第6話 自己犠牲を誓わされた聖騎士
「治療は不要です。これは私の罰ですから」
白い石畳に赤が落ちた。陽の光に反射して、やけに鮮やかだ。
血を滲ませた青年は笑っていた。白と金の装束、胸元の光紋。ルミナリア聖王国の聖騎士だと、誰が見ても分かる。
「ちょ、ちょっと待ってください。今すぐ止血を――」
私は反射で手を伸ばしかけた。癒やしの祝福を流せば、傷口は閉じる。慣れた手順だ。
けれど、その手を取る前に。
隣から、指がそっと重なった。
セルジュ様の手だった。冷たいのに、離さない。
私の拳を、握りつぶさない程度の力で押さえる。
「今は観察です」
彼はいつもの業務口調で言う。
「あなたが異端扱いされれば、交渉が終わります。……あなたが潰れるほうが、損失が大きい」
(損失って言い方……)
腹が立つのに、胸が痛い。守り方が不器用だ。
青年――聖騎士は、こちらへ視線を向けて一礼した。
痛みに眉も動かさない。そのくせ、子どもが泣いているのを見ると、目だけが柔らかくなる。
「大丈夫。泣かないで」
彼は膝を折って、子どもの頭を撫でた。子どもは鼻水をすすりながら、必死に頷く。
「ユリウス様、包帯を!」
「聖騎士様、治癒師を呼びます!」
周囲の大人たちは慌てているのに、彼だけが静かだ。
「……ありがたい。ですが、不要です」
ユリウスと呼ばれた青年は、差し出された布を丁寧に押し返した。
「誓願にあります。『己の身を捨てて多数を救えるとき、騎士はそれを選ぶ努力義務を負う』。だから私は、この痛みも贖いとして受け取ります」
努力義務。
その言葉が、私の頭の中で黒々と浮いた。
(努力義務って、逃げ道がある前提の言葉でしょう?)
(なのにこれは、逃げ道の顔をした強制だ)
私は口を開きかけて、飲み込んだ。
ここは他国。しかも「清い正しさ」を掲げる国だ。
私が今「あなたを治療します」と言えば、彼の信仰を踏みにじることになる。たぶん、私のほうが異端になる。
背後で、女神様の声が薄く笑った。
『理想は高いのに、代償設計がへたくそな同僚だなあ』
(女神様、ここで同僚評を挟む余裕があるなら、助けてください)
『助けるには、まず仕様を知る。形式通り』
形式通り。嫌いじゃない。でも今日のその言葉は、冷たい。
◇
この国の門をくぐった時、私でさえ背筋が伸びた。
高い白壁。上に走る金の縁取り。門番の騎士は武器を見せびらかすでもなく、落ち着いた声で道を開ける。
通りは掃かれ、噴水は澄み、香草の匂いが風に混じる。盗みを働く者も、声を荒げる者も見当たらなかった。
「理想郷、ですか」
私が思わず呟くと、セルジュ様は周囲を確認しながら頷いた。
「表の顔は、そう見せるでしょう。……だからこそ裏を見ます」
門から少し歩いた角に、掲示板があった。
白い紙が何枚も、整った文字で並んでいる。
『贖罪奉仕 10年 志願者募集』
『浄めの労働 家族同伴可(※但し離脱禁止)』
『志願は尊い。拒む者は、己の弱さを恥じよ』
清潔な文字なのに、喉に引っかかった。
善意の顔をした、逃げ道なしの匂い。
「……離脱禁止って、注釈で書くことじゃない」
私が小声で言うと、セルジュ様は視線だけで肯定した。
「注釈で書くから、気づかれにくい。故意です」
私たちは、街角の神殿詰所へ案内された。
若い神官が書類を受け取り、笑顔で頭を下げる。
「アルシオン王国の聖女殿、宰相補佐殿。ようこそルミナリアへ。滞在許可と、明朝のご案内状を」
差し出された封筒には、光の紋章。触れた指先が少し熱くなる。
「明朝?」
私が聞き返すと、神官は穏やかに微笑んだ。
「贖罪奉仕の現場です。まずは、清めの働きをご覧いただきたく」
胸の奥が、いやな鳴り方をした。
見せたい、という言葉の裏に、見せても平気だという自負がある。
◇
そして今、その自負の形が、目の前に立っている。
騒ぎの原因は、馬車だった。
坂道で車輪が滑り、御者が手綱を引ききれず、角を曲がった先の子どもへ突っ込んだ。
「危ない!」
叫びと同時に、白金の影が飛び出した。
