第3話 搾取神の帝国へ
「――視界から外れないでください」
帝都の門は、石ではなく契約でできていた。
門柱の内側に、赤い札が数えきれないほど吊られている。風に揺れるたび、血の匂いみたいな鉄の気配がする。歓迎の鈴、というより、家畜につける鈴だ。
「入国者、血族札を」
門番は人間なのに、声だけが神殿の朗読みたいに平らだった。
差し出された札は掌より少し大きい。赤漆の地に、細い金の筋。家系を示す文様。角には黒い焼き印で『外来』。
首に掛けられた瞬間、ずしり、と重い。
(札の重さって……責任の重さ、だ)
隣でセルジュさんが、何の感想もない顔で自分の札を受け取る。いつもの指輪が光った。私の指にも同じ輪がある。
契約のための輪。……なのに、この国の札の前では、紙切れみたいに無力に見えた。
「保証人は?」
「私です」
セルジュさんが即答する。迷いがないのが、逆に胸に刺さった。
門番は私と彼を見比べ、札の裏へさらさらと何かを書き足す。書き終えた瞬間、札がひと息ぶん重くなる。
(今、巻き込まれた。私だけじゃない)
門の影に並ぶ人たちがいた。首、手首、足首に、黒い鎖型のタグ。鎖を付けた人は、目だけで通行人を数えている。値札みたいに。
私の胸元の札が、きゅ、と小さく鳴った。まるで、あの鎖と同じ規格だと自己紹介するみたいに。
「拒否はできません」
門番が淡々と言う。
「拒否は、血族ごと不利益を被ります」
危機の形が、条文の形をしている。
ここでは「断る」ことが、私の背後にいる誰かの首へ縄を回す。
だから、セルジュさんの言葉が怖いくらい効く。
「視界から外れないでください」
◇
門を抜けた途端、街が息を吐いた。石畳は磨かれ、通りは広い。整っている。整いすぎている。
私は札の裏を指でなぞり、さっき書き足された文字に気づいた。
保証人欄。
そこに、セルジュさんの名。
「……命令ですか」
「確認です。混雑しています」
彼は淡々と前を向いたまま、私の肘へ指を添えた。逃げ道を塞ぐみたいに、でも痛くない。歩幅が自然に揃う。
この距離の詰め方が、護衛のそれなのか、それとも――。
(離れるな、って……聞こえたら、私のほうが仕事に支障が出る)
私は息を整えた。
逃げない。外さない。外れない。
「……分かりました」
返事と同時に、札がまた少しだけ重くなった気がした。
◇
迎賓の間は、白い石と黒い金属でできた巨大な箱だった。装飾は少ないのに、圧だけがある。
上座にいた皇太子カイエンは、鎧ではなく軍礼装だった。整った笑み。けれど目の下に薄い影。机上には契約書の束と、飲みかけの薬瓶。
(勝ち続けるって、こういう顔になるのね)
「アルシオンの聖女。宰相補佐。ようこそ」
丁寧な口調は、刃物みたいに冷たい。
私は礼を取り、まず確認から入る。
「入国の血族札について。拒否不能と、血族への不利益設計。条文はどちらに」
「当然の仕組みだ」
カイエンは即答した。
「帝国は勝つ。勝つための代償は、払わせる。払えないなら――血族を守りたいなら、血族で払え」
言葉の端が綺麗すぎて、ぞっとする。
正義の顔をした合理性は、一番手強い。
セルジュさんが、少しも表情を変えずに刺した。
「制度として伺います。条文はどこに。解除条項は」
「解除? 弱者の発想だな」
笑いかけてから、カイエンはほんの一瞬だけ視線を逸らした。薬瓶に。あるいは、自分の指輪に。
私はその一瞬を逃さず、丁寧に言い換えた。
「当然の定義を、確認させてください。勝者が払わせる、の当然は、誰が決めるんですか」
沈黙が落ちた。随員が口を開きかけ、セルジュさんの「結構です。条文で」で喉が止まった。
カイエンは笑みを崩さないまま、答えを薄く伸ばした。
「神が。……そして帝国が」
綺麗だ。だからこそ、折るべきだと確信する。
◇
案内役は誇らしげに街を説明した。
「帝都は合理的です。無駄がない」
通りの両脇には、同じ制服の人が並び、同じ歩幅で歩き、同じ角度で頭を下げる。
そして、同じ鎖型のタグを付けていた。
私は数える。立ち位置。視線。監視の目。
鎖は暴力じゃない。制度だ。日常だ。だから怖い。
「……無駄って、誰のことですか」
言葉が思ったより低く出た。
「前を向いて歩いてください」
セルジュさんが、小さく言う。叱責じゃない。指先だけで、私を人波の安全な側へ寄せる合図だ。
「前、見えてます……」
「見えすぎるのが問題です」
業務口調のまま、私の死角に立つ。
そういう守り方をされると、私は余計に、目を逸らせなくなる。
◇
奴隷市場は、街の端なのに音だけは中心にあった。
呼び声。値段。笑い声。鎖が擦れる音。汗と香料と、血の匂い。
通り過ぎるだけ。今は見学。そう自分に言い聞かせたのに――。
視線が、固定された。
柵の向こうで、鎖タグを付けた少女がこちらを見ていた。痩せた頬。大きすぎる瞳。年齢は、私より少し下だろうか。
彼女が口を動かす。声は届かない。でも、形だけで分かった。
「……けい、やく」
私の胸元の血族札が、ちり、と鳴った。
《ここは条文からしてアウト》
女神様の声が頭の内側で落ちる。軽口の温度で言うのが、逆に怖い。
「目を逸らさないでください」
セルジュさんの声が、耳元で低い。
「逸らしません」
少女――リアナの目が、ほんの少しだけ揺れた。助けて、じゃない。
読んで。見て。条文を。
次の瞬間、誰かと肩がぶつかった。私は反射で袖を押さえる。
そこに、紙片が引っかかっていた。薄い。汗で少し湿っている。
歩きながら、指先で開く。
走り書きは1行だけ。
「今夜。裏路地。契約書。」
――彼女は、助けを求める相手を、条文で選んだ。
私は紙片を握り潰さないように折り畳み、袖の内側へ隠した。
セルジュさんが、目線だけで訊く。
「何が?」
「今夜……契約書を見せてほしい、と」
声にした瞬間、喉が乾いた。怖いのは市場じゃない。条文の向こうの、巻き込みの罰だ。
セルジュさんは一拍置いて、静かに言った。
「行きます。条件は1つ」
「……はい」
「視界から外れないでください」
私は指輪に触れた。冷たくない。逃げ道を一緒に書く温度だ。
頷くと、札が鳴った。今度は、鎖みたいじゃなく――合図みたいに。
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帝国の『血族札』と鎖の契約、そして今夜の裏路地――リディアは条文で救い出せるのか。
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