第7話 10年贖罪労働の牢
「10年は、短いほうです。……ここでは」
白い石造りの建物は、修道院みたいに静かだった。扉の金具さえ磨かれていて、外からは牢に見えない。
けれど、扉が開いた瞬間に匂いが変わる。鉄と薬草と、濡れた布の匂い。
通路の先で、灰色の服の少年が膝をついていた。床を拭いているだけなのに、指が割れて赤い。手首の輪に小さく刻まれた数字が見えた。
「10」
「万引きです」
案内役の女司祭――マリアンヌは、祈りの声みたいに言った。
「罰は10年。贖罪奉仕として労働し、その間、家族は同伴できます。……ただし」
そこで一拍、呼吸が詰まる。
「離脱は禁止です」
胸の奥で、何かが音を立てて割れた。
叫びたい。止めたい。――けれどここは他国で、信仰の名で正義が出来上がっている。言えば、異端は私のほうだ。
その瞬間、隣のセルジュさんの指が、そっと私の拳をほどいた。冷たい手。なのに離さない。
「今は、見ます」
命令でも説教でもない。けれど「私が止める」という形をした合図だった。
(女神ログ:※退会不可の会員制、というやつですね)
頭の片隅に、いつもの軽い声が滑り込む。笑えるはずなのに、喉が固い。
少年が床を拭くたび、手首の「10」が淡く光る。
私は息を吸い直した。――ここは感情で壊す場所じゃない。条文で折る場所だ。
ふと、マリアンヌのロザリオを握る手が、わずかに震えているのが見えた。
(この人も、同じ牢の中にいる)
奥へ進むと、通路は見学用の高い廊下になっていた。下には作業台が並び、灰色の人影が黙々と動いている。布を洗う者、蝋を詰める者、石を削る者。息が合っていて、祈りみたいに整っているのが、逆に怖い。
「罪の重さで列は分けないのですか」
私が問うと、監督役の男が即答した。顔に名前のない人だ。
「贖いは等しい。光の女神の前では、人は皆、同じです」
同じ。便利な言葉だ。
私は柵に指を置いた。冷たい金属が皮膚を押す。
「罰が重いんじゃない。罰が同じなのが怖いんです」
自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。怒りが消えたわけじゃない。怒りを燃料にして、論点に変換しただけ。
マリアンヌの唇が、僅かに開いたまま止まる。
「……罪は、贖いで洗われます」
「洗いすぎです。10年で、何が残りますか」
下を見る。さっきの少年が、今度は布の束を抱えて歩いていた。小さな肩がふらつくと、横の老人が支える。老人の手首にも「10」。その隣で、髪を結った女が目を伏せて同じ布を畳む。手首に数字はない。けれど足首に、薄い輪の跡がある。
「家族同伴、ですよね」
私が言うと、マリアンヌは視線を逸らした。
「支え合えば、耐えられると……」
「耐えさせる設計になってます」
言い切った瞬間、セルジュさんの手が、私の手の甲を軽く押さえた。落ち着け、ではない。進め、だ。
廊下の先に、小さな窓があった。格子越しに、庭が見える。乾いた土に、白い花。墓標はない。
私は思わず聞いてしまう。
「亡くなった方の記録は」
監督役が眉をひそめる。
「ここは牢ではありません。聖なる奉仕の場です。死者を数えるのは、不敬です」
その理屈が、前世の私の耳に刺さる。数字を出した途端に「不敬」と言って黙らせるやつだ。労災報告を「空気が悪くなる」と握り潰す、あの手口。
書類室に通されると、棚には革表紙の台帳がぎっしり並び、封蝋の匂いがした。ここも綺麗だ。綺麗に整った暴力は、いつも言葉が通じにくい。
マリアンヌは台帳を開き、ある頁を指で押さえる。
「贖罪労働契約です。罪状、期間、作業内容……そして同伴の条件」
文字はフォーマルで、角が立っていて、祈りを装った命令に見えた。
「期間の根拠は」
私の口は勝手に法務モードに切り替わる。
「確認させていただいても、よろしいでしょうか。10年に固定する理由は何ですか」
「……教義です」
「教義のどこに」
マリアンヌは答えられない。ロザリオが、きゅ、と鳴った。
セルジュさんが淡々と補足する。
「運用上は、期間を短くすると再犯が増える、という理屈でしょう。ですが、それは統計の問題であって、契約条項の根拠にはならない」
相変わらず、優しさを論理に訳すのが上手い人だ。
(女神ログ:元の世界契約には、ちゃんとありますよ。「罰は罪と相当であること」って)
声が少しだけ硬くなった。遊びじゃない、というトーンだ。
私は頷く。
「世界契約にあるなら――これは正義じゃない。逸脱です」
口にした瞬間、背筋が熱くなる。ここは他国。けれど世界契約は、国境の上に置くためにある。
マリアンヌが小さく息を吐いた。
「信仰を壊しに来たのでは……ないのですね」
「壊しません。鎖を外しに来ました」
言った私自身が、一番驚いた。こんな言い方、前の私ならできなかった。
セルジュさんは私の横で、紙の端を揃えるみたいに状況を整えていく。
「まず、離脱禁止の法的根拠。次に、同伴の範囲。最後に、期間の可変性。……この3点を詰めれば、運用側は抵抗できません」
「抵抗できない、で済ませないでくださいね」
「もちろんです。あなたが前に出る必要がないように、私が前面に立ちます」
さらっと言う。業務口調なのに、胸の奥が熱くなるのがずるい。
ちり、と紙が擦れる音。
マリアンヌが書類束を抱え直す。いちばん上の封蝋に、見慣れない紋があった。飾り鎖――鎖の紋章。
「その印は……」
私が言いかけると、マリアンヌは小さく首を振った。
「今夜、礼拝堂で。あなたに会ってほしい方がいます」
「誰ですか」
「ここにいる者ではありません。けれど……この国の鎖を、いちばん美しく身につけている人です」
声が震えているのがわかった。恐怖か、罪悪感か、それとも両方か。
廊下の奥から、布を叩く乾いた音が響いた。さっきの少年の「10」が、目の裏に焼き付く。
マリアンヌは目を伏せ、最後の一言だけ落とした。
「その方は……首に、銀の鎖をしています」
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『10年贖罪労働の牢』――彼女が握ったのは信仰ではなく、条文でした。次話、礼拝堂で「銀の鎖」の人物と対面します。続きが気になったら、ブックマークと評価で応援していただけると励みになります。