ユリウス様が子どもを抱えて転がり、馬車の車輪が石畳を削って止まる。間に合わなければ、潰れていた。
「さすが聖騎士様!」
「光の加護が――」
人々は胸に手を当て、頭を下げる。子どもはユリウス様の首にしがみつき、泣きながら何度も謝った。
「いいんだ。あなたが無事なら、それで」
ユリウス様は微笑み、子どもを母親へ渡した。
その瞬間、肩口から血が溢れた。
布地が裂け、白が赤に染まる。それでも、彼は呼吸を整えて立ち上がる。
(止血。縫合。治癒)
頭の中で手順が回る。私の手は、勝手に前へ出ようとした。
セルジュ様の指が、もう1度、重なった。
今度は、私の手首を包むみたいに。
「リディア」
珍しく、名で呼ばれた。小さな声なのに、背筋が凍るほど強い。
「今は。……今は、我慢してください」
我慢。
その言葉が、私の中の正義を少しだけ冷やした。
冷やして、形にするための時間をくれたのだと、分かってしまう。
ユリウス様は、私の視線に気づいたらしい。
丁寧に、しかし迷いなく首を振った。
「聖女殿。お気遣いに感謝します」
「でも、放っておけません。あなたは――」
「私は、騎士です」
その言い方が、誇りだった。
自分を縛る鎖を、誇りとして磨いている声。
「誓願の条文を、朗誦します」
彼は胸に手を当て、光紋に指先を添える。
「『己の身を捨てて多数を救えるとき、騎士はそれを選ぶ努力義務を負う。
傷を恐れて退くことは、光を汚す。痛みを避ける治癒は、贖いを薄める』」
周囲が、安堵した顔をした。
ああ、これが「正しい言葉」なのだ。みんな、この言葉で安心してしまう。
私だけが、息を呑む。
(努力義務の皮を被った、死の推奨)
(しかも、治癒まで罪扱い。逃げ道が1つもない)
女神様のUIが、私の視界の端で小さく点滅した。
《注記:努力義務=違反時の責任が曖昧なため、運用で強制化しやすい》
(分かってます。分かってるから腹が立つんです)
『ね? へたくそでしょ』
(同僚評、やめてください)
ユリウス様の胸の光紋が、脈打つたびに明滅した。
まるで期限だ。猶予のない締め切りみたいに、早く、短く。
彼はそれに気づかないふりをして、子どもへ言った。
「次は、道の端を歩こう。約束できる?」
「う、うん! ユリウス様、ありがとう!」
「よし。では、光を忘れずに」
子どもたちは泣き笑いで頷き、周囲は拍手までしそうな空気だった。
私の胃だけが、きりきりする。
その時、街角の神殿詰所の神官が駆け寄ってきた。
先ほどの青年神官だ。汗1つ乱れていない。
「聖女殿。宰相補佐殿。お騒がせしました」
そして、まるで予定通りのように、封筒を差し出す。
「改めて。明朝、贖罪奉仕の現場をご案内します。担当は女司祭マリアンヌ。……そして、ユリウス殿も同行します」
「この状態で?」
思わず声が出た。
ユリウス様は、笑った。
「問題ありません。私は光に仕えていますから」
その言葉が、あまりにも自然で。
私は1瞬、何も言えなくなった。
セルジュ様の指が、私の手の甲を軽く撫でた。
慰めじゃない。落ち着け、という合図。
「……承知しました」
セルジュ様が答える。淡々と、しかし私を半歩だけ背に入れて。
私は、息を吸った。
この国の「美しい正しさ」は、誰も悪意を持たない顔で、人を削る。
(正しい美しさと、歪んだ美しさを、混ぜてはいけない)
(混ぜれば、誰も止められなくなる)
ユリウス様の胸の光紋が、また脈打った。
明日までに、何が削れるのか。
私は封筒を握りしめた。
明朝。贖罪奉仕の牢。
理想郷の白い街路の下にある現場を、私はこの目で見て、条文に落とし込む。
そして――できれば、あの人の「誇り」を折らずに、鎖だけを外す方法を探す。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
ユリウウスの『自己犠牲の誓い』の正体、明朝の現場で一気に剥がれます。
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