女子寮は思ったところじゃなかった
顔合わせ会から数日が経った。
この学園には遠方からの生徒向けに女子寮があると聞いて、リックはアメリアと共に移ることにした。理由は二つある。一つは単純に、毎日宿と学園を往復するのが面倒だったこと。そしてもう一つは――宿にいると、あの男が来てしまう可能性がある。ライト王子だ。万が一を考えると、学園の敷地内に籠もっていたほうが逆に安全だという、よくわからない結論に達したのだった。
女子寮は、思っていたより遥かにうるさかった。
廊下のあちこちから笑い声や話し声が漏れてくる。香水と石鹸と、あと何か形容しがたい匂いが混ざり合って漂っている。リックは自室のベッドに腰掛け、壁越しに聞こえてくる隣室の会話に耳を傾けながら、静かに悟った。
女怖え。
マジで怖え。
顔合わせ会での出来事が頭から離れない。近づこうとするたびに、令嬢たちはさりげなく、しかし確実に距離を取った。直接何かを言われたわけではない。ただ、輪の中に入れてもらえなかった。それだけだ。それだけなのに、なぜかひどく消耗した。
「パンジー様、そのお顔は」
アメリアが茶を置きながら言う。
「策略を練っておられますね」
「バレた?」
リックは仰向けにベッドへ倒れ込む。
「考えてたんだよ。どうすれば令嬢たちの輪に入れるか。まず接点を作るには共通の話題が必要で、そのためには彼女たちの好みを……」
「パンジー様」
アメリアの声のトーンが少し下がる。
「本来の目的は、令嬢方と仲良くなることではありませんよ」
リックの動きが止まる。
「……婚約破棄」
「ええ」
そうだった。令嬢たちに好かれることじゃない。ライト王子に嫌われることだ。気が緩んでいた。
リックは天井を見つめたまま、深くため息をつく。
「わかってる。わかってるけどさ」
令嬢たちに無視されるのは、予想外にきつかった。男として育ってきたリックには、この種の静かな排除は経験がない。冒険者なら剣で解決できる。だがここでは剣を抜くわけにもいかない。
しばらく悶々と天井を眺めていたが、じっとしているのも限界だった。
「ちょっと寮の中、歩いてくる」
「お忘れなく、パンジー様として」
「わかってる」
リックはウィッグを整え、廊下に出た。
寮の造りは思ったより広かった。食堂、談話室、洗濯室。廊下をぶらぶら歩きながら、リックは各部屋を確かめていく。そして突き当たりの角を曲がったところで、小さな扉を見つけた。
扉に下がった木札に、こう書いてある。
――シャワー室。
「うっほほいーい」
リックの心拍が上がる。女子寮の浴室。それがどういう場所かは、男として十四年間生きてきた彼には、説明するまでもなかった。
扉に手をかける。鍵はかかっていない。
ゆっくりと、押し開ける。
扉を開けた瞬間、中からおばさんが飛び出してきた。
「うおっ」
リックは思わず後退る。白髪交じりの頭、がっしりした体格、手には雑巾。清掃係のおばさんだった。
「あらまあ」
おばさんはリックをしげしげと眺めて言った。
「珍しいねえ、貴族の令嬢がこんなとこ来るなんて」
「あ、いえ、その……」
「全く今日はやけに人が来るねえ」
おばさんはぶつぶつぼやきながら脇を通り抜けていく。リックは釈然としないまま、恐る恐る中を覗いた。
木桶、モップ、たわし。棚に並んだ洗剤の瓶。薄暗くじめじめとした空間に、何とも言えない匂いが漂っている。清潔感という概念が、ここには存在しなかった。後から聞いた話では、自室では落とせないとんでもない汚れを落とす必要が生じた時だけ寮生も使えるらしかった。「とんでもない汚れ」が何を指すのかは、想像したくなかった。
思ってたんと違う。
全然違う。
リックは踵を返して自室へ戻ろうとした。
その時だった。
どこかから、しゃくりあげる声が聞こえてきた。
泣き声だ。押し殺しているが、確かに誰かが泣いている。リックの足が止まる。廊下の、少し先。物置か何かだろうか、小さな扉の隙間から、かすかな光と、泣き声が漏れていた。




