第11話 王宮と神殿、世界を招くか
王宮の小会議室は、地図の匂いがした。紙とインクと、乾いた封蝋の匂い。長机いっぱいに広げられた世界契約地図には、赤い印がいくつも刺さっている。昨日までは空白だった場所にまで。
大神官長アグナスが、赤を見ないようにして言った。
「……これを、世界に見せるおつもりですか」
同じ机の同じ側に、私とセルジュさんが並んで座っている。意識しなくても、夫婦ユニットとして固定される配置だ。向かいにはグスタフ王、クロード宰相。端には羽根ペンを握ったティオが、息を止めたように背筋を伸ばしている。
「見せる、という言い方がまずいな」クロード宰相が軽く鼻を鳴らした。「晒す、だ。外交の自殺だぞ」
「自殺と呼ぶなら、死因を列挙しましょうか」
セルジュさんが淡々と言うと、クロード宰相は肩をすくめた。
「いいだろう。まず、弱みを握られる。次に、内政不信が輸出される。最後に、宗教反発だ。神殿が割れれば、この国の骨が折れる」
アグナスの目が鋭くなる。
「神殿が割れるのは、外の目より内の火種のせいです。保守派は『信仰を政治に売るな』と叫ぶでしょう」
「だからこそ、招かないという選択肢も――」
「招かなければ、外から勝手に入り込む」クロード宰相が言い切った。「噂も契約もだ。だが、こちらが招けば、こちらの都合ではなくなる。どちらも地獄だ」
私は赤い印を見つめた。帝国の港、聖王国の中心、連合の商路。そして、海の上。人の地図に載らないはずの境目に、赤が居座っている。あれは、世界が壊れた場所じゃない。世界の上から、こちらを見下ろしている場所だ。
つまり、論点は正しさじゃない。責任の置き場所だ。私の胃が、嫌な懐かしさで縮む。前の職場でも、火事の後に必ず始まった。誰が責任を取るのか会議。誰も助けを呼ばず、誰も火を消さないまま。
アグナスが低い声で続けた。
「神殿は、内輪の傷を『神意』で縫ってきました。外へ正義を説く前に、内の恥を正すべきです」
縫えてない。化膿してる。口に出さなかっただけで、喉の奥が熱くなる。
セルジュさんが、机の上の資料を1枚、私の前に静かに置いた。いつもの癖だ。視線の矢を遮る、薄い盾。私はそれに触れて、息を整えた。
クロード宰相が封蝋つきの書状を机に滑らせる。
「もう嗅ぎつけています。国外の使節が『世界契約の不備』という言葉を使い始めた。放っておけば、彼らの都合のいい形で流布する。先に出さねば、後から釈明する羽目になる」
ティオが反射で口を開いた。
「ぎ、議事録の様式は旧式で――いえ、改訂しておきます!」
全員の視線が刺さり、ティオは見事に方向転換した。羽根ペンだけが、さっきより速く動いている。
グスタフ王が、私とセルジュさんを見た。
「聖女として、どう思う」
私の中で、答えはもう決まっていた。でも、口にした瞬間に引き返せなくなる。だから、私は先に1番弱いところを差し出すことにした。
「……私が1番、恥をかいた前聖女です」
机の空気が凍った。ティオのペン先が紙の上で止まり、クロード宰相の眉がわずかに動き、アグナスの指が無意識に古い議事録の束を撫でた。
「神前確認式で、私は世界に向けて転びました。神殿も王宮も、綺麗な顔をしていられるほど、もう余裕がありません」
私は赤い印を指先で軽く叩く。
「放っておけば増えます。契約は、作った人より、次の人を縛る。次は、私じゃない誰かが燃えます」
「恥は火種になる」アグナスが言う。責めではない。怖さだ。
「火種なら、管理します」私は返した。
「……あなたが燃える」アグナスの声が少しだけ揺れた。「私は、聖女が燃えるのを見た。2度と見たくない」
その告白は短いのに、胸に重く落ちた。壁じゃない。守れなかった痛みの人だ。
そのとき、セルジュさんが椅子を引く音がした。立つでもなく、ただ姿勢を正して、会議の空気を切り替える。
「隠すほどの醜聞なら、自分で開示したほうが被害が小さい」
冷たいほどのロジック。でも、私は知っている。彼の冷たさは、誰かを切り捨てるためじゃない。守るために、切り分ける刃だ。
クロード宰相が目を細める。
「賭けだな」
「賭けではありません。管理です」
セルジュさんは、そこで私の方を見た。ほんの少し。視線は柔らかいのに、言葉はいつも通り業務口調だ。
「発言は彼女が行います。世界契約の交渉窓口として。責任は私が持つ」
胸の奥が、変なふうに熱くなった。守られる、という言葉は甘えに聞こえる。でも、彼が差し出しているのは甘えじゃない。前に出るための整備だ。逃げ道を残した上で、私を立たせる。
私は小さく頷いた。
「……私が話します。けれど、恥も責任も、私1人に偏らせません」
言いながら、自分でも可笑しくなる。仕事の口調が勝手に出る。
「条文で割ります。王宮も神殿も、必要なら他国も。負担と権限を、明文化します。誰かの善意だけに寄りかからない形に」
グスタフ王が、長い沈黙のあとで息を吐いた。
「私は、守る側の契約を選ぶ」
王の声は穏やかだったが、決断の重さだけは揺れなかった。
「神前サミットを提案する。世界を招く。……この国の不備も含めてだ」
クロード宰相が渋い顔のまま、しかし否定しなかった。
「自国から弱みを出すなら、外交の武器にもなる。条件がある。議題と議事規程は、こちらで握るぞ。愚か者が『感動』で暴走しないように」
「もちろんです」セルジュさんが即答した。
アグナスは目を閉じ、短く祈った。
「ならば神殿も、恥を隠しません。……私の権限で、資料庫を開けます」
その瞬間、頭の奥で、いつもの軽い声が響いた。
《はい、決まり。音声ログも出しましょうね》
「ちょっと待ってください、女神様」私は心の中で突っ込む。
《待たないです。教材は鮮度が命です》
勝手に進む。神様って、そういうところがある。
《あと、会議室の問題ですけど》
女神様の声が少しだけ真面目になる。
《神域の空き区画、増築しときます。椅子は多め。神々って、偉そうに座るので》
「今、増築って言いました?」
《言いました。世界を招くなら、世界の上にも席が要るでしょ》
私は思わず口元を押さえた。ティオが怪訝そうにこちらを見るが、説明している暇はない。
会議が散りかけたところで、ティオが紙片を握りしめて近づいてきた。
「大神官長……今夜、神殿幹部会が招集されました。議題は……『世界を招く決断の撤回』です」
部屋の空気が、もう1段冷える。
セルジュさんが私の前に半歩出た。盾みたいに。
「予定通りです」彼は淡々と言った。「反発は内部から来ます。だから記録が要る。手続きで殴り返します」
私は赤い印の海を見つめ、息を吸う。
恥を払うのは、今日からだ。明日からじゃ遅い。
ここまでお読みいただきありがとうございます!「世界を招く」決断の裏で、次は神殿内部が動き出します。面白かった/続きが気になると思っていただけたら、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価&ブックマークで応援して頂けると励みになります。次回、幹部会の議事録が『消える』――誰の手で?




