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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第3部:女神と世界契約改革編

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第10話 世界を映す契約地図

 王宮の地図室は、空気まで紙の匂いがする。

 壁一面の世界地図。その前に長机が置かれ、私の膝の上には封筒が積まれていた。


「……赤、増えました。世界が、思ったよりもう持たないです」


 口に出した瞬間、喉の奥がひりついた。

 グスタフ王が目を細め、クロード宰相がため息を隠しもしない。大神官アグナスは祈りの癖で指を組み、端のティオは羽根ペンを握ったまま固まっていた。


 そして、セルジュだけが淡々と椅子を引く。

 私の椅子を。彼の隣の席を。


「報告者は聖女リディアです。今回の資料は、彼女の記録と現場証言に基づきます」

「……公の場で言うのね、それ」

「公の場だから言います。彼女は条文担当で、私の交渉担当です。世界改革の共同代表として扱ってください」


 業務口調のくせに、逃げ道を塞ぐ言い方。

 私は小さく息を吸って、封筒の口を切った。


「まず、ヴァルドーラ帝国。債務奴隷契約――本人の同意なしに、家族まで義務が拡大します」


 赤い印を、帝国の中央に刺す。

 針が地図を貫く音が、やけに大きい。


「次に、寿命の誓約。借金の代わりに、年数で支払わせる契約が……当たり前のように流通していました」

「年数?」

「5年、10年、20年。紙の上では任意です。でも、拒否できる人はいません」


 もう1つ、帝国の国境沿いに赤を足す。

 点が、線になりかける。


 クロードが机を指で叩いた。

「帝国の醜聞は帝国のものだ。わざわざ我々が火中に飛び込む必要は――」

「火は、風で飛びます」

 セルジュが遮る。

「隣国の火事を笑っている間に、自国の屋根が燃えます」


 私は続きを告げた。


「ルミナリア聖王国。聖騎士ユリウスの誓願契約――努力義務が、生命維持より優先されます」

「……神への献身は美徳だ」

 アグナスが苦い声を出す。

「美徳が契約になると逃げられません。倒れても、倒れたことが違反になります」


 赤を、聖王国の中心に刺す。

 次に、山岳の修道院へ。贖罪奉仕の牢。罪と罰の釣り合いがなく、10年単位で無償労働が続く。


 ティオのペン先が震えた。

「議事録に……贖罪は上限なく延長されうる……」


 私は頷き、最後の封筒に指をかける。

 ウェルナ商業都市連合の印。


「ウェルナは、契約が生活の骨になっていました。掲示板に、条文が毎日貼られていて……」

「そこはむしろ健全だろう」

 クロードの声が少しだけ柔らぐ。


「健全です。ただ――健全だからこそ、歪みが見えにくい」

 私は紙を広げた。

「合理の名で、救済が削られる。破綻した商人に二度と信用を与えない条項。保証人の連鎖。誰も悪意がないのに、人が詰みます」


 赤を、連合の港に刺す。

 点が、また増える。


 地図の赤は、もう事件じゃない。

 流行病の斑点みたいに、世界へ広がりかけていた。


「……これで、終わり?」

 グスタフ王が、やっと言った。


「いいえ」

 私は封筒の底から、最後の紙を出す。

 アルシオン王国の封蝋。自国の印。


「私たちにもあります。聖女奉仕契約。騎士団の命捨て契約。王太子婚約契約――」

 言いながら、胸が少しだけ軽くなる。

 隠していた時より、言葉にした方が息ができた。


 赤を、王都に刺した。


 沈黙が落ちる。

 クロードが顔をしかめ、アグナスが視線を伏せる。

 グスタフ王は、赤印の真上に置かれた針を見つめたまま動かない。


「自国すら完璧でないのに、世界の最低限など……」

 アグナスが絞り出す。

「恥をさらすことになります。信仰も、権威も、揺れる」


 セルジュが、私の前に出ない。

 代わりに、私の隣に立ったまま言った。


「恥をさらす国だけが、信用を得ます。隠して爆発するより、自分で開示して、ルールを作る方が被害が少ない」

「綺麗事だ」

 クロードが吐き捨てる。

「他国は利用する。帝国は笑う。聖王国は正義を盾にする。ウェルナは損得で刃を研ぐ」


「だから、最初に席を作るんです」

 セルジュの声は、冷たいほど静かだった。

「こちらが議題を出し、規程を引く。主導権を渡さない。――ティオ、赤印の順に番号を振れ。そのまま議題順になる」

「は、はいっ」


 私は、地図の赤を見た。

 リアナの鎖。ユリウスの震える手。ミレーヌの笑顔の裏の、諦め。


「放っておけば、増えます」

 自分の声が、思ったより低い。

「契約は、作った人より、次の人を縛る。私たちが目を逸らしたら、次は誰が当たり前になりますか」


 ティオが唇を噛んだ。

 アグナスが、ゆっくり目を上げる。


「……逃げ道が欲しい」

「逃げ道?」

「神殿も王宮も、自分の過ちを認めるなら、壊れずに済む道がいる。崩れてしまえば、守れる者も守れん」


 それは慎重論じゃない。

 覚悟の形が違うだけの、同じ痛みだ。


 グスタフ王が、椅子の肘掛けを握りしめた。

 いつもなら、ここで先送りにする。

 でも、今日は地図が逃がさない。


「……先送りにして、守れたものがあったか?」


 王の声が、地図室の天井に反響した。


「提案する。世界の最低限を、決め直す。神前サミットを――このアルシオンが、呼びかける」


 クロードが目を見開く。

 アグナスが、ゆっくり頷く。

 セルジュの横顔は動かないのに、私は彼の呼吸がほんの少しだけほどけたのを感じた。


 そのとき、頭上から軽い声が降ってきた。


「会議室、足りないでしょう? 増やしますね」


 女神だ。

 どこにいるのか分からないのに、いる。


 セルジュが、初めて眉を動かした。

「……神域に増築という概念が?」

「あります。必要なら作ります。書類も増えますけど」


 ティオが反射で口を開く。

「工期は――」

 自分の口を両手で塞いで、真っ赤になった。


 女神は、笑った気配だけを残して続ける。


「ただし。増築できるのは、私の管轄の部屋だけです。上のレイヤーは……鍵が違うので」

「上の……」

 私が問い返す前に、声は遠ざかった。


 私は、地図の赤を見下ろして言った。

「世界契約の余白、埋めに行きましょう。私たちのためじゃない。守るために」


 会議が解散し、皆が地図室を出ていく。

 最後に残ったのは、私とセルジュと、地図の赤だけだった。


「怖いですか」

 セルジュが、こちらを見ずに言う。


「怖い。……でも、逃げない」

 私は、彼の隣に立ったまま答えた。

 言葉じゃなく、立ち位置で返す。今夜は、それでいい。


 ふと、地図の端が淡く光った。


 赤い印が、1つ。

 誰の手も触れていないのに、針が勝手に立ち上がるみたいに。


 位置は、海の上。

 伝承では、そこは神域への境目――人の地図には載らないはずの場所。


 セルジュが、私の手首に指を添えた。

 止めるのではなく、逃げさせないために。


「……リディア」

「うん。見えてる」


 赤は静かに、そこに居座った。

 世界地図の上で、世界より高い場所を指して。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

海の上に立った赤印――あの瞬間から、リディアとセルジュは世界の『上層の鍵』に手を伸ばすことになります。

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