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「完結済」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第3部:女神と世界契約改革編

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第30話 世界契約の余白に

『世界契約ノート更新。 ……なお、最終ページは——「以下、余白」。』


 会議殿の天井は、まだ淡く光っていた。

 けれど円卓は畳まれ、椅子には白い布が掛けられ、神々の席札だけが風もないのに静かに揺れている。


 世界契約の写本が、山になっていた。

 紙が多い。重い。神聖なのに、完全に物理だ。


「これ、全部……世界に配るんですか……」


 ティオが両手で束を抱え、顔色を失っている。

 彼の肩から、羽根ペンが1本こぼれ落ちそうになった。


「配るよ。守るために」


 言い切った私の声が、空っぽの会議殿に吸い込まれる。

 少し前まで、ここは怒鳴り声と嘲笑と、神の気配で息が詰まる場所だった。

 今は、片付けの音だけがする。


「守るために配る……って、語感が強いですね」


 イルダが書類の端を揃えながら、真顔で呟いた。

 揃え方が几帳面すぎて、紙が気の毒なくらいきっちりしている。


「条文が強い日だったんだよ。今日は」


「まだ強いです。紙の角で指を切りました。これは危険物です」


「危険物扱い、正しい気がします……」


 ティオが泣きそうな声で頷く。


 私は世界契約ノートを開いた。

 黒々としていたはずのインクが、いくつか薄墨みたいに落ち着いている。

 タグ欄の「過労死案件」が、ぽつぽつ消えているのを見て、胸の奥がくすぐったくなった。


(……減ったんだ)


 減った。世界が、ほんの少しだけ呼吸できるようになった。


 ノートの端が、ちかちか光った。

 女神様の管理者ログが開く合図だ。


『管理者注記:最近、聖女過労死案件の速報がめっきり減りました。

 代わりに、条文オタク過熱案件が増えました。誰のせいですか。』


「私じゃありません」


 反射で否定してから、イルダと目が合う。

 彼女は咳払い1つで視線を逸らし、紙を叩いて続きを促した。

 全力で自白している。


「……結論。保管先と搬送手順を確定します」


 セルジュさんの声が、背後から落ちた。

 振り返ると、彼は誰よりも疲れているはずなのに、いつもの平然とした顔で荷札を書いている。


「各国の写本庫。監査会の控え。神殿の閲覧室。——それから」


 彼が私を見た。

 見て、すぐに目線を外す。私の背後の空席を、まだ守っているみたいに。


「あなたの分です」


「私の分?」


「あなたが持つべきものです。……ただし」


 セルジュさんは一瞬だけ間を置いた。


「本日の議事は終了です。帰ります」


「え、まだ片付け……」


「帰ります」


 命令形に聞こえた。いや、命令形だった。


「……命令形に聞こえます」


「命令ではなく、義務です」


 そう言い切ってから、セルジュさんはほんの少しだけ口元を固くした。

 言い方を後悔している沈黙だ。たぶん。


 次の瞬間、外套が私の肩に落ちた。

 会議殿の冷たい空気と、私の体温の間に、温かい壁ができる。


「……最初から用意してました?」


「気温と日没時刻は予測できます」


「予測できるの、そこじゃないです」


 イルダが紙束を持ち上げながら、淡々と宣言した。


「行け。帰れ。ここは私が締める。未練があるなら条文で残せ」


「未練は……」


 私は言いかけて、世界契約ノートの最後のページを見た。

 大きく空いた白。意図された余白。


 未練じゃない。

 続きの席だ。


◇◇◇


 会議殿を出た瞬間、音が消えた。

 扉の向こうに、世界のざわめきが薄い膜みたいに隔てられる。


 夕暮れの王都は、まだ祝祭の残り香を抱えている。

 契約大橋の石畳には、紙吹雪が少しだけ残っていて、でも第1部のあの日みたいにべったり貼りついてはいない。

 誰かがもう掃き終えたのだと思う。


 橋の上を歩く。

 並んでいるのに、セルジュさんは半歩前に出ない。

 今日は、ちゃんと隣だ。


「最初も、この橋でしたね」


 私が言うと、セルジュさんは頷いた。


「あなたが『所有物ではない』と言った日です」


 覚えてるのがずるい。

 胸の奥が、じわっと熱くなる。


「そのあと、私は倒れました」


「倒れていません。倒れる前に支えました」


「言い方が業務報告なんですよ」


「業務です」


「私情でしょう」


 セルジュさんは、答えなかった。

 代わりに、外套の端を指で軽く押さえた。

 風が吹いても、私が寒くならない位置。


 それだけで、言葉が余る。


「……帰っていいんですね」


 ぽろっと落ちた。

 自分で言って、自分で驚く。ずっと「帰る」は、仕事が終わった人の権利だと思っていた。


「帰ってください」


「……命令形」


「義務です」


 またそれだ。

 でも今回は、笑ってしまった。


「私、守る側の人間だと思ってました」


「あなたは守る側です。だからこそ、守られるべきです」


 淡々と言い切るのに、手だけが少し強くなる。

 私の袖を握る指先が、確かに独占欲の形をしているのに、怖くない。


 橋の向こうに、大神殿の灯が見える。

 帰る場所がある、と初めて思えた。


◇◇◇


 官舎の机に、世界契約ノートを置く。

 湯を沸かし、ティーカップを並べる。いつもの手順。いつもの夜。

 なのに、指先が震える。


「……世界の終わりみたいな会議をして、今はお茶です」


「順当です」


「順当……?」


「生き残った者は、水を飲むべきです」


 セルジュさんの理屈は、だいたい優しい。


 ノートの最終ページを開くと、白い余白が目に刺さった。

 そこに書き足すのが怖い。書かなければ、もっと怖い。


 私は、羽ペンのケースを開けた。

 女神様から預かった羽。今日は光らない。静かだ。

 でも、握るとちゃんと重い。


「……私が書いていいんでしょうか」


「あなたが書くべきです」


「また義務」


「はい」


 即答。逃げ道なし。


 私は息を吸い、ペン先を紙に触れさせた。

 インクがにじむ。その瞬間だけ、会議殿の空気が少しだけ戻ってくる。


 条文を書く。世界を動かすのは、派手な奇跡じゃない。

 乾くまでの時間と、読まれる回数と、守られる人の数だ。


 書き終えた一行を、セルジュさんが読み上げる。


「世界契約の定期見直しは、人間側の世界契約監査会が主導すること」


 その声が、家の中で響くのが不思議だった。

 世界規模の言葉が、湯気の立つ机の上に落ちて、私たちの日常に馴染んでいく。


 ノートの端が、また控えめに光った。


『管理者ログ:権限委譲、確認。

 神が主役の時代が終わるのではありません。

 人間が主役の時代が始まるだけです。……胃が痛いですね。』


「胃が痛いのは、神様もなんですね」


『痛いです。あと、帰宅優先義務の運用が強すぎます。誰のせいですか。』


 私はセルジュさんを見る。

 彼は真顔でカップを差し出し、少しだけ目を伏せた。


「……反省します」


 反省するポイントが違う気もするけど、今日はそれでいい。


 私は白い余白を見つめた。

 終わった、じゃない。

 終わっていない。続けられる余白だ。


 羽ペンを置く。

 最後のページの下に、書かれている言葉だけが、静かに残る。


 以下、余白

ここまでお読みくださりありがとうございました。世界契約の余白に、2人の小さな日常が書き足されていく——そんな続きを届けます。面白かった、続きが気になったと思って頂けたら、ブックマーク&広告下の☆☆☆☆☆評価で応援してもらえると励みになります。次話、甘い「帰る場所」を。


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