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『姉が冒険者になったせいで、俺が(男)が侯爵令嬢として婚約破棄に挑むことになりまして』  作者: Toriatama


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一夜漬けの試験対策

 トクナーガ王立学園の門前で馬車を降りた時、リックは自分の運命を呪った。とはいえ、内心女子寮に潜入できることを実は喜んでおりまんざらでもなかった。


 学園の威容は噂以上だった。白亜の建物が夕陽を浴びて輝き、手入れの行き届いた庭園には色とりどりの花が咲き誇っている。貴族の子弟たちが行き交い、その優雅な佇まいは、まさに「名門」という言葉を体現していた。


 だが、リックにはそんな光景を楽しむ余裕などなかった。なぜなら、彼は今、姉パンジーの衣装に身を包み、化粧を施され、完全に女性として装っているからだ。腰まで伸びた栗色のウィッグ、淡いピンクの旅装、そして胸元には詰め物。鏡で見た自分の姿は、確かに姉に似ていた。それにしてもこのブラジャーというものはきつくてかなわんし背中がむずがゆくてしょうがない。将来の練習のためにブラジャーのホックを外すのは良い練習になったが、こんなきついものを毎日女という生き物はよくつけられるものだと感心したリックであった。


「パンジー様」


 アメリアが静かに声をかけてくる。メイドとしての装いから、従者らしい質素な服装に変えた彼女は、しかし相変わらず落ち着いた雰囲気を纏っていた。二十代半ばのアメリアは、治癒魔法と剣術の両方に長けており、本来ならリックの冒険者パーティの従者として同行する予定だった。それが今では、女装した主人の世話係である。


「.......あっそうか俺か! はい、なんでしょうアメリア」


 リックは努めて高い声を出す。姉との入れ替わり遊びで鍛えた女声だが、緊張すると地声が出そうになる。声は何とかしないと今後は問題になりそうだ。


「パンジー様....言葉遣いには気を付けてくださいね。受付に向かいましょう。日が暮れる前に手続きを済ませないと」


 二人は学園の受付棟へと向かった。受付には中年の女性職員が座っており、書類を整理している。


「ご、ごきげんよう。ゲイロード侯爵家のパンジー・ゲイロードと申します」


 リックは丁寧に一礼する。姉から教わった令嬢らしい所作。背筋を伸ばし、顎を軽く引き、両手を前で重ねる。


「ああ、パンジー様。お待ちしておりました」


 職員は笑顔で応対し、書類の束を取り出した。


「こちらが入寮の手続き書類です。それと……」


 職員は一瞬、言葉を区切った。


「明日、入学試験がございます」


 リックの思考が停止した。


「……は?」


「入学試験です。形式的なものではございますが、全ての新入生に受けていただいております」


「し、試験……ですか」


 リックの声が裏返りそうになる。慌てて咳払いをして誤魔化す。


「ええ。筆記試験と実技試験がございます。筆記は貴族の一般教養、実技は魔法か剣術のどちらかをお選びいただけます」


 職員は何でもないことのように説明を続ける。


「試験は明朝八時から。会場は第一講堂です。それでは、こちらの書類にご署名を」


 リックは震える手で書類に署名した。パンジー・ゲイロード、と。自分の名前ではない文字を書くことに、改めて現実を突きつけられる。


 手続きを終え、指定された宿屋へと向かう道すがら、リックは無言だった。アメリアも何も言わない。ただ、主人の横を静かに歩いている。


 宿屋は学園の近くにあり、入学前の生徒たちが多く利用する場所だった。部屋は二人部屋で、ベッドが二つと小さな机、それに衣装棚がある程度の簡素な造り。


 扉を閉めた瞬間、リックは床に崩れ落ちた。


「試験……試験だと……」


 頭を抱える。冒険者としての準備は万端だった。剣術の訓練、魔法の修練、モンスターの知識、ダンジョンの攻略法。全て完璧だ。だが、貴族令嬢としての教養試験など、考えたこともなかった。


「パンジー様」


 アメリアが声をかけてくる。だが今は、その呼び名すら重い。


「アメリア……俺、どうすればいいんだ」


 地声が出る。もう誰もいない部屋だ。女声を維持する必要はない。


「冒険者の試験なら、どれだけでも受けてやる。Eランクの認定試験だって楽勝だ。でも、貴族令嬢の教養試験って何だよ。舞踏か? 刺繍か? 紅茶の淹れ方か? 俺、全然わからないぞ」


 リックは頭を抱えたまま、床に座り込んでいる。ウィッグがずれて、視界が歪む。


「まず、落ち着いてください」


 アメリアは冷静だった。彼女はいつも冷静だ。どんな時も、この従者は動じない。


「試験は明朝です。今から準備すれば、何とかなります」


「何とかなるわけないだろ!」


 リックは叫ぶ。


「一晩で貴族令嬢の教養が身につくと思うか? 俺は剣を振ってきたんだ。魔法を学んできたんだ。モンスターと戦う準備をしてきたんだ。ティーカップの持ち方なんて習ってないぞ!」


「でも、やるしかありません」


 アメリアの言葉は冷徹なまでに正しい。


「ここで諦めれば、侯爵家は王家から見放されます。お父様は追放されるかもしれません」


「……くそっ」


 リックは悪態をつく。全て、父のせいだ。西地方言語を使って、他人事のように息子に責任を押し付けた父。姉の失踪という、自分とは全く関係ない問題を、十四歳の息子に丸投げした父。


 だが、どれだけ愚痴を言っても、現実は変わらない。明日の朝、試験がある。そして、リックはそれに合格しなければならない。


「……わかった」


 リックは重い腰を上げた。ウィッグを直し、深呼吸する。


「アメリア、頼む。一晩で何とかしてくれ」


「承知しました」


 アメリアは小さく頷き、荷物から分厚い本を取り出した。


「これは『貴族令嬢のための教養全書』です。侯爵家の書庫から借りてきました」


 リックの顔が青ざめる。その本の厚さは、辞書並みだ。


「……全部?」


「いえ、重要な部分だけで結構です」


 アメリアは本を開き、付箋の貼られたページを指し示す。付箋の数は、三十を超えていた。


「まず、筆記試験についてです。貴族の一般教養として、文学、芸術、そして社交マナーが問われます」


「待て待て待て」


 リックは手を上げる。


「それ、全部一晩で覚えるのか?」


「ええ」


 アメリアは淡々と答える。


「ですが、最も重要なのは社交マナーです。筆記試験でも実技試験でも、令嬢らしい振る舞いができなければ、すぐに怪しまれます」


「……そうか」


 リックは頭を抱える。確かに、知識だけあっても、振る舞いが男のままでは意味がない。


「では、社交マナーから始めましょう」


 それから朝まで、リックは社交マナーの基礎を叩き込まれた。

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