第13話 サミット議事運営は地獄の仕事
「議事録の原本が……該当箇所が抜けています」
ティオの声が、紙の乾いた匂いの中で震えた。
宰相府の臨時会議室。机の上には昨夜の幹部会の議事録が束で積まれている。整った筆跡のはずなのに、署名欄の直前だけが妙に白い。番号も、そこだけ飛んでいた。
「抜けた、というより……消えたに見えます」
ティオが唾を飲み、視線だけでセルジュさんを見た。逃げ道を探す目。分かる。こういう時に、誰かが責任を押しつけてくる。
セルジュさんは眉1つ動かさず、欠けた行を指先でなぞった。
「つまり、本番でも同じことが起きる。議事運営が穴だらけなら、勝つのは声の大きい者です」
胃のあたりが、きゅ、と痛む。
前の世界の会議室が一瞬だけフラッシュバックした。議事録が曖昧で、議題がぼやけて、最後に誰かが倒れるやつ。
「……じゃあ、作りましょう。穴のない規程を」
言い切った瞬間、背後で椅子が鳴った。セルジュさんが、私の椅子を少し引いて座りやすくする。私の背中が扉を背負わない位置へ、さりげなく。
「休憩を挟みます。水を」
「い、いま始まったばかりで……」
「始まったばかりだからです」
反論の余地がない。私は水を受け取ってひと口飲んだ。
守られるのが苦手なはずなのに、今日はそれを拒む余力がない。悔しいけど、助かる。
扉が開き、分厚い紙束が入ってきた。
「呼びましたね! 規程!」
ウェルナ法務官イルダが目を輝かせ、机にテンプレの束を落とした。紙がどさり、と地獄の音を立てる。
「規程は世界を救います。救わないと困ります」
「あなたのテンションだけが元気です」
「元気がないと規程は書けません」
ティオが半泣きで新しい紙を準備し始めた。ペン先がもう黒い。
◇
まず、骨格。
議題提出、証拠提示、質疑、条文化、署名。流れを固定するだけで、世界は少しだけマシになる。
「発言順と時間制限が先です」
私は板書用の羊皮紙に線を引いた。
「ある国が、時間で殴ってきます。だから、こちらも時間で守ります」
イルダが即座に頷く。
「発言は順番。割り込みは禁止。異議申し立ては手続き化。素晴らしいです」
セルジュさんは、私の線の上に淡々と追記した。
「運用者を明記してください。誰が時計を止め、誰が退席を命じ、誰が記録を封緘するか。責任が空白です」
空白。嫌いな言葉だ。空白は、後から好きに書き換えられる。
私は2重線で曖昧語を消した。
「努力する、は使いません」
口にした瞬間、イルダが笑いそうになって堪えた。
「会議で1番人が死ぬ言葉ですね」
「はい。努力する、は逃げ道がないと暴力です」
ティオが書き写しながら、指先を見て青ざめた。インクで真っ黒だ。
「す、すみません。文字が潰れました」
「潰れていいです。潰れた記録のほうが、消えた記録よりずっとマシです」
セルジュさんが私の前に、いつの間にか小皿を置いた。甘い干し果実。気づいた時には、胃が少し落ち着いていた。
業務口調のくせに、こういうところだけ確実に刺してくる。
「……ありがとうございます」
「糖分は必要です。あなたの判断も必要です」
言い方。ずるい。私は頷いて、次の条を引いた。
議事録保全。
原本は複製し、封蝋を2重にし、提出と閲覧の履歴を残す。署名がなければ採択扱いにしない。訂正は2重線と追補のみ。
地味で、しんどくて、でも——命綱。
◇
その時、泉の匂いに似た冷たい風が、部屋の隅を撫でた。
《形式通り、が1番強いんですよ》
女神様の声が、くすりと笑った。
「女神様、読んでますよね……?」
《読んでます。で、結論》
間を置いて、爆弾が落ちた。
《契約にない奇跡は禁止》
空気が凍った。
外交事故の匂いがする。神々のプライドが燃える匂いもする。なのに、イルダだけが静かに拳を握りしめた。歓喜の握り拳だ。
セルジュさんは、凍った空気を割らずに、そこへ規程の言葉を差し込んだ。
「禁止は結構。ただし、奇跡の定義が曖昧なら抜け道です。議題に付随する奇跡と、脅迫の奇跡を分ける必要がある」
《そうそう。あと、記録されない奇跡が1番厄介です》
「……分かりました」
私は息を吸って、紙の余白を見た。
ここに書くのは、神を止めるためじゃない。止められる形にするため。
「止めるのは目的じゃない。止められるが目的です」
自分の声が思ったより落ち着いていて、少し驚いた。
私は条文を書き始める。
サミット会場における奇跡行使は、議題に紐づく事前申告と、議長の承認と、記録を要する。
申告なき奇跡は、議決の証拠として扱わない。記録なき奇跡は、規程違反として審査対象とする。
神であっても、議事の外で「結果だけ」を落としに来ない。
「……それ、条文にします。逃げ道も含めて」
「最高です。神も、条文で殴れます」
「殴りません。守ります」
「守るための殴りです」
イルダが真顔で言い切り、ティオが震える手で議事録に写し、文字が3回くらい潰れた。
セルジュさんが私の肩に、ほんの短い間だけ手を置く。
「無理をしないでください」
「……規程が弱いほうが、もっと無理です」
「では、休会条項を入れます」
「そこは譲らないんですか」
「譲りません。規程です」
業務口調のくせに、私の体調を規程で守ろうとする。
私は負けたみたいに頷いた。負けでいい。今日は。
◇
夜更け。封緘された規程案が机に並び、私の視界は紙の白で満ちていた。
でも、あの白はさっきの「消えた白」と違う。書ける余白の白だ。
扉が乱暴に開いた。
「宰相補佐! 聖女様! 帝国から返書です!」
ティオが息を切らして封筒を差し出す。黒い封蝋。帝国式。——なのに、条件欄の下に、さらに1つ。
蝋でも印章でもない、紙に焼きついた痕。神殿の祭壇でしか見ない、あの圧の残り香。
「……皇帝の印ではないですね」
セルジュさんが低く言う。
私は指輪に触れ、息を整えた。
交渉相手は皇帝じゃない。もっと上、もっと厄介な——。
《来ましたね》
女神様が楽しそうに言った。
セルジュさんの影が、私の前に前に入る。
「視界から外れないでください」
その言葉に、私は今度は迷わず頷いた。
ここまでお読みくださりありがとうございます。議事運営で胃が削れた回でしたが、次は帝国の「上」が本性を出します。面白かった、続きが気になったら、広告下の☆☆☆☆☆評価とブックマークで応援して頂けると励みになります。感想も大歓迎です!




