第14話 封蝋3色と、光る1行
「……早い。ヴァルドーラ帝国から、もう返書です」
ティオが机の上に、封のされた封筒を積み上げた。
濃赤、白金、青緑。封蝋の色だけで、相手の温度が分かる気がするのが嫌だった。
招請状は、女神公認の「聖女リディア」と「宰相補佐セルジュ」連名。
手続きも封蝋も、改竄対策も、出来るだけ詰め込んだ。詰め込んだはずだった。
なのに返事が早すぎる。
「外交使節が門に着いたのは、つい先ほどでした。なのに……」
「早いのは善意じゃない。準備だ」
セルジュは、私の前に座るでもなく、机の端に立ったまま封筒を取った。
指先で封蝋を確かめる動きが、いつもより数分だけ慎重だ。たぶん本人は気づいていない。
封が割れた瞬間、紙面の中央に1行だけ、淡く光が走った。
『奇跡禁止条項は、受諾できない』
言葉の短さが、刃物みたいだった。
私は息を吸って、続きの文面を追う。
帝国の文章は簡潔で、しかし背後が透ける。
『会議殿が裁判台になるなら、帝国は被告席には座らぬ。
我が神の奇跡を封じる規程は、交渉の前提を壊す。
撤回なき場合、出席はするが、規程は承認しない』
「……来るのは来るんですね」
「来て、穴を探す」
セルジュは淡々と言い切って、私のメモの上に自分の指を置いた。
そこがちょうど「奇跡の定義」と書きかけた場所だった。
「先に決めましょう。奇跡の範囲。祝福の常時効果はどう扱う。神託は。治癒は。威圧は」
「全部、条文に」
「その通りです。返書は全文写し。封蝋は保全。原本は証拠として封緘し直す。改竄対策を先に」
命令の形をした配慮。
私は頷き、反射でペンを握り直した。
奇跡。奇跡って、便利だ。だから危険だ。
「会議殿内での奇跡行使を禁じる。違反した場合は議事停止。……私たちが入れたのは、これだけです」
「帝国側は、その『だけ』を失うと困る」
ティオが小さく息をのむ。
「帝国の使節……目が笑っていませんでした」
「当然です。来る前から戦う気で来ています」
セルジュの声は平らなのに、指先だけが一瞬、紙を押し込みすぎた。
私だけが気づく、ほんのわずかな震え。
「セルジュ、大丈夫ですか」
「問題ありません。あなたは座ってください。立つのは私の仕事です」
その言い方が、いつも通りの業務口調で。
なのに、私の背中だけは勝手に守ると宣言されているみたいで、心臓が変な跳ね方をした。
セルジュが次の封筒を指した。
白金の封蝋。ルミナリア聖王国の印だ。
私は封を受け取り、ゆっくり割る。
帝国の紙は刃物だったけれど、こちらは祈りの鐘みたいに整っていた。
『神前サミットへの招請、謹んで拝受する。
正しき者が、恐れる必要はない。
ただし、議事は浄めと悔い改めの手続を損なわぬ形で――』
文面は丁寧で、格調高くて、そして……やっぱり重い。
「参加条件というより、信条の宣言ですね」
「信条は条件より厄介です。譲歩しませんから」
「聖王国は、自国の正しさを武器にします」
私は、以前助けた見習い聖女の笑顔を思い出してしまう。
自己犠牲を美徳にされると、優しい人から先に壊れる。
でも、彼ら自身もまた、守りたい何かがあるのだろう。だから正しさにすがる。
青緑の封蝋は、最後まで机の端で涼しい顔をしていた。
ウェルナ商業都市連合。契約の国だ。
そこへ、ちょうど来客の声が廊下から聞こえた。
きっちりした足音。迷いがない。
「失礼します。ウェルナ法務官イルダ、返書を持参しました」
彼女は封筒を差し出しながら、後ろを振り返ってため息をついた。
廊下の向こうに、護衛に止められた商人たちが見える。
真顔で口を動かしているのが読めた。
「神域の会議殿、出店できます?」
「無言で額を押さえるのを我慢しました。褒めてください」
……この人、本当に顔が硬いのに、時々だけ可愛い。
封を割った瞬間、紙が2枚、3枚、と出てきた。
返書本体は短い。
『出席。議事規程案は同封』
同封の量が、さっぱり短くない。
イルダが規程案を指でトントン叩く。
「規程は、世界を救います。ついでに儲かります」
「ついでが本音に聞こえます」
「本音です」
ティオが、別の小封筒を一緒に差し出す。
底に貼り付けるみたいに入っていた、告げ口紙だ。
『帝国、奇跡を捨てる気ないです』
私は思わず笑ってしまった。
笑った瞬間、怖さが少しだけ薄まる。こういうの、助かる。
「イルダさん、帝国の返事……ここまで早いのは」
「準備してました。反対する準備。穴を突く準備。あと、脅す準備」
「定義しろ。曖昧は、搾取の温床だ」
セルジュが規程案をめくりながら補足する。
「ノリで来られるのが、ウェルナの強さです。ただし、ノリで穴も探します。だから規程が武器になる」
私は机に3国の返書を並べた。
濃赤の刃物。白金の鐘。青緑の帳簿。
敵か味方か、じゃない。利害だ。
「共通点は……来る、ということ」
「ええ。全員、席には着く」
女神の声が、頭の奥でゆるく笑った。
《来ないのが1番楽だったんですが》
「楽な世界、条文に書いてなかったですね」
セルジュが私の肩に手を置く。
一瞬だけ、温度が伝わった。
「リディア。ここから先、あなたの背中は私が担当します。議事の最中、振り向く必要はありません」
「……担当って言い方、ずるいです」
「事実です」
ずるい。優しい。逃げ道のない、安心だ。
私はペン先を整え、余白に新しい見出しを書く。
奇跡の定義。議事停止の手続。証言者保護。改竄対策。封蝋保全。
書くほどに、世界が少しだけ形になる。
イルダが帰り際に、さらっと釘を刺した。
「来るのは決定。問題は、誰が最初に規程違反するかです」
「……それ、笑えない」
「笑えません。だから書きます」
ティオが遠慮がちに咳払いした。
「もう1通、到着しています」
「まだありますか……」
「……王太子府、です」
言われた瞬間、私の目が封蝋に吸い寄せられた。
今日はもう、封蝋を見たくない。ほんとに。
私が机に突っ伏しかけると、セルジュが無言で新しい封蝋の棒を差し出してきた。
握れ、と言わんばかりの顔で。
「……ストレス対策ですか」
「はい。あなたが折れると、全工程が止まりますので」
女神が、妙に楽しそうにささやく。
《……「教材」が、自分から歩いてきましたね》
セルジュが王太子府の封を割った。
紙を広げた彼は、目線を上げないまま、告げた。
「――王太子殿下が、サミット参加を希望しています」
私のペン先が、ぴたりと止まった。
来る。
帝国も、聖王国も、商業都市も……そして、あの人まで。
全員来る。
だから、地獄が始まる。
ここまでお読みくださりありがとうございました! 各国の返事が揃い、いよいよ神前サミットが動き出します。次話は『王太子の参加表明』の真意と、セルジュの「守る」の約束が試される回。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価&ブクマで応援いただけると励みになります!




