私は、そのたびに“直さなかった”。
直接手を入れない。責任を引き取らない。
代わりに、気づいた点だけを伝える。判断は相手に委ねる。
それが、私なりの線引きだった。
「……癖、なのよね」
午後、ひと息ついた時、私は小さく呟いた。
王都にいた頃から、こうだった。全体を見て、引っかかりを拾って、摩擦を減らす。誰かが目立たないように、問題が起きないように。
褒められたことは、ほとんどない。
でも、必要とされてきた。
――だから、やめられない。
夕方、執務室の前を通りかかった時、扉の向こうから声が聞こえた。
「最近、仕事が滞らないな」
「ええ。確認が早くなった気がします」
辺境伯と補佐官の会話だろう。
私は、足音を立てないように、その場を離れた。
聞かれたいわけじゃない。知られたいわけでもない。
ただ、混乱が減るなら、それでいい。
部屋に戻り、窓辺に立つ。
森の向こうで、風が木々を揺らしている。
胸の奥に、かすかな充足感があった。
役に立った、とは思わない。評価された、とも思わない。
それでも。
“気づいてしまう癖”を、無理に抑えなくてもいい場所にいる。
その事実が、今日一日の終わりに、静かに残っていた。
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