第23話 神々の責任条項
円卓の中央に浮かぶ光の板へ、女神様の羽ペンが、さらりと線を引いた。
それだけで、空気が冷える。祈りの香りが、刃物の匂いに変わる。
《世界契約(案)追加――神々の責任条項》
文字が焼き付いた瞬間、視線が一斉に集まった。
私のペン先ではない。女神様の羽ペンへ。もっと言えば、その先にいる「同僚たち」へ。
「……次は、あなたたちの番です」
女神様は、ゆるい口調のまま言い切った。
私は息を飲む。第1条から第3条まで、ようやく通したばかりだ。
本人同意。自己犠牲の圧を禁じる。罰の釣り合い。
人間の痛みで積み上げたはずの段に、神様の指が触れた瞬間、塔が軋む。
隣の椅子が、ほんの少し動いた。
セルジュが、私の視界の端をふさぐように椅子の背を引き、私の前に「空間」を作る。
守りの所作。言葉より先に、胸がほどけるのが悔しい。
「議題は維持します」
セルジュが静かに言った。
「退席は手続き違反です」
あ、そうだ。ここは会議だ。神様の集会でも、殴り合いは規程で止められる。
止められる……はず。
「責任?」
円卓の向こうで、搾取神が笑った。笑い声が、硬貨が転がる音に似ている。
「資源に慰謝料でも払えと? 信徒に褒美を与えるのが神の仕事だ。罰を受けるのは弱い者の役割だろう」
「……等価が崩れれば、秩序が崩れます」
光の女神は、静かに、しかし切り落とすように言った。
「神罰は等価。裁かれるものではありません」
それに追随する声が、波のように増えていく。
反対。反対。反対。
多数決の暴力は、人間だけの特権じゃないらしい。
イルダが、私の斜め後ろで小さく息を吸った。
「……最高」
「イルダ、今のは……」
「言ってません」
咳払いの音が、やけに大きく響いた。緊張のせいだ。たぶん。
ティオは記録用のインク壺を押さえたまま固まっている。
倒したら、絶対に世界契約ノートに染みる。染みたら、私が死ぬ。精神的に。
「リディア」
女神様の声だけが、いつも通りだった。
《あなたの言葉で、いきます?》
私は頷いた。喉が乾いて、唇が張り付く。
この議題を出すなら、私は一度、神様に「当事者」になってもらわないといけない。
「確認させてください」
私は、できるだけ平らな声を選ぶ。
「世界契約は、人間の契約を監査する。――ですよね」
《はい。管理者として》
女神様が軽く返す。だからこそ、次が怖い。
「監査する側が、何も負わないなら」
私は指先を握りしめた。
「搾取は形を変えるだけです。罰の釣り合いを整えても、監査の穴から漏れます」
「穴?」
搾取神が嘲笑を深める。
「人間が勝手に穴を掘って落ちただけだ。神に責任を押し付けるな」
「……落ちた人間を、引き上げる仕組みが無いのが問題です」
言い返した瞬間、視界の端が揺れた。
空気が、圧で歪む。神威。信仰でできた重さ。
手が止まりそうになる。ペンが、紙から浮きそうになる。
その一歩前に、セルジュの声が割り込んだ。
「彼女の発言権は、私が担保します」
業務口調。いつもと同じ。なのに、胸の奥だけが熱くなる。
「議題の妨害は、規程第7条に抵触します。続行を」
神々の視線が、今度はセルジュへ向く。
人間の官僚が、神様に条文を突きつける絵面は、だいぶ狂っている。
でも私は、なぜか笑いそうになった。狂っているのが、私たちの仕事だ。
「……担保、って」
私が小さく呟くと、セルジュは横目も動かさず言う。
「必要だからです」
「……そういうところです」
「論点は外していません」
外していない。そこが好きで困る。
「反対する前に」
円卓の別の席で、ウェルナ商神が指を鳴らした。音が、契約印の打刻みたいに乾いている。
「責任の定義を出せ。神が嫌がるのは、言葉が曖昧だからだ」
私は目を瞬いた。
今、味方が生えた? 合理の神は、怖い。けれど、頼もしい。
「定義、いけます」
イルダが椅子を引き、ホワイトボード代わりの光板を引き寄せた。
「責任=損害+因果+救済。最低でも、救済窓口と期限。あと、説明責任」
「板を消せ」
誰かが低く言った。圧が増す。
光板の端が、きしむ。私の胃も、きしむ。
「消しません」
イルダは、戦争みたいな笑顔で言い切った。
「定義が出ないなら、反対の理由も無効です」
私は息を吸う。ここだ。亀裂があるなら、そこに条文化を差し込む。
「神々の責任条項(骨子)」
私は読み上げた。声が震えないように、紙を押さえる。
「第1項。神は、自らが付与した祝福契約の運用が、本人同意を逸脱していないか、定期的に監査する義務を負う」
「ふざけるな」
搾取神が笑いを消した。
「神に義務など――」
「第2項。逸脱が確認された場合、神は救済手続きの開始を拒めない」
「拒めない、だと?」
「はい。拒めない、です」
私は言い切った。指輪が、指で小さく光った気がした。気のせいじゃないと信じたい。
光の女神が、眉ひとつ動かさず言う。
「救済とは。罰の等価が崩れます」
「等価は、崩しません」
私は、紙の余白を指で叩いた。
「救済は、最初から契約に存在しない負担を戻すだけです。元の釣り合いへ、戻す」
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、女神様の羽ペンだった。
《で、もう1つ》
軽い声。なのに、光板の条文が、ふっと黒く塗りつぶされた。
私は背筋が凍った。
さっきまで読めていた文が、消える。
黒いにじみ。世界契約ノートで見た、あの劣化と同じ色。
「……今、誰かが触りましたか」
私の声が、掠れた。
搾取神が肩をすくめる。
「知らんな。だが、いい兆候じゃないか? その条文は、世界に似合わない」
「兆候ではありません」
セルジュが淡々と言った。
「改竄疑義です。議事録に記載を。女神、ログは」
《残ってますよ。残ってますけど――》
女神様の声が一瞬だけ真面目になる。
《ねえリディア。これ、会議規程の穴から入られてます》
穴。抜け道。責任を負いたくない側が、真っ先に探す場所。
私は、黒塗りになった条文を見つめた。
怖い。けれど、怖いからこそ、書く。
「……続行します」
私はペンを握り直した。
「神が責任を負うのが嫌なら、まず誰が触れたかを定義しましょう。責任は、そこから始まります」
セルジュの指が、机の端で、私の指先にほんの少しだけ触れた。
退路を塞ぐのではなく、背中を支える触れ方。
「あなたは、下がっていい」
彼が小さく言う。
「半歩。守りは私がやります」
半歩戻るのが、こんなに難しいなんて。
でも私は、頷いた。初めて、守られる側に体重を預ける。
女神様の羽ペンが、空中に新しい見出しを描く。
光板が点滅する。
《次の議題:ログ権限と監査手続き――そして、搾取神の国からの正式異議申し立て》
円卓の空気が、もう一段冷えた。
私は笑ってしまいそうだった。世界を直す会議は、いつだって世界よりややこしい。
それでも。
私はペン先を、余白へ向ける。
神様にだって、逃げ道は必要だ。
ただし、逃げ道は――人を踏みつける穴じゃなくていい。
ここまでお読みくださりありがとうございます!神々の責任条項が黒塗りにされた瞬間、リディアとセルジュの「守る/受け入れる」が一段深くなりました。次話はログ権限を巡る反乱の正体へ。続きが気になったら、ブックマーク&評価(☆)で応援いただけると励みになります。




