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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第1部:白い結婚案件・全貌編

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第7話 崩れる見習い聖女

 白い息が、夜の路地に溶けていく。


 冬の施しの列がようやく途切れて、私は空になった大釜から手を離した。指先は痺れ、足先の感覚も薄い。


「本日の分は以上です。みなさん、ゆっくり温まってくださいね」


 そう告げると、毛布を抱えた人々が、何度も頭を下げながら夜の路地に散っていった。


 今日もなんとか、誰も凍え死なせずに済んだ。


 そう思いかけて、私は昨日までの自分の言葉を思い出す。


『前の世界と、何が違うんだろう。

 少なくとも今は、誰も死んでいない』


 その自己暗示を、また口にするのはやめた。今は、まだ。ここまでは。


「片付けが終わった者から寮に戻りなさい。明日も奉仕はある」


 担当神官の声に、見習いたちが一斉に「はい」と答える。


「聖女様、本日もお疲れさまでした」


 荷車を押していた見習いの少女が、目の下に薄い影を浮かべたまま、笑顔で頭を下げた。今日もずっと動き回っていた子だ。


 この子は、本当によく頑張っている。前の世界でも、こういう子を止めきれなかったなと苦く思う。


 神殿へ戻る廊下は静かで、塔の鐘ももう鳴りやんでいた。


     ◇


 神殿の廊下に入ると、ほとんどの部屋は暗い。夜番の神官が数人、静かに歩き回っているだけだ。


 その中で、奥の一室だけが、まだ暖かな光を漏らしていた。


「……誰か、残っている?」


 扉の隙間から覗くと、毛布を畳む小さな背中が見える。さきほどの見習い聖女の子だった。


 部屋の中には、今日配った毛布の山、救済対象の名簿、洗い場へ運ぶ前の器の塔。誰の担当とも書かれていない雑務が、床いっぱいに散らばっている。


「こんな時間まで残っていたんですか」


 扉を軽く叩いて声をかけると、少女はびくっと振り向き、慌てて頭を下げた。


「せ、聖女様! すみません、もうすぐ終わります!」


 立ち上がろうとして足元の毛布に引っかかり、よろける。私はあわてて部屋に入り、机に手をついて彼女を支えた。


「転びますよ。大丈夫ですか」


「だ、大丈夫です。えっと……私が片付けておけば、明日の聖女様のお仕事が、少しは楽かなと思って」


 少女は、少し誇らしげに笑う。手元の紙には、拙い字で人々の名前が並んでいた。


 胸の奥が、ちくりと痛む。


「手伝ってくれるのは、本当に助かります。でも、明日も奉仕がありますから。もう休んでもいい時間ですよ」


 私はできるだけ優しく声をかけ、帰るよう促した。


 少女は、首を横に振る。


「大丈夫です。聖女様の方が、ずっとお疲れですから。私たち見習いが、少しでも負担を減らさないと」


 模範解答だった。


 前の世界で聞いた言葉が、頭の中でよみがえる。


『若いうちは頑張りどき』

『先輩の負担を減らそうな』


 笑いながら言われて、笑いながら受け入れて、そのまま終電を逃した夜。


「本当に辛くなったら、ちゃんと断っていいんですよ。奉仕も、勉強も。断るのも、立派な判断です」


 私がそう言うと、少女は目を潤ませて、ぱっと顔を明るくする。


「聖女様がそんなこと言ってくれるから、もっと頑張ろうって思えるんです」


 全力で逆効果だった。それでも私は、笑みを崩さない。


「本当に、ただ……」


 少女は、毛布の山を抱え直しながら、改めてこちらを見上げた。


「聖女様の負担を減らしたくて、やってるだけなんです」


 まっすぐな瞳だった。曇りのない、善意だけでできたような目。


 その透明さが、少し怖い。


『聖女の負担を減らしたくて』


 祝福の文句みたいに、その言葉が耳にこびりつく。


「……ありがとう。今日はもう遅いですから、片付けたら必ず休んでくださいね」


 そう言うのが限界だった。ここで「もうやめなさい」と線を引く強さは、まだ持っていない。


 部屋をあとにして、私は廊下に出る。冷えた石の床が、靴底ごしに熱を奪っていく。


 そのとき、背後の部屋から、金属と陶器が混じったような音が響いた。


 ガシャン。


 反射的に振り返り、扉を開ける。


 さっきまで毛布の山を抱えていた少女が、その山ごと床に崩れ落ちていた。器が割れ、毛布がばらまかれ、その真ん中に、細い体が沈んでいる。


