第19話 本人同意なき義務拡大は無効とする
「世界契約・第1条。――『本人同意なき義務拡大は、無効とする』」
イルダの乾いた声が、会議殿の天井に吸われていく。
円卓の中央、契約内容を映す白いスクリーンで、鎖がきしんだ。
ほどけない。けれど、形が変わった。
逃げ道の輪郭だけが、先に削れていく。
「今の音、聞こえた……?」
私が息を潜めると、隣のセルジュが頷いた。
「聞こえました。だからこそ、骨を折らせません」
その言い方が、いつも通り業務口調で、いつも通り優しいのがずるい。
◇
控室の机は、紙とインクと、徹夜の熱でぬるかった。
女神の羽ペンは、まだ触れてもいないのに「第一条」の欄だけが、ひとりでに開いている。
急かされているみたいで、背筋が寒い。
「禁止語、追加です」
私が短く言うと、イルダが即座にペン先を止めた。
「言え」
「代理同意。推定同意。黙示同意。全部、同意じゃないので」
ティオが横で、議事録用の清書紙を抱えたまま固まる。
「……黙示も、ですか」
「黙っていたら賛成、って。前世でも地獄の入口でした」
女神が肩を揺らして笑う気配だけよこす。
セルジュは、笑わない。
代わりに、淡々と条文の裏側を差し込む。
「異議申立ての窓口。提出期限。無効部分の分離。全部破綻させないための安全装置です」
「守るための契約だもの。守れない契約は欠陥品」
最後の文言を整え、イルダが番号を振っていく。
彼女のテンションが上がるのが分かる。
けれど扉の外から神々の気配が流れ込んだ途端、顔が石みたいに戻った。
仕上げ直前、セルジュが私にだけ低く言う。
「この文言で行きます。同意は?」
「……はい。逃げ道も一緒に書きます」
私が頷いた瞬間、胸の奥の硬いものが、ほんの少しだけ緩んだ。
同意って、本来こういう形だったはずだ。
◇
円卓に戻る。
イルダが読み上げるたび、空気が冷える。
判決文みたいに、1文ずつ区切られて、逃げる余地がなくなる。
「第1条。本人同意なき義務拡大は、無効とする」
「第2条。代理、推定、黙示による同意は、同意とみなさない」
商神が指を鳴らした。
「同意の証拠は?」
私は息を吸って、机上に並べた。
署名。記録紙。魔法印。声の写し。触れた瞬間に残る契約痕。
「言葉だけで終わらせません。残ります。後で争える形で」
「面倒だな」
搾取神が笑う。笑っていない目で。
私は一度だけ、椅子の背に指を置いた。
ここで怯んだら、リアナの鎖はこの先も軽くならない。
「異議は文章で」
言い切ると、場がざわついた。
空気戦を拒否した瞬間の、あの嫌な静けさ。
セルジュが横から補う。
「会議規程に従ってください。口約束は採用しません」
◇
嫌な静けさは、挙手で割れた。
帝国側の代表が、当たり前のように言う。
「家長の署名は、家族の同意と同じだ。慣習だ」
ああ、出た。人を消すのに便利な単語。
私は即答しなかった。
イルダが代わりに刃を出す。
「その例外文を1文で出せ」
帝国側が紙を出す。
インクが、誰も触れていないのににじんだ。
女神の眉がほんの少しだけ上がる。
奇跡の匂い。規程違反。
セルジュが声を落とす。
「発言順、時間制限。修正案は文章提出必須。議事録に残らないものは採用しない」
逃げ道のない形に、議論を押し込む。
感情じゃなく、手続きで守る人だ。
提出された例外案を、私はゆっくり読み、ゆっくり折った。
「代理同意は同意ではありません」
「合理は正義だろう?」
搾取神の声が甘い。毒を溶かした蜂蜜みたいに。
「合理なら、本人に聞けばいい」
私の声は思ったより冷たかった。
「家長を盾にして、人を消す合理は、いりません」
◇
署名台が円卓の中央にせり上がる。
女神が羽ペンを置き、軽い口調で宣言した。
「今日のルール。奇跡は禁止。条文で殴れ」
神々が順に署名していく。
名前が落ちるたび、スクリーンの鎖が小さく鳴った。
搾取神は最後まで渋り、指先で羽ペンを転がす。
セルジュが淡々と言う。
「署名拒否のコストは、規程で明示されています」
沈黙のあと、搾取神は黙ってサインした。
完全敗北じゃない。次の抜け道を探す目だ。
だからこそ、こっちは条文で塞ぐ。
最後の一筆が落ちた瞬間、鎖が、はっきりと鳴った。
リアナが息を飲む。
彼女の腕から伸びていた鎖のうち、弟へ繋がる細い一節だけが、ふっと薄れた。
消えない。けれど、重さが抜ける。
「……軽い」
リアナの声は、祈りみたいに小さい。
私は喉が詰まって、言葉が遅れた。
「効いた。……ほんとに、効いた」
セルジュが私の横で、誰にも聞こえないほど低く言う。
「次は、残った理由を潰します」
スクリーンの鎖の末尾に、一瞬だけ『同意:済』の印が灯った。
リアナが首を横に振る。違う、と。
◇
休会の鐘が鳴り、廊下に逃げた私たちは、ようやく息をした。
セルジュが椅子を運ぶ前に、一拍置く。
「座れますか。……同意は?」
「……はい。少しだけ」
水も同じ。差し出す前に視線で確認する。
私はそれを受け取ってしまう。
選ばせてくれることが、こんなに救いになるなんて、知らなかった。
私がリアナにしゃがみこんだ。
「今、何が軽くなった?」
リアナは迷わず、自分の腕ではなく、胸のあたりを指した。
「弟の分……たぶん、ここ」
イルダが即断する。
「弟側に、同意がある扱いの痕跡。偽造か、強制か」
「同意って、署名することじゃない」
私が呟くと、女神の声が頭の奥で笑った。
「やっと、そこまで来ましたね」
つい反射で、私は口を開いた。
「では、議事録承認を――」
「休会です」
セルジュに止められて、頬が熱くなる。
ティオが真っ赤になりながら、議事録に『鎖:一節解除』と書きかけて、慌てて消しているのが見えた。
休会が明ける直前、廊下の奥に、白い鎧が立った。
光の女神の紋を胸に、聖騎士が静かに礼をする。
「ユリウスです。次の議題の証言者として参りました」
彼は一歩前に出て、私をまっすぐ見た。
「私の誓いは、私の同意です。……それでも無効にしますか」
私は答えを飲み込む。
本人同意は、守る鍵だ。
けれど――同意そのものが、鎖になる世界もある。
その現実が、次の扉の向こうで待っていた。
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