第2話 ウェルナからの招請状
「予約は……取れますか」
窓口の札を裏返しかけた手が止まった。
今日も紙が多い。余白が減るほど、国の「普通」が少しだけマシになるのは分かっている。分かっているのに、胸の奥が落ち着かない。
入ってきたのは、きっちりしたスーツ風の女性だった。背筋が定規みたいに真っすぐで、分厚いファイルを抱えている。彼女は封蝋の付いた封筒を1通だけ、迷いなく差し出した。
「ウェルナ商業都市連合、法務官イルダ。あなたの相談所に、正式な用件です」
「……聖女リディアです。まずは、宛名の確認を」
封蝋に刻まれた紋が、見慣れない。紙の角が、妙に尖って見える。触れた指先が、ちくりとした。
(世界から呼び出されてるみたいだ)
《その比喩、嫌いじゃないですけどね。痛いのは当たってます》
(女神様、今は黙っていてください)
《えー。実況席の権利を奪うんです?》
私は咳払いして、封筒を裏返した。
そこには、私の名の隣に、もう1つ。
「……セルジュ・ラグランジュ宛?」
「ええ。宛名は2名。個人ではなく、ユニットとして呼びます」
心臓が、ひとつ余計に鳴った。
隣を見ると、ちょうど資料の山を抱えたセルジュさんが入ってくるところだった。黒髪をきっちりまとめ、いつも通りの無表情。なのに、私の手元を見た瞬間だけ、目がわずかに細くなる。
「……招請状ですか」
「読んでからにしてください。ここで結論は出しません」
イルダさんが即答した。
私が息を飲むより早く、セルジュさんが一歩前に出る。
「まず確認します。用件は、あなたの国の内部案件ではない」
「当然です。世界標準契約の作成。あなたがたの条文は、再現性がある」
「褒めているんですか」
「褒めてません。再現性があるから怖いんです」
淡々とした声なのに、熱がある。
条文を見て目が光るタイプだ。分かる。私も、たまにそうなる。
「ここ、窓口です。会議室に移します」
セルジュさんが私の方へ手を差し向けた。手を取れ、ではなく「移動します」の合図。なのに、私は指輪に触れるより先に、彼の手の近くへ足が向いてしまう。
「番号を振ります」
イルダさんが真顔で言った。
「振らないでください……」
つい小声が漏れる。
セルジュさんは聞こえないふりをした。ずるい。
◇
王宮の会議室は、いつもより席が少なかった。秘密会議の空気だ。
書記官がペンを構え、セルジュさんが議事の枠を置く。私はその隣で、封筒の封を切った。
中身は、招請状だけではない。
紙束がどさりと机に積まれ、イルダさんがページをめくる。列が国、行が事象。借金、罪、奉仕。たったそれだけの単語が、国ごとに別物の顔をして並んでいた。
「帝国。借金は債務奴隷。返済不能なら本人はもちろん、血族に連帯義務」
イルダさんは淡々と読み上げる。淡々としすぎて、背中が冷える。
「聖王国。罪は贖罪。期間は10年単位。自己犠牲は努力義務、だから強制ではない、という建前でねじ込む」
「ウェルナは?」
私が問うと、イルダさんは一枚の紙を叩いた。
「裁判統計です。輸入された契約文言が原因で、争いが増えている。善意の条文が、最悪の国で武器になります」
私は、息を止めていた。
同じ「奉仕」でも、アルシオンでは「休ませる義務」を書き足せる。
でも帝国の奉仕は、鎖になる。鎖が、家族へ分岐していくのが見える気がした。
《見えるでしょう。条文の温度差》
(温度……)
《あったかい言葉ほど、悪用されると火傷します》
胸の奥が、ゆっくりと痛んだ。
私は今まで、国内の「普通」を直してきた。けれど世界の普通は、私の想像よりずっと広くて、ずっと荒れている。
「あなたがたのやり方は、危険です」
イルダさんが言った。
私は身構えた。責められる。押し付けられる。そう思った。