「っ……!」


 私は駆け寄り、毛布と器をどかした。少女の顔色は不自然なほど青白い。


「聞こえますか。しっかり」


 手首に触れると、脈は速いのに不規則だった。とっさに祝福で体温だけでも整えようと、祈りの言葉を紡ぐ。


「誰か! 誰か来てください!」


 廊下に声を張り上げると、巡回中の神官が駆け寄ってきた。


「またか……」


 漏れたひと言は、驚きよりも、疲れたため息に近い。


「医師を呼んできます。聖女様、その子の頭を少し高く」


 神官は毛布を丸めて枕を作り、私に託してから走り去っていく。少しして、夜番の医師と神官たちがばたばたと集まってきた。


「脱水と過労でしょう。冬の施しのあとには、よくあることです」


 医師は淡々と脈を測り、瞼を持ち上げ、短く診断を下す。


 よくあること、という言葉が耳の奥で鈍く響いた。


「よく……ある、こと?」


 思わず繰り返すと、古参神官が気休めのように笑う。


「ええ。皆、聖女様のお役に立ちたくて張り切りますからな。本人も誇りに思っているでしょう。聖職者に休息は要らぬのです、奉仕ですから」


 それは、この前の会議で聞いたやりがいポエムと、同じ文句だった。


 聖女の負担を減らしたくて。


 奉仕だから。


 その一言で、どこまでを許すつもりなのだろう。


 少女は担架に移され、慣れた手つきで医務室へ運ばれていく。通り過ぎる担架の上で、彼女の指が空をさまよった。


 私は、その手に触れられなかった。


 よくあること。


 誰も、それを数えようとしない。


 前任聖女が過労で倒れたという噂も、きっと同じ言葉で片付けられたのだろう。


     ◇


 見習いが運ばれていったあと、私はひとりで本堂に戻った。高い天井の契約文様が、淡く光を返している。


 祭壇の前に立つと、今日一日の契約の記録が、薄い光の板となって浮かび上がった。冬の施し、列に並んだ人々の名前、小さな祝福契約の数々。


 そこに、「倒れた見習い」の名前はない。


「少なくとも今は、誰も死んでいない」


 さっきまで自分を落ち着かせるために繰り返していた言葉を、口の中で転がす。


 今はもう、何の役にも立たない。


 誰も死んでいないから大丈夫、なんて。誰かが倒れてからでは遅いのに。


《見ましたよ、あの子。聖女のための奉仕という名目で、自分の命をちょっとずつ削っていましたね》


 女神の声が、頭の中に落ちてくる。


《あれ、祝福じゃなくて、ほとんど呪いです。いい子ほど、よく効くタイプの》


「そんな言い方……」


 思わず反発しかけて、言葉が喉で止まる。さっきの少女のまっすぐな瞳が浮かんだ。


 聖女様の負担を減らしたくて。


 彼女は心からそう思っていた。


 それでも、その善意が命を削っているのなら、それを祝福と呼ぶのは、きっと間違っている。


 握り締めていた拳を、私はゆっくり開いた。震える指先に、祭壇の光が落ちる。


「……女神様」


《はい》


「この神殿から、あの子たちを逃がす契約って、作れるんでしょうか。私自身も含めて」


 自分で口にして、心臓が跳ねた。聖女が神殿から逃げるなんて、冗談にもならないのに。


 女神は、少しだけ間を置いてから答える。


《作れますよ》


 あまりにあっさりしていて、私は思わず顔を上げた。


《ただ、神殿の就業規則をちまちま直すだけでは足りません。そもそもの世界側の契約から、手をつける必要があります》


「世界側の契約……」


《この国の聖女や神官の働き方を決めている大きな条文です。根っこがそのままなら、同じような呪いはいくらでも生えてきます》


《まずは、逃げ道をちゃんと定義しましょう。逃げるための契約は、立派な契約です》


 逃げるための契約。


 その言葉を噛みしめると、胸の奥で何かが音を立ててひび割れた。


 少なくとも誰も死んでいない、と自分をなだめ続けてきた言い訳の殻が、崩れ落ちていく感覚。


 この夜、私は初めて、本気で「逃げるための契約」を欲しいと思った。


 そしてその願いが、後に世界契約そのものを書き換える条文になることを、このときの私はまだ知らない。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

第7話はいよいよ「誰も死んでいないから大丈夫」という甘い言い訳が崩れた回でした。善意がいつのまにか呪いになる瞬間を、見習い聖女ちゃんを通して書きました。

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