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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第3部:女神と世界契約改革編

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第1話 世界に走るひび割れ

 相談所の看板を掲げてから、まだ3日。王都アルシエルの市場の端っこで、私は今日も「契約の読み合わせ」をしている。

 机の向こうには、若い夫婦。指輪はあるのに、目が合わない。


「『怒鳴らない努力義務』って書いたのに……守れなくて」

 奥さんが泣き笑いで言う。旦那さんは帽子を握り潰しそうな勢いで黙り込んだ。


「努力義務は、できない日がある前提です。逃げ道までセットにしましょう」

「逃げ道……?」


 私は羊皮紙の余白を指で叩く。

「『声が大きくなったら5分別室に退避する権利』。それと『追いかけない義務』」

「追いかけない……」

「追いかけると、相手は追い詰められます。だから、ここで止める」


 隣でセルジュさんが、無表情のまま紙を整えた。

 夫。契約上は。けれど、私が息を詰めそうになると、必ず先に息継ぎを作ってくれる人だ。


「案件名は」

「付けないでください」

「記録上、必要です」

「恥ずかしいです」


 夫婦の前で言い合って、私は少しだけ赤くなる。旦那さんが小さく笑って、空気が1度だけゆるんだ。


 市場は今日も忙しい。魚屋の声とパンの匂い、その合間に噂話だけが勝手に泳いでいく。


「帝国で、奴隷の鎖が暴れて死人が出たって」

「光の国では、聖騎士が自分で——」

「北の港は、加護が止まったらしいぞ」


 どれも遠い話。なのに、胸の奥だけが、いやに早く脈を打つ。


 その瞬間、視界の端で「見えないはずのもの」が揺れた。

 人々の背に刺さる、加護のタグ。紙片みたいな光が、風もないのに震えている。


 ……さっきより、ひびが深い。


「聖女様?」

「ごめんなさい。今、少し——」


 言い終える前に、耳の奥で、紙が濡れて滲む音がした。


《リディア、泉に来て。今すぐ》


 女神様の声は軽いのに、背筋だけが冷える。

 私は立ち上がり、セルジュさんの袖を掴んだ。


「……世界が、変な壊れ方をしています」

「確認します。あなたは、私の視界から外れないでください」


 守る、じゃなくて。外れないで、という言い方が胸に刺さった。

 タグがきしむ、薄い金属音みたいな不快さ。紙が裂ける前兆は、いつも静かだ。


「すみません、続きは明日でもいいですか」

 私が頭を下げると、奥さんが慌てて頷いた。

「大丈夫です。追補、楽しみにしてます」

「……必ず入れます」


 セルジュさんが素早く書類をまとめ、私の背に外套を掛けた。肩に触れる指先が、短いのに頼もしい。


 大神殿の裏庭。女神の泉は、昼でも夜みたいに静かだ。

 水面の上に光る板が浮かぶ。けれど今日は輪郭が滲み、息苦しい。


《先に言います。私のせいじゃないです》

「いきなり責任回避から入らないでください」

《責任回避は契約の基本です。さて、見てください》


 羽ペンが鳴る。水面から1冊のノートが立ち上がった。

 世界契約ノート。試験運用のはずの、それが。


 ページが勝手に開き、黒い染みが余白ににじんだ。

 墨じゃない。紙の内側から腐っていくみたいな黒。


「……昨日は、こんなに濃くなかった」

《昨日は、まだ薄かっただけです》

 女神様の声が、いつもより少しだけ低い。


 セルジュさんがページの端を押さえた。彼の指が触れた場所だけ、滲みが止まる。


「世界契約そのものの劣化、という理解でよろしいですか」

《よろしいです。よくないけど》

「原因は」

《上位レイヤーの古い接続条文が擦り切れています。誰かの一撃じゃなく、長年の無理です》


 私は黒い形を目で追った。地図みたいに広がっている。国境線らしき線の上を、黒が舐める。


「……国が整っても、外から入ってきたら、また同じことになる」

「結論として、国内改革だけでは不十分です」

 セルジュさんは即答した。

「物流も人も契約も、国境を越えます」


《ブラック契約は感染します。あれ、疫病より速いんですよ》

 笑いの形をした断言に、胃が冷える。


《帝国。光の国。北の港。まずは、この3つが濃い》

「……行く、んですか」

《行ってください。あなたが。あと、あなたの夫も》


 心臓が跳ねた。仕事の恐怖と、変な安心が同時に来る。

 私はセルジュさんを見る。彼はいつもの顔で言った。


「危険です。だからこそ、同行します」

「私は足手まといになりません」

「あなたは現場担当です。私はあなたが現場で仕事をするための環境担当です」


 守る、じゃなくて環境。けれど、その環境の中心に私がいるのが分かる。


《王と宰相に報告。今日中。契約は速度です》

「……残業決定ですね」

《残業は世界を救います。たぶん》

「たぶんで救いたくないです」


 宰相府の執務室は、書類の山が地形になっていた。

 宰相クロードは片眉を上げ、国王グスタフ陛下は顔色を失っている。


 私は世界契約ノートを机に置いた。空気が、重くなる。


「つまり、世界の契約が黒く?」

「はい、陛下。黒いのは比喩ではありません」

 セルジュさんが淡々と答える。


 クロード宰相が覗き込み、鼻で笑った。

「神々の仕事も老朽化するのか。笑えないな」


「陛下。落ち着いた今なら行けます。私が倒れていた頃なら、世界の話を聞く余裕もありませんでした」

「……行かせたいのは分かるが、聖女を国外に出すのは——」

「宰相。政治的な都合で、人が削れる条文を放置するほうが高くつきます」

 セルジュさんの声が、ほんの少しだけ冷えた。


 宰相が肩をすくめる。

「……妻の前だと強いな」

「妻だからです」

 即答だった。


 陛下が、長く息を吐く。

「分かった。2人で行け。ただし、必ず戻れ。戻るまでが任務だ」


 戻るまで。

 その言葉が、胸に優しく刺さった。帰ってくる前提で送り出されるのは、まだ新しい。


 夜風が冷たい。王宮を出ると、セルジュさんが無言で外套の襟を直し、私の首元を隠した。


「視界から外れないでください」

 また、その言い方。

 私は頷いて笑う。


「外れません。逃げないなら、条件を握ります。条文も、道も」

「結論として、それが最善です」


 帰り道、ティオが走ってきた。息が切れているのに、手だけは丁寧に封筒を差し出す。


「リディア様! 宰相府経由で、これが……!」

 封蝋が銀色に光っていた。宛名は、私とセルジュさん、2人分。


《ほら来た。世界からの呼び出し状》

「……まだ、返事してないんですけど」


 封筒の角が、指に痛い。

 私はそれを握り直し、胸の奥の早鐘を、今度は逃げずに聞いた。


「――じゃあ、行きましょう。世界契約の現場調査に」


 ここまで読んでくださってありがとうございます!


 第3部はいよいよ「世界契約」の現場へ。次回、銀の封蝋の差出人と、最初の訪問国が判明します。続きが気になったらブクマで追ってください。


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