表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された悪役令嬢は、役割を与えられない場所で静かに生きる 〜尽くしても報われなかった私を、理由も聞かずに受け入れてくれる領がありました〜  作者: 東雲透


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/24

第10話 小さな申し出――条件付きの一歩

 昼前、執務室の扉の前で、私は一度だけ深呼吸をした。


 ここに来てから、何度も前を通った場所だ。けれど、自分から用事を作って訪れるのは初めてだった。


 ――役職はいらない。

 ――評価もいらない。


 それでも。


 何も言わないままでいるのは、逃げだと感じてしまった。


 ノックをすると、低い声が返る。


「入れ」


 扉を開けると、辺境伯アレクシスは書類に目を落としていた。顔を上げ、私を見る。


「どうした」


 問いは簡潔で、余計な含みがない。


 私は一歩だけ前に出て、軽く頭を下げた。


「少し、お時間をいただけますでしょうか」


「構わない」


 彼はペンを置き、椅子の背にもたれた。それ以上、急かす様子はない。


 私は、用意していた言葉を頭の中でなぞる。


 ――重くならないように。

 ――期待しているように聞こえないように。


「……こちらに滞在させていただいて、数日が経ちました」


 彼は黙って聞いている。


「皆さんに、よくしていただいています。無理も、求められていません」


 そこで、一度言葉を切った。


「だからこそ、少しだけ……自分から動いてみたいと思いました」


 辺境伯の視線が、ほんのわずかに鋭くなる。けれど、遮られない。


「役職や、正式な立場が欲しいわけではありません」


 ここが、一番大事だった。


「期間も、決めていただいて構いません。ただ……迷惑にならない範囲で、何かお手伝いをさせていただけないでしょうか」


 言い切った瞬間、胸が小さく痛んだ。


 断られるかもしれない。

 過剰だと思われるかもしれない。


 それでも、私は視線を逸らさなかった。


 辺境伯は、すぐには答えなかった。


 沈黙が落ちる。


 王都なら、この沈黙は「失敗」を意味した。けれど、ここでは違う。考えるための時間だと、分かっている。


「理由は」


 やがて、彼が尋ねた。


「……感謝です」


 私は、正直に答えた。


「守っていただいていることに。静かに過ごせていることに」


 少し、迷ってから続ける。


「それと……いつか、ここを出ることになったとしても、混乱を残したくないからです」


 辺境伯は、目を伏せたまま、しばらく何かを考えているようだった。


「評価は、求めないな」


 それは質問ではなく、確認だった。


「はい」


「成果が出なくても、文句は言わない」


「言いません」


「途中でやめる可能性がある」


「……それでも構いません」


 一つずつ、条件が積み重なる。


 私は、そのすべてを受け取った。


「止めはしない」


 彼は、最後にそう言った。


「だが、無理だと思ったら、すぐ引け。誰も責めない」


 胸の奥が、少しだけ緩む。


「ありがとうございます」


「礼は要らない」


 いつものように、淡々とした声。


「役職は与えない。指示もしない」


 彼は立ち上がり、机の端に置かれていた数枚の書類を手に取った。


「だが、これを見ていい」


 差し出されたのは、領内の雑多な報告書だった。困りごと、未整理の案件、誰が担当するか決まっていない事項。


「選ぶのは、君だ」


 その言葉に、胸が静かに鳴った。


 ――与えられるのではない。

 ――自分で選ぶ。


「ありがとうございます」


 今度の言葉は、さきほどよりも確かだった。


 執務室を出ると、廊下の空気が少し違って感じられた。世界が変わったわけではない。私の立場も、肩書きも同じだ。


 けれど。


 私は、自分で一歩を選んだ。


 それだけで、心が少しだけ前を向く。


 期待しない。

 依存しない。


 ただ、出来ることを、出来る範囲で。


 それでいい。


 私は手にした書類を胸に抱え、静かに歩き出した。


 この一歩が、どこへ繋がるのかは分からない。


 それでも。


 誰かに押されるのではなく、自分で踏み出したという事実が、今の私には十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