「『逃げ道』を条文化するでしょう。人を守る。でも、その条文が輸出されると、悪意の国は『逃げ道を塞ぐ条文』を同時に作る。あなたがたの勝利条件は、世界標準がないと成立しない」
褒め言葉じゃない。宣告だ。
だからこそ、目を逸らせない。
セルジュさんが、机の端を指で軽く叩く。
「結論を急がせる文言は、交渉相手を壊します」
「壊れるなら、元から壊れてる。だから早い方がいい」
「早いほど、雑になります」
「雑なら、あなたが締めればいい」
「……そのつもりです」
やり取りが、妙に噛み合っている。
私は、笑いたいのに笑えなかった。責任という単語が、重い石みたいに胃に落ちていく。
「私の仕事を、私の言葉で説明させてください」
私は手を挙げた。視線が集まる。逃げ道は、今も必要だ。でも、逃げるだけでは守れない。
「私は、条文は守るための道具だと思っています。守る対象が増えるなら、道具の形も変えます。ただ……条件があります」
「条件?」
「担当者の判断を、会議から外さないでください」
セルジュさんが、私を見る。その目が、ほんの少しだけ柔らかい。
「外しません。——担当です」
彼はイルダさんへ向けて言い切った。
たったそれだけで、私は背中の支えを得た気がした。公の場で、彼が私を中心に据えた。逃げないための、枠を。
イルダさんが、ふっと口角を上げた。
「良い。では次。……開封前の封筒がもう1通あります」
彼女は、封のされた封筒をもう1つ取り出した。封蝋は薄く、署名欄だけが白く空いている。
「これは、神の署名欄が空白です。サインする神を、招いてください。ウェルナは、会議の机と紙は用意します。……神前サミットを」
《やっと本題ですね》
(女神様……)
《だって、世界を直すなら、神も机に座らせないと。座らない神ほど厄介です》
◇
夜。宰相府の執務室。
王様も呼ばれ、書類はさらに増えた。光るノートの端がちかちかしているのが、視界の端で分かる。雲の向こうの誰かが、こちらを覗いている。
セルジュさんが、淡々と要点を並べた。
「国内が整っても、外からブラック契約が流入すれば崩れます。交易、婚姻、雇用。条文は国境を越える」
「……世界標準が必要だと?」
王様が低く問う。
「はい。少なくとも、同意の定義、署名の範囲、撤退と保護。最低限の骨格が要ります」
《紙が強い日が増えますね》
(増やしましょう。奇跡より、紙の方が長持ちします)
私は招請状を見つめた。宛名は2名。私の名前の隣に、彼の名前。
私的な呼び出しじゃない。私たちを、ひとつの道具として呼んでいる。
指輪に触れて、息を整える。
これは所有じゃない。保証だ。今の私は、1人じゃない。
「……行きます」
口に出した瞬間、肩の力が抜けた。
「ただし、条件を書きます。逃げ道も一緒に」
セルジュさんが短く頷く。
「護衛。情報。撤退ライン。別行動は禁止。……以上を、先に条文化します」
「最後の1つ、言い方が……」
「聞こえませんでした」
聞こえてるくせに。
そのとき、扉が叩かれ、書記官が駆け込んできた。
「帝国側から入国手続きの書類が到着しました。必須条件が……」
彼は紙を差し出す手を震わせた。
「血族札の儀式、だそうです」
赤い一文が、末尾で滲んでいる。
『拒否は、血族ごと不利益を被る』
私は、紙の角に触れた。ちくり、とまた痛んだ。
鎖の形が、視界の奥で分岐する。
(……交渉の前に、鎖が来る)
《ようこそ、世界の現場へ》
女神様の声が、今夜は少しだけ低かった。
私はペンを握り直した。
明日、私たちは世界へ行く。その前に、逃げ道を書く。逃げないために。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ウェルナ編、鎖の条件が牙をむきました。
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次話、神前サミットの席に神を座らせます。




