第9話 契約オタクの町、ウェルナ再訪
「――その板、貸してください。今日中に世界の地雷を見える形にします」
ウェルナの入市門をくぐった瞬間、私は思わず足を止めた。
石畳の両脇に、掲示板がずらりと並んでいる。求人、売買、保険、夫婦の家計取り決めまで、生活の全部が条文になって貼られていた。
「この街、空気にまで但し書きがある……」
私が呟くと、隣でセルジュさんが淡々と頷く。
黒い礼服の襟元ひとつ乱れていない。旅の埃さえ、彼の背中のほうが先に払ってくれる気がするのが悔しい。
「ウェルナは契約で呼吸する街です。今日は整頓の日にしましょう」
「整頓……」
「整理しないまま走ると、転びます」
転ぶ、と言われると心臓がひゅっとなる。帝国の血族札、聖王国の誓願、どれも紙の形をして、ちゃんと人を転ばせてきた。
《お、再訪ですね。契約オタクの聖地巡礼。いい旅です》
女神様の声が頭の中で軽く鳴る。
軽いのに、背後から小さく圧をかけてくるのが、この神の悪い癖だ。
「観光じゃありません」
《観光の顔してますよ》
「してません」
そんな言い合いをしていると、掲示板の前で子どもが2人、紙を挟んで睨み合っていた。
「第3条! おやつは半分こって書いた!」
「但し書きがある! 走ったら増えるって!」
……ウェルナの子ども、手強い。
「リディア!」
人混みの向こうから、赤ペンのオーラみたいなものが突進してきた。
イルダだ。ウェルナ法務局の法務官。笑顔は薄いのに、目だけが妙に輝いている。
「挨拶は後。まず、作業室へ。板が足りません」
「久しぶり、って言わせてください……」
「久しぶり。はい、次」
早い。再会の余韻が秒速で剥がされる。
私は半笑いのまま、セルジュさんを見る。彼はいつも通り、困らない顔をしていた。
「お邪魔します」
「邪魔じゃありません。戦力です」
イルダが即答し、私たちはそのまま法務局の作業室に押し込まれた。
机の上は紙の山。壁には白い板が何枚も立てかけられ、棚には紐で綴じた契約束が並んでいる。紙とインクの匂いが、落ち着くようで落ち着かない。
「持ち帰りメモ、出してください」
「はい……これが帝国、これが聖王国」
「よし。分類します」
イルダが赤ペンで私のメモに線を引く。容赦がない。けれど、線の引き方が正確で、腹が立たない。
むしろ、救われる。世界が怖いときほど、線が欲しい。
セルジュさんが椅子を引き、私の背後に立った。
距離が近い。板に向かう私の手元が、彼の視界に収まっている感じがする。
「まず、国。次に悪癖。次に被害者像。最後に直す軸です」
「……仕事の声で言わないでください。私、余計に背筋が伸びます」
「伸びてください。必要です」
必要です、で済ませるのはずるい。
私はペンを握り直し、板に大きく書いた。
帝国:血族札/巻き込み/解除不能
聖王国:誓願/自己犠牲/称賛圧
ウェルナ:標準化/再現性/拡散速度
「待って。ウェルナは悪癖じゃないでしょう」
「拡散速度は悪癖にもなります」
イルダが言い切る。
「良い条文ほど、悪い国に届くのが速い。だから怖い」
胸の奥が、きゅっと鳴った。
私たちが作ってきた「守るための契約」が、別の場所で「縛るための契約」に改造される。考えたくなかった現実が、板の上に出てしまう。
《契約は、明記された範囲でしか奇跡を起こせません》
女神様が、いつになく真面目な声で言う。
《だから、守る範囲を明記してください。逃げ道も、拒否権も》
「……明記します」
私は呟いた。
「守る権利を、ちゃんと条文にします」
セルジュさんが、私の隣に移動して板を見る。
「理想で終わらせない形に落とします。運用できますか、から逆算しましょう」
イルダが頷き、赤ペンで私の「守る権利」に丸をつけた。
「いい。そこが軸。次は地図です」
イルダが大きな巻物を広げた。コルディアの地図。主要都市の脇に、すでに小さな赤い印がいくつも打ってある。
「……これ、いつの間に」
「昨日の夜に打ちました」
「昨日の夜……?」
「眠れなかったので」
眠れなかったので、で世界地図に赤印を打つのは人間のやることじゃない。
私は笑いそうになって、笑えなかった。赤印が多すぎる。
「点のはずが、線に見えませんか」
イルダが赤ペンの先で、印をなぞる。
確かに。点が、ゆるい弧を描いて並んでいる。偶然の並びに見えない。
「世界契約ノートのにじみ……」
帝国の門で感じた、紙が濡れて滲む音。聖王国で見た、誓いの言葉の重さ。
全部が線で繋がるなら、私たちはいま、線の上を歩いている。
「リディア」
イルダが、こちらへ身を乗り出した。距離が近い。条文の熱をそのまま浴びる距離だ。
「あなたが作った拒否権条項。あれ、世界標準の核になります。だから、書き方を教えてください。今すぐ」
「い、今すぐ……」
私が言葉に詰まった瞬間、セルジュさんが椅子を一歩引き、私とイルダの間に自然に入った。
動きは静かで、声はもっと静かだった。
「彼女は私のパートナーです。説明は私を通してください」
「……仕事として?」
イルダが眉を上げる。
セルジュさんは、表情を崩さない。
「仕事です。彼女の判断を飛ばさないためにも」
「……なるほど」
イルダが納得したように頷くのが、逆に腹立たしい。私の胸が勝手に熱くなる。
私は咳払いをして、板に向き直った。
「飛ばさないなら、私も逃げません。ですが、逃げ道は書きます」
「それがあなたの強さです」
セルジュさんの声が、いつもより少しだけ柔らかかった。
《お、線引き入りましたね。甘い》
女神様が楽しそうに言う。
《はいはい、続けて。徹夜:可って議題欄に入れときますね》
「入れないでください!」
私の抗議を無視して、板の端に小さな光の文字がちらっと浮かび、すぐ消えた。イルダが見逃さない。
「今の、何です?」
「気のせいです」
「気のせいにするには、字が綺麗すぎます」
「……女神様です」
「最高。議事録にします」
怖い味方が2人いる。
それでも、板の上で世界が少しずつ整っていくのは快感だった。
国ごとの悪癖。被害者像。直す軸。必要な条文。撤退条件。第三者立会い。拒否権。
私は、息を吸って吐いた。
怖い。世界を変えるのが、怖い。
でも、怖いままでも、書ける。
「次は、この線の先です」
イルダが赤ペンで、地図の北端を指した。
その場所に、まだ印はない。
空白だけがある。
《来ましたね》
女神様の声が、低く落ちる。
《今、空白が勝手に埋まります》
地図の上に、赤い印がひとつ、じわりと滲むように増えた。
点じゃない。まるで、契約書のインクみたいに。
私はペンを握ったまま、その赤を見つめた。
「……行き先、決まりましたね」
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ウェルナ再訪で、世界の「線」が見え始めました。
続きが気になったら、ブックマーク&広告下の☆☆☆☆☆評価で応援して頂けると励みになります。
感想も大歓迎です。次話も甘くて危ない展開を用意しています。




